その他指摘をしたいことは多いが、紙数がないので、まとめに入る。日本では古代史を語るに当たって、魏志倭人伝に基づく「邪馬台国」や、考古学が優先する。古事記・日本書紀に基づく高天原物語や国家形成のいわれについては殆んど触れない。そのため高天原は韓国に持ってゆかれた観がある。
ところがその「韓国高天原説」は強引に過ぎる。韓国の古典である『三国史記』や『三国遺事』は古代において韓国から日本に移動して、日本を造ったとは、どこにも書いていない。壇君神話にしても、新羅・加耶等の神話は、いずれもそれぞれの地域に生まれた神話である。もちろん日本の記・紀も高天原は韓国にあったとは書いていない。それぞれの神話は天から降臨した点で共通性はあるが、新羅や加耶のように父祖が卵から生まれるとか壇君神話のように熊女と交わって生まれたとかの記述はない。
日本書紀は編集に当たって当時の伝承を忠実にまとめたので、「一書に曰はく」としていろいろの説を紹介している。多い場合は十数種に及ぶ。皇室に不利なことも述べられていて決して国定史観ではない。史実に対する忠実な再現の態度には驚くべきものがある。
それらの中から都合のよい伝を抜き出せば、高天原韓国説も仮説として成り立つ。それでは高天原はどこにあったのか。吾郷清彦著『高天原論究』(霞ヶ関書房)は、二十数ヶ所挙げている。場所を特定するよりも、もっと大切なことは、神話の持つ意味を知ることである。神話にはそれぞれも民族の個性や信仰や詩歌・哲学等が盛られている。自らの神話をよく味わい、それがいかに国家形成に繋がり、現代にも生きていることを知ることである。
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