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「日鮮同祖論」を通してみる天皇家の起源問題

2.「日鮮同祖論」の特徴

3.同祖論者たちの民族観・天皇観 

 同祖論者たちにおいて一致性を見出しやすいものの一つが民族観であった。「人種交替説」を特色とする明治期の日本人種論は日本民族を幾つの種族の融合によって形成されたものとして理解していたが、この点は同祖論者たちも全く同じであって、いずれも日本民族の形成を多元的に捉えたところに特色があった。保守的な国体論者たちが「記紀」神話に基づいて、日本民族は共通の祖先神に由来する単一民族であるとする主張を主観的な単一民族論だとすれば、同祖論者たちの民族観は混合民族論とも言えるものであり、学説的には杜撰な面があるにせよ、日本民族の形成を多元的に捉えたことは「記紀」神話に基づく主観的な単一民族論よりは合理性を備えていた。

 同祖論者たちが混合民族論を取り、日本民族の形成を多元的に捉えたため、彼らは古代日本における中国・朝鮮からの渡来人の役割に対しても積極的に評価し、このように積極的に渡来人の役割を評価する立場からすれば、朝鮮の古代文化も当然のことながら肯定的に捉える方であった。金沢が1929年に著わした『日鮮同祖論』の冒頭で、「昔の朝鮮は文明国である。わが国から見て特にそうであった」8)と述べていたことが同祖論者たちの朝鮮の古代文明観をある程度代弁していると考えられる。もちろん金沢と久米が古代の朝鮮は日本と同じ神国であった言っていたように、同祖論者たちの朝鮮の古代文明観は日本を尺度にその価値を量るものであった。

 ところで、同祖論者たちの混合民族論に代表される民族観は別の一面においては民族優越性を鼓吹する傾向を濃厚に見せ、それがまた彼ら独自の天皇観を生み出した。

 山路は日本民族は凡そ満韓型の人種・呉越人種・アイヌ・コロボックルを中心に構成されたと主張したわけであるが、そこでは彼が日本民族の根幹を成したと考えていた満韓型の人種の優秀性をことさらに強調した。山路は満韓型の人種は政治的天才性を備え、その時代において最も精鋭の武器を所有し、皇室を日の神の子孫であるとする天神信仰を持つなど日本列島内に先住していた呉越人種・アイヌ・コロボックルなどより邊かに優れ、この優秀な種族が雑多な種族を征服・同化して日本民族を形成したと主張した。

 山路は「記紀」神話を歴史主義的に解釈することで、「記紀」神話に対する自由な研究と合理的な批判を可能にしたばかりではなく、天皇の権威を「記紀」神話に求めることを反対するなど、近代天皇制と国家神道の精神的基盤である「記紀」神話を神聖な地位から引き下ろし、ある意味での「記紀」神話の崩壊をもたらしたのである。しかし、その崩壊した神話に変わるもう一っの神話を彼は民族優越性論に求めたのではないだろうか。そしてこの民族優越性論は民族の優劣論が盛行していた帝国主義時代において、朝鮭と台湾を植民地にしてすでに内部に多様な民族を抱え、それを同化していくことが国家の氏名とされた近代日本の現実によりマッチした論理であったと言える。

 日本人種論を通して天皇家を中心とする古代支配層の優秀性を説く傾向は他の同祖論者にも共通して見られる現象であった。

 田口は天孫族の起源を彼が歴史上アジア大陸の中でもっとも優秀な民族であると考えていたモンゴル民族に求め、日本、ハンガリー、トルコの人種こそサンスクリット語を祖語とする本家筋のアリ丁アン人種に属したと主張するなど、日本民族を常に最も優秀な民族と結びつけていた。竹越も彼が「海国人種」と呼んだ日本人の祖先の主流が古代のヨーロッパやオリエントの主要人種を形成したセミチック人種とハミチック人種の融合によって形成され、この人種が南方の海路を通って日本列島に到達したと主張した。そしてこれは単に明治期の脱亜論と黄禍論との関係だけでは解釈しきれない問題である9)。やはり彼らも山路のように日本人種論を通して一種の優秀民族神話の創造を試みたと言えるわけである。

 さらに鳥居は日本民族を多種族から構成された雑種民族である規定した上で、このような雑種民族は帝室を中心として統合され、それが日本の国柄であると主張した。ここでは天皇制は多様な種族的要素を統合する統合システムとして位置づけられているが、このような思想は明らかに近代日本の持つ国家的性格の一面を反映したものである。すなわちすでに幾つかの植民地を抱え、海外への膨張を特徴とする近代日本が置かれた時代的状況が混合民族論を生み出しやすい環境を作り、この混合民族論においては、「記紀」神話に成立を求める単一民族の「祭司王」としての天皇の神格よりは、混合民族の統合する君主としての天皇の優越な政治力の方がより強調されたのである。

 喜田の場合も、いわゆる天孫種族を多種族から構成された日本民族の核心として提え、日本民族はすべて天孫種族によって征服・統一されたと主張した。ただ、山路、田口、竹越らの場合と異なるのは、喜田は武力と政治力よりは天孫種族の優れた包容力と同化力に力点をおいた。しかし、ここでも幾つかの他民族を植民地とし、日本の内部にもアイヌ、非差別部落問題などを抱えて、それらを統合し、同化することを使命とした近代日本の国家的性格を茸きにしては考えられないことである10)

 人類学者ピーテイは王権の宗教的もしくは聖的局面を具現する「王の儀礼」(royal ritual)の特徴を(1)王の起源神話的局面(ビーティは王の起源神話は歴史的事実であるよりもむしろある種の儀礼であると見なされるとしている)、(2)王は彼が統治する領土や住民と神秘的に同一視されるという局面、(3)王は普通人とは異質の存在で優越性を有するという局面、(4)王の世俗的権威の局面の四つに分けていた。

 この四つの特徴に照らしてみると、同祖論者たちは(3) (4)に力点をおいて、天孫族の種族としての優秀性と政治的統治者として天皇の世俗的権威をより強調したことが分かる。そのために、彼らにとって(1) (2)の特徴を示す、天皇の起源神話と天皇の土着性にそれほど拘らなかったと考えられる。これは保守的な国体論者たちが天皇の起源神話と天皇の土着性を固執したのとはよい対照をなす。


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