国際協力活動の現状と課題~イラク派遣の現場から~
前航空支援集団司令官 織田邦男
(三菱重工 航空宇宙事業部顧問)
1 はじめに
全般総括(経緯、イラク派遣の特徴、成果概要等)
2 イラク派遣:回顧と教訓
(1) 情報面(情報の重要性と入手の困難性)
・ 派遣準備と現地活動
・ 国際協力活動における「戦場の霧」
・ 「信頼感、連帯感」、「血と汗」の代償
(2) 人的側面(隊員達の士気、規律の維持)
・ 「2つの誤謬」に依存する防衛政策と脆弱性
・ 3回の危機
・ 「大義名分」と現場感覚
(3) 装備面
・ 多国籍軍と空自(「特別規定」の存在)
・ 国際活動と今後の防衛力整備
(4) 日米同盟と国際協力
・ 「弱さの自覚」とリアリズムの追及
・ 連帯感とガーデニング理論
3 今後の課題
4 まとめ
前・航空支援集団 司令官 織田邦男
国際社会と日本
私は米国に2回留学しました。米国では普通の主婦でも、国家の安全保障について質
問をすると、とうとうと自説を述べます。翻って日本で一般の主婦について同じ質問
をすると、安全保障という言葉を聞くだけで「反対」と言われたりします。
なぜ日本ではこのようになったのでしょうか。戦前は素人だということで考えさせな
かった。戦後は敗戦の後遺症でダチョウが怖いものを見ると頭を突っ込んで自分ひと
り平和と考えているのと同じ状況にあります。
もうひとつの理由は、安全保障は米国に任せ、日本は経済復興に取り組もうという考
えの吉田ドクトリンの影響が大きいように思います。
安全保障の両輪は外交と軍事です。軍事の役割は、国を守ることの他に安全保障の環
境を良好なものにするということがあります。
1989年のマルタ島での米ソ首脳会議による冷戦の終結の後、91年にソ連が崩壊
しました。冷戦のときは米ソの核の均衡で平和が維持されていましたが、冷戦終結に
よりそれまで隠れていた民族紛争・部族対立・宗教対立・領土問題等が表に現れてき
ただけでなく、大量破壊兵器が簡単に手に入るようになりました。国家がガバナンス
を失うに乗じてテロリズムが現れ、テロリスト数人で戦争と同じような結果をもたら
すようにもなりました。戦争の民営化とか戦争のアウトソーシングと言われるように
もなりました。テロリストには失うものがないので合理的な判断はできません。核を
手に入れたら彼らは使うでしょう。テロリズムの脅威は見えにくく、あっという間に
現実化します。アメリカでも手に負えません。国際社会共同で取り組むしかなく、国
連決議で国際平和協力活動ができるようになりました。ただし国際平和を望む者が
coalition willing (この指とまれ)によって対応するにすぎないところに、国連の
限界があります。
冷戦終結後90年にイラクのフセインがクウェートに侵攻しました。皆がフセイン退
治に協力したのに、日本は金しか出しませんでした。町内会に例えれば住民がどぶ掃
除をしているときに、我が家の家訓によりそんな汚いことはできないとして1万円出
してどぶ掃除に参加しないようなものです。それで世界から小切手外交と非難を受け
ました。しかも最終的に130億ドル(1兆3000億円)ものお金を出しながら、
10億ドル、10億ドル、20億ドル、90億ドルと、非難を受けるたびに小出しに
出したので、世界からは感謝もされませんでした。アメリカからは日本は同盟国とは
思わないと言われ、「日本は冷戦で漁夫の利を得たのに冷戦後の国際平和秩序を作る
のに汗を流さないのか」と非難されました。日本はあわてて掃海艇6隻を出して機雷
除去に取り組みました。海上自衛隊は一番難しいことをよくやりました。
92年6月にPKO法案が成立しカンボジアに行けるようになりました。93年4月
にはボランティアで行っていた中田さんが死亡し、同年5月には高田警部補が殺害さ
れました。このとき当時の自治大臣が明石さんに対して、日本人が行くところはもっ
と安全な所にしてほしいと頼みました。つまり、他国の人は死んでもいいから日本人
は安全な所にしてほしいということです。批判を受け、先ほど述べた湾岸戦争のとき
の小切手外交以上の恥の上塗りをしてしまいました。このことがあって、米国のベー
カー国務長官は日米グローバルパートナーシップはついえたと言い、日本の駐在武官
がペンタゴンに入ろうとしてもアポが取れなくなり実質的に立ち入り禁止になりまし
た。
93年1月にクリントン政権ができましたが、このころはジャパンバッシング・ジャ
パンパッシング・ジャパンナッシングと言われ、クリントン大統領に会った宮澤首相
は「日米関係は50年前にさかのぼりました」と言いました(このことは報道されま
せんでした)。日米同盟は漂流しました。その後、北朝鮮のノドン発射、台湾危機等
の東アジア情勢の変化によって日米同盟の漂流は許されない情勢になったので、小泉
首相の頃は、日米は蜜月時代となりはしましたが、日本が悟って日米同盟が復活した
わけではないので、今後また同じ過ちをしないとも限りません。日本はアメリカと対
等という人がいますが、日本は自国の弱さを認識せずして米国と対等ということはあ
り得ないと思います。イギリスやオーストラリアは自国の弱さを知っています。日本
も、小国であればあさましいまでの狡猾さが必要だと思います。テロとの戦いにしろ
、海賊対処にしろ、日米同盟なくして国際協力はできません。インド洋上の給油活動
は国際協力としてノーリスクハイリターンであるのに、それをやめて陸上自衛隊を送
ると小沢氏は言うが、そんなことをすると死人が出る可能性があります。私は2年8
カ月の間、イラク派遣の指揮官をしていた間、死人が出たら遺族の皆さんにどう謝ろ
うということばかり考えていました。
イラク派遣の現状
私は5回イラクへ行きましたが隊員たちはよくやりました。汗を流して小切手外交の
汚名を返上しました。航空自衛隊の派遣に要した費用はわずか200億円、つまり湾
岸戦争のときに拠出したお金の60分の1です。隊員は規律正しく行動し、技術に対
する評価も高かった。外国兵は、日本では隊員が逃げても軍法会議にかけられること
もないことを知って、それなのにどうして規律を保ちえているのかととても驚いてい
ました。航空自衛隊は不祥事も、墜落事故も死亡事故も1件もなく、外国から高い評
価を受けました。
(1)情報の重要性
日本は情報盲目国家です。確かに北朝鮮や中国の情報はあるでしょうが、中東の情報
はあまりありません。オシント(Open Source Intelligence )、在外公館の情報、
そして商社の情報があるだけです。
2003年3月20日にイラク戦争が始まり、私は空幕の防衛部長を拝命し3月27
日に着任しました。湾岸戦争の愚を繰り返してはならないと思いました。しかし、イ
ラクに行く規模・編成・準備を考える上で必要な情報は全くありませんでした。それ
で横田第5空軍の人に全面的に協力していただきました。しかし情報は高く高価であ
り、アクセスのハードルは高いものです厳しい。 need to know basis という原則が
あって、ニーズのある分しか情報はもらえません。5月に小泉首相が自衛隊をイラク
に派遣すると言ったら情報がどーっと入ってきました。8月にアーミテージ国務副長
官が「イラク派遣はお茶会ではないぞ」と怒ると、情報は入ってこなくなりました。
親亀がこけるとみなこけ、親亀が無事であれば、みな無事であるようなものです。イ
ラク派遣後、情報には区別・差別があることが分かりました。オーストラリアや英国
のように地上軍を出して血を流す国がもらえる情報と、日本や韓国のように血を流さ
ない国がもらえる情報は違うのです。そのことで次第に疑心暗鬼になりました。ある
英国の将校は、「米国は5万トンタンカーのようなものだ。押しても動かない。であ
ればコックピットに入って舵を握ればよいのだが、そのためには血と汗を流すことが
必要だ」と言っていました。自国で最初から情報を取ろうとしたら何十年もかかり何
兆円もかかります。自分たちでは得ることのできない情報をアメリカからいかに狡猾
に取るか、という発想で英国の将校は動いています。情報なくして作戦はありません
。日本もアメリカの情報をいかに活用するかという英知が必要です。
(2)人的側面
現場に行く隊員の視点が必要だと思います。戦闘地域か非戦闘地域かという法的な神
学論争が日本国内ではなされていますが、隊員から見ればとんでもないことです。日
本国内では軍人像に対して2つの誤謬があります。
ひとつは軍人は任務ともなればどこへでも赴くというステレオタイプの軍人像です。
朝日新聞の得意分野です。しかし、隊員と言っても、自衛隊に入る前まではコンビニ
エンスストアの前に座っていたようなどこにでもいる若者です。それが入隊後の3か
月の教育で変わるのです。もうひとつの誤謬は、自衛隊の行くところは安全が確保さ
れているというものです。隊員は自衛隊をやめると言えば辞めることができます。軍
法会議もないし、辞めて民間の航空会社に行けば3倍の給料がもらえます。それなの
に、辞めることなくいつまでも隊員でいることが当たり前という考えは、常識的に言
っておかしな考えです。
私は指揮官として4カ月に一回隊員を送り出しました。奥さんに大変ですねと言うと
みな首を縦に振ります。バグダッドでは毎日のように撃たれる人が出ています。しか
し、日本の法律では戦闘地域に行くなとあるので、撃たれても自分たちのせいだと言
われる、つまりはしごを外されるのではないかという恐怖を隊員は持っています。安
部元首相はこのあたりとてもきりっと支援してくださいましたが、福田元首相はそう
ではありませんでした。イラク派遣反対のシュプレヒコールや官舎に反対のビラがま
かれていたりすると、後々ボディブローのように精神的に効いてきます。まして民主
党はイラク派遣廃止法案を出します。オバマ大統領は反ブッシュの視点から反対して
いますが、しかし兵士に責任はないとして無事帰還を祈ると言ってくれます。違憲判
決のような傍論があると、純粋な隊員であるほど俺たちは間違っているのではないか
と思ってしまいます。実際に機長になる前の優秀な隊員が一人やめました。
アカウンタビリティ(説明責任)は軍隊にも要求されます。なぜ行かなければならな
いのかという大義名分を明示することが必要です。イラク人が自らの手で復興するの
を支援するため、国連決議に基づいている、中東の安定は日本の生命線である、イラ
クの原油産出量はサウジアラビアに次いで2番目である、日米同盟に基づき米国が困
っているときに助ける等の大義名分を説明します。メソポタミアの空を飛ぶことで日
本を守っているんだと説明することで、なんとかとどまってくれた隊員もいました。
国論を統一して送り出し、帰ってきたら「ありがとう、ご苦労さん」の一言があって
もよいのではないでしょうか。
(3)装備面
多国籍軍の規定があり、特定の装備がないとイラクの空は飛べません。ミサイル警戒
装置は出発までにぎりぎり間に合い事なきを得ました。ただ暗視装置は装備していな
かったので夜間飛行はできず、運用に支障をきたしたことがありました。やミサイル
防衛のシステムがあったので飛べたという面があります。ナイトビジョンの予算がつ
かないと飛べないということもあります。国際貢献にしようする装備品については、
国際的な標準装備が必要だと思います。
(4)日米同盟と国際協力
日本はアメリカの傘で守られています。核の傘、攻撃力の傘、軍事技術の傘、エネル
ギー・資源の傘、食料の傘等です。軍事技術に米国は大きな金を投入していますが、
そのお陰でGPSやインターネットという副産物を生みだし、日本はその恩恵をこう
むっています。日本の6000マイルのシーレーンもアメリカのエネルギーや資源の
お陰であり、食料特に大豆などはほとんどアメリカに依存しています。
私小泉首相はブッシュのポチと言われましたが、リアリズムの視点で米国をうまく活
用するという発想が重要だと思います。太平洋戦争の時のような現実の力の差を直視
しないで皇国無敵と同じ発想では駄目だと思います。米国と対等という心意気は良い
にしても、政治や外交はリアリズムで行わなければ見て行かなければなりません。
記録:大田正博
平和への現実的最大の課題は「核にどう対処すべきか」です。核兵器廃絶、軍縮の動きともに
日本での核抑止力、核武装の声さえ聞かます。
先月、早稲田大学での「核と平和」をテーマにするフォーラムでは、核廃絶を嘆願する1億を超
える署名がダンボールに何箱も国連本部にへ寄せられ、、ジュネーブに核廃絶の訴えに高校生が
マスコミで大きく報道されたりするが、平和への日本人の心情は理解できても、「国連信仰」の
幻想、的はずれな行動であることが浮き彫りにされました。他方、最近核武装のいさましい声が
しましくなっていますが、国内ではよくても周辺諸国との調整を一層難しくしている。
核廃絶、核の抑止にしても冷厳な実態を踏まえ、恒久絶対平和への道をどう拓くか、その確たる
シナリオ作り、実現のプロセスが大切ではないでしょうか。
本会はそのためのフォーラムを主義主張、党派、宗派を超えて提供しています。世界の現実を学び、
どのように恒久平和が実現できるか、皆様とともに学び創りあげて行きたいと存じます。当日は、
特に今回、ご帰国中の国連難民高等弁務官をされた松元洋氏がコメント、ディスカッションに
加わってくださいました。
「民間団体としてなしうる平和推進への具体案」
NPO日本救援センター(ARC) 代表 松本 洋
限定された時間、エネルギー、資金ももってなしうる人類平和への貢献は決して幅
のせまいものではなく、それはそれぞれの活動のレベルと影響力の範囲からみて次の
三層に渡るものと思う。
1 政治的レベルの高いもの:そのための具体策
国内団体との横の連携:有力なNPOの指導者、幹部を招いての協議会の設置,
海外の有力な団体との定期的情報・意見交換目標を設定した上での世界、国内の
主要NPOを招いての国際会議
2 地域レベルの具体策
アジア、アフリカ、中東の地域の団体(例えばアフリカ連合)との連携
地域の団体との意見交換、協力をとおして具体案を模索する。
3 国レベルでの貢献
現地の日本大使館また在京の各国大使館との意見交換による具体案の策定
選挙管理への参加
国内と現地における各国の学生同士の討論の場を設ける
現地に赴き、或いは平和構築活動をしている邦人また各国NGOとの共同事業
差しあたって、外務省の平和推進担当の部局の責任者と接触し、他のNGO、
例えば日本紛争予防センターなどとも連携して平和活動のための資金集めのPR、
具体策を検討してみてはいかがでしょうか。
また、既に現地で平和構築に従事している団体、例えば私どもの紛争予防センター
や日本救援行動センターの活動の状況を視察し、また学生・青年の団体の派遣、現地
での学生・青年との交流の推進、そしてかかる企画に韓中の関係者も参加させてはい
かがでしょうか。
外務省の民間援助連携室やJICAに対し具体的な草の根の平和構築の計画を提出
し、資金の申請を行い、具体案の実施に乗り出してみてはいかがでしょうか。
また横の連携を図るため都庁に対し、NGOが共同で使用する無料の施設の開放を
要請してはいかがでしょうか。
結論としてなし得ることは多数、多様あると存じます。
【参考資料】
イラクの将来 連載(1) 投稿日時:2007-01-07 11:26
松元洋 (マケドニア・NPO日本救援行動センター:JARC代表)
1979年以来23年の長期にわたり独裁者としてイラクに君臨したサダム・フセ
ィンは、去る12月30日の未明処刑された。1991年の湾岸戦争の直後から3年
間国連職員としてバクダッドに在勤したことのある者として、これでイラク国民は名
実ともにサダムの恐怖政治の呪縛から解放されたと感じ入った。
バクダッドでの勤務内容は二つあった。第一は各国際機関が提出するそれぞれの分
野についての援助計画をとりまとめることであり、 第二はイラク全域で働く国際機
関とNGO職員の安全を確保することであった。前者については、年間約10億ドル
の予算枠のなかで 食料、医療、住宅、教育、給水などの援助計画の立案、予算見積
もり、実施等を一旦標準化してしまえば、あとはさほど難しい仕事ではなかった。他
方、1千人をこえるインターナシヨナル・スタッフの安全確保は、至難の技であった
。方々でサダムの軍隊と反政府分子の対立が火花を散らしていた。またイラク政府が
国連とNGOは内政干渉に来ているのでないかと疑い、援助物資輸送のトラックのな
かに時限爆弾をしかけたり、また職員が住民から石を投げつけられるという事件が相
次ぎ、数名の死傷者も発生し、誠に厄介であった。
事件が発生すると、私は抗議文を書き、時としては1日に2回も外務省に出向いて
局長や次官と談判し、再発防止を訴えた。彼らは、被害者側に住民の反感を招くよう
な言動があったのでないか、事件は政府とは何ら関係がないと主張した。議論が行き
詰ると、無言で右手をあげて人差し指を立て、天井に目をやるのであった。こうなる
と、あとは当時国連本部で国連職員の治安対策を担当していたコヒ・アナン部長に報
告し、国連本部の高いレベルからサダムに直訴してもらうしかなかった。
政府の高官もサダムの独裁ぶりには心をいためていたと思う。小さな声で「国際機
関に就職したい」と言い出す者もいた。聞いたころによると、サダムは閣僚会議にお
いて、自分に反対する者はただちに、手足の先から一寸刻みで処刑すると警告を発し
ていたという。警察、軍隊、情報機関のトップは、サダムの家族と近親者でかためら
れていた。大臣であろうと将軍であろうと、サダムの目つきに戦々恐々としていた。
(つづく)
イラクの将来 ← 連載投稿(2)アメリカの過ち
松元洋 投稿日時:2007-01-09 09:48
9・11事件に対するアメリカ人の苛立つた気持ちはわかるとしても、ブッシュ政
権が戦後処理のことを充分検討することなくしてサダムを倒したのも失敗であった。
そのつけは秋の米議会の中間選挙での大敗となり、米兵の死者は今や3000人、そ
して出口の見えない内戦の泥沼である。ベトナム戦争で米国は惨憺たる敗北を喫した
。イラクもこのままでは不名誉な敗北しかない。両者に共通している失敗の背景は米
国が軍事力を過信し、万事自分で都合のよいように片付けようとしたことにある。
それでもともかく抜け道を探ろうとすればブッシュ大統領は、イラク・スタデイ・
グループ(ISG)の提案にそって、イラン、シリアとの直接交渉を進め、また治安
の改善をイラクの軍と警察にまかせる努力を積み上げながら、国連とも協調し、あら
ゆる政治解決の措置を講じてみるほかない。例えはボスニアの内戦解決のために19
95年にデートン合意がなされたように、イラクの北部をクルド、東南部をシーア派
、西部をスンニ派の領域として、暫定的にせよそれぞれの勢力の自主管理にまかせ、
三者間の対立抑制のために米軍にかわる国連安全部隊を導入することなどが考えられ
る。
自爆テロの連続で毎日のように無実の市民が何十人と死傷している状況は異常であ
り、国際社会はこれを無視することはできない。周辺のアラブ諸国もまた欧州諸国も
内紛が何時までもつづき、ますます大量の難民が流出してくることは避けたいところ
である。そこには国際的なテロ対策上の問題も介在している。
このような悲惨な内戦が生ずるとは、多分だれしも想像しえなかった複雑な状況で
ある。しかし解決の兆しが皆無とも見えない。強硬派のボルトン国連大使とラムスフ
ェルド国防長官の辞任があり、ブッシュ大統領の国連、中東政策にも変化がでようと
している。多分ボスニアやコソボの場合とは石油をめぐる利害や外部からのテロ分子
の潜入もあり、状況はことなるかもしれないが、バルカン紛争を終息に導いた国際社
会の経験はイラクの内戦解決にも生かされると思う。(おわり)
「国際公務員をめざす」松元 洋、渡辺 直一 (著)
今朝,7月31日の朝刊,一面コラムに「“経済大国”の後の国家像」岡本行夫氏の提言
が載っている。ひと時、経済大国ともてはやされた日本は、ブラジルや豪州のような「準大
国」になる。政治的大国も望み薄。残るは日本の文化的、人的資産だと文化大国を目指すべ
きとの論旨である。
経済大国と言い、文化大国、教育大国、あるいは技術大国、環境大国、軍事大国と言い、要
するに人間がベースである。
金融バブルが弾けて、世界経済が見直し、貧困撲滅の声もあちこちで聞こえる。経済も『経
世済民の学』としてアダム・スミスの原点、人間とは何か、「利己的人間」と「利他的人間」
の分析に立ち戻るべきではないか?
先日「ある女学生の日記」という北朝鮮の映画を見る機会があった。北朝鮮がこの5月はカ
ンヌ映画祭に初めて出展し、フランスでは公開上映された作品である。
「映画は、スリョンという、大学進学を間近に控え、自分の進むべき道に悩んでいる1人の
女学生がヒロインで、温かい家庭に暮らしている。父親は研究所の寮に暮らしながら、研究
に没頭している。家庭の中に父親のいない空虚感が次第にスリョンを押しつぶしていく。そ
んなとき、母親が癌であることが発覚。それでも家にも帰らず、仕事を優先させる父親に、
スリョンは嫌悪感を抱く....。北朝鮮の地方の現代事情をありのままに見せながら、家族の
肖像を素直に描いた作品だ。」(映画評より)
北朝鮮は恐ろしい国、かわいそうな国との印象があったが、この映画を見て体制やイデオロ
ギーを超えて、人間の家族愛は同じ、「人間の幸福とは何か?」を改めて考えさえられた。
外的物的条件は幸福の手段の1つであっても決して幸福の本質的要素では無い。物があふれ
て幸福から遠ざかっているわれわれこそ、返って哀れな人間なのかもしれない。
家族愛、祖国愛に生きようとする心、それはかつての「皇国日本」の日本国民が経験した道
だ。国の方向性の正誤はともかく、家族を思い、国を思う「忠孝の精神」は世界も認めると
ころである。貧しい国でさえ、海外援助しようとしている。物は豊かでもそれに反比例して
「心が貧乏」なのが先進国共通の事情である。貧しくても豊かでも“他のために生きる”こ
とこそ、人間らしく生きることではないか?「国際協力がどうの」「ボランティアがどうの」
とか、片意地を張ったり、「やってあげる」というような不遜な心を捨てて、一人一人が、
人間として良心的に当然のことを淡々とやることが重要だ。
文明の加速化についてゆくことに必死で「悟り(吾が心)」を失い、「忙(心が亡ぶ)しく」、
生活している現代人は、もう一度、人間の原点に立ち返るべきではなかろうか?「人間とは
何か? 拠って立つアイデンティティーは? 人生の意味とは? そして人生における家族
の意味は?」…..。
現代文明、科学革命の根底にある西欧のパラダイムは「存在とは個である」との存在観が深
く関わっている。しかし父母や先祖、友人、環境を切り捨てた個の存在観は生命を忘れた切
花文明である。現代文明病の克服には、「存在とは関係性である」とする東洋的パラダイム
を人類は必要としている。われわれは人間とは個の集合としてよりも、関係性(「人―間」
ジンカン)と捉える。この世には、なぜ男・女しかいないのか?人間は家族として生まれ、
結婚、出産、死においては家族・親族。友人に囲まれこの世を去って逝く。人生において家
族の持つ意味はもっとエッセンシャルなもので、その延長として郷土や国家、世界が在ると
言える。
個人や、集団としての家庭、団体、企業、国家が誤ることがある。個人としての悪は容易に
見いだされ易いが、集団としての悪は見出すこと、改めることは難しい。集団としての利益
を守ろうとすることは善なる行為だと自らも信じ、集団もそれを推奨するからである。国連、
国会、省庁、企業いずこも同じ、本質的問題解決を困難にしている。
その意味で今、企業益、省益、国益を超えて、地球益(グローバル・メリット)を考える時
であろう。人間性、家庭愛を基盤とした普遍的価値に目覚めた人間、“地球市民”の発想が
重要な所以であり、そこから集団の誤りを糺し、世の中を変えて行こうする世界的な市民運動
が望まれる所以でもある。最後に誤解のないように付け加えたい。小生、国を想うことにおい
ては人後に劣らないと思っているが、愛国心も比較文化論的アプローチが重要である。自国
至上主義(ジョウビニズム)を超えて、自国の良さとともに欠陥をも認め、他国のそれをも
受け入れる寛(ひろ)い心(グローバル・マインド)を持つことが、これからの時代にはます
ます肝要になって来る。
来る8月29日早稲田で「国連に呼応して市民は何を協労できるか?」をテーマに第13回地球
市民フォーラムが開催される。また9月16日「国家・情報・戦略」をテーマに第90回未来構想
フォーラム、10月9日「農業・地球環境」をテーマに第91回未来構想フォーラムが開催される。
上記のように人間としてのベースに立って、皆様と共に、国・世界・自然の未来を構想して行
きたいものです。
2009年7月吉日
NPO法人未来構想戦略フォーラム 共同代表
地球市民機構 理事 大脇準一郎
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「集団的自己中心性は一層,悪性である。なぜなら、一人の人間がただ個人の
ためにではなく、自分の家族、国家、教会の名において自己中心的に行動して
いるとき、自分は利他的に自己犠牲的に行動していると誤って想像することが
できるからである。」 『歴史の研究・再考察』1961 A.トインビー
☆ 「衰退に至った文明の歴史の中に、必ずしも実現することに成功しなかったとしても、
事態を収拾する別の解決法が発見されたことが認められる。それが“協調の理想”である。
その精神が現代に現れたのが、国際連盟と国際連合である。国連そのものは、世界のそれ
ぞれの国の人民とは直接つながっていない。政府を通じてつながっている。人民に直接
つながる国連が必要である。」 『歴史の研究』 A. トインビー
☆ 「人類を滅亡させるか、それとも今後は単一の家族として暮らしていくことを学ぶか、
この極端な二者択一を人類は迫られている。人類を救うためには、私たちは宗教、
文明、国籍、階級、人種などの伝統的な差異をのりこえて仲良く一緒に暮らしてゆく
方法を考えねばならない。仲良く一緒に暮らすことに成功するためには、わたしたちは
お互いを知らなければならない。」 『図説 歴史の研究』1972 A. トインビー