韓国に造成された高天原

韓国高天原説への批判 

 我々は今年の五月高天原故地を訪ね、李総長の講演も聞いた。同行の青年学徒・鈴木朝雄君は次のように批判する。李総長は「韓国の史書『東国興地勝覧・高霊篇』によると、大加耶の始祖は『伊珍阿鼓〈イジンアン〉』である。国際文化研究所センターの上垣外氏も、伊珍阿鼓とイザナギはほとんど同音といっている」という。しかし伊邪那伎の「イザ」は誘う言葉であり、十は助詞のノにあたる。キは男性を示す接尾語であってイザナギは明かに日本語の意味を持っている。それに記・紀は、伊邪那伎、伊邪那美を夫婦神として描いているが、伊珍阿鼓には妻がないではないか。

 また李総長は「任那は韓国語の『IMNA』で『主人の国』或いは『お母さんの国』を意味する。大和政府は高霊の地にあった加羅を『任那加羅』と称していたことからも、任那は大和政府の母国であったことを十分知り得る」と言っている。

 李総長が言う任那は、四世紀中ごろから南朝鮮にあった加羅諸国の別名である。日本は駐在官を派遣し、統治していた。それは白村江の戦(六六三年)まで続いた。日本書記にも「任那」という呼称は、約百ヶ所に出てくる。日本はその「任那」を「主人の国」という意味で呼称したのではない。広開土王碑(四一四年)にも「任那加羅」の国名が刻まれている。韓国人も「任那」と呼称していたのである。


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