「日鮮同祖論」を通してみる天皇家の起源問題

2.「日鮮同祖論」の特徴

4.支配・同化のイデオロギーとして同祖論 

 「日鮮同祖論」は近代日本の朝鮮に対する植民地支配の過程で歴史の節目ごとに登場し、植民地支配を正当化する役割を担ってきたという事実を考えれば、「日鮮同祖論」が持っているイデオロギー的性格を分析することも非常に重要である。

 同祖論者たちの場合、横山・三宅・山路らのような例外もあるが、近代日本の朝鮮に対する植民地支配を正当化する論理として同祖論を積極的に主張した。もし、朝鮮に対する支配と同化の必要性がなかったならば、同祖論がそれほど積極的に主張され、社会的に広く流布する必要もなかったと思われる。

 「日鮮同祖論」という言説の特徴はそれが単に一部の学者たちによって観念的に提唱されたわけではなく、朝鮮に対する植民地支配の過程でそれが世界の植民地支配史上でも特異な支配と同化のイデオロギーを生み出したという点にある。すなわち、それは日本の朝鮮に対する植民地支配を正当化し、朝鮮の長い歴史的伝統を否定し、現実における朝鮮人の民族性と文化を無視して、朝鮮人に一方的に日本化を強要する結果をもたらしたのである。日本の植民地支配政策の中で一番批判されている「創氏改名」も、当時の朝鮮総督南次郎のこの問題を同祖論と関連させる発言11)、から分かるように「日鮮同祖論」にもその一因があったと考えられる。近代日本は台湾、朝鮮、満州を植民地として統治した経験を持つが、「創氏改名」にも見られるように朝鮮に対してはしては台湾、満州以上に徹底した同化政策が行われたが、これは「日鮮同祖論」という観念と密接な関係があった。日朝両民族は古代において同族同根であったという理解に基づいて、現実における極端な同化政策も歴史的必然性と正当性を持つと考え、そのために朝鮮民族の歴史と文化が否定されてしまうことについて充分な認識を持ちえなかった。

 「日鮮同祖論」が朝鮮民族に対する支配と同化のイデオロギーとなった時、同祖論は現実と遠く離れた古代に一つの幻想世界を造り、そこから自己の都合のよい論理だけを持ち出し、それを現実における日朝関係に便宜的に使用し、現実と甚だ乖離し、あるいは現実を無視した論調を生み出したのである。


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