『古事記』『日本書紀』の神話には「高天原」という世界が登場する。神話の世界では天界である「高天原」、地上界である「葦原中国」、地界である「黄泉国」という三層構造になっており、「高天原」は王権支配の正当性・神聖性が由来する天上の神聖な世界であった。
ところで最近、この「高天原」の遺跡が韓国で復元(?)され、注目を集めている。「高天原」があるのは韓国の東南部・慶尚北道の高霊郡である。ここには「高天原故地」と刻まれた碑石(縦6m、幅2m)や「高天原の詩碑」「日本の和歌碑」などが建てられている。この「高天原」は高霊郡にある伽耶大学校という地方大学のキャンパスに位置している。なぜ「高天原」が大学の構内にあるのかというと、「高天原=高霊」という主張を展開しているのが伽耶大学校総長・李慶煕氏だからである。
もっともこの「学説」の主唱者は高霊郡に住む郷土史家・金道允氏である。金氏の諭文によると「日本書紀』(神代上)には素戔鳴尊(スサノオノミコト)が高天原から新羅の「曾尸茂梨(ソシモリ)」に降臨したという記述があるのだが、牛は韓国語で「ソ」であり、頭は「モリ」であるから「曾尸茂梨」は「牛頭山」であるという。これは慶尚北道にある伽耶山(伽耶山には「牛首里」という村がある)を意味し、伽耶山は大伽耶国の領士の一部であり、大伽耶国の都が高霊だから「高天原」は高霊にあった、ということになるという。
ところで「高天原」が韓国にあるという主張は金氏の学説以前にも存在した。実は「牛頭山」という山は韓国のあちこちに存在し、「高天原」比定の根拠になっているのである。日本の植民地時代には江原道の春川にある牛頭山が「高天原」に比定されており、また李沢東『高天原は朝鮮か――古代日本と韓来文化』(新人物往来社、1975年)では慶尚南道居昌郡にある牛頭山を根拠に居昌郡が高天原であるとされている。
要するに「高天原」は「牛頭山」の位置によってどうとでも変わるのである。このようないい加減な根拠にもかかわらず、この怪しげな「高天原」では毎年「高天原祭」なる行事が行なわれ、日韓友好と村おこしに大々的に活用されている。「高天原」には大阪青山短期大学学長が奉納した石灯籠や日本人による歌碑が建てられ、「素戔鳴尊」による村おこしを進める島根県佐田町は「高天原」のある高霊邑と国際交流を行なっているという。
以上、韓国の「うさんくさい施設・旧跡」を見渡した。この手の施設・旧跡は若干の検討を加えれば容易に馬脚を現わすのであるが、韓国ではこうした施設・旧跡が韓国人に日本に対する文化的な優越感を感じさせ、民族意識を高揚させることができるためか、表だった批判は加えられていない。もちろん韓国の学界でもこれらの施設・旧跡は学術的根拠のあるものとして認められていないのである。それにもかかわらず日本の自治体関係者や交流団体が日韓友好と称してこうした施設・旧跡に参拝しているのは憂うべき現象である。こうした施設は日本人と韓国人が歴史的共感を容易に得られるという点で安直で便利ではある。しかし、こうした史跡や遺跡は、「日本や日本人、日本文化のルーツはすべて韓国である」という韓国人の嗜好に合った歴史認識によって作り出されたものであることを認識しておく必要があるだろう。
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