ところが桓武天皇の生母どころの話ではない。平成十一年六月二十八日に、韓国慶尚北道高霊邑に、「高天原公園」が造成せられた。この公園は加耶大学校の敷地内に造られ、広さは五万坪に及ぶ。そこには「高天原故地」の標碑が建ち、「高天原居住神之系譜」を掘り込んだ碑もある。その碑には、伊弉諾尊〈いざなぎのみこと〉から天照大神・瓊瓊杵尊<ににぎのみこと>に至る高天原の系図が描かれている。これらの神々はすべてこの地に住んでいたというわけである。
この公園を造成した加耶大学校の総長・李慶煕経済学博士は、別に「高天原」と題する巨大な詩碑も建てている。この詩の前段はハングル、後段は日本文になっている。
「高天原」 李慶煕
昔此の地を高天原と呼んだ
山や川、土と石は皆昔のままだ
此處に数知れぬ多くの人が生れ
働いて子を産み育て
老いてはこの地に埋もれた
見よ向いの山の加耶王陵を
昔、この地の人達は
遙か遠くアルタイの流れを汲み
その人々の子や子孫は
あるいはこの地を開き、あるいは
半島の南の加耶の国々を造り
さらには海を渡って今日の日本を築いた
この聖なる高霊の地に生れたわらべらよ、
加耶の清らかな水を飲んで
すなおに育ち
永らくこの地を愛し、
さらに廣い世界へ
羽ばたいて行こうではないか
壮大な作者のロマンではないか。我々の祖先は、遠くアルタイの地からここに住みついて加耶の国を造り、さらに海を渡って日本を造った。(日本に移動することなく、)この聖なる高霊に住む我らはこの地を愛し、世界に羽ばたこうではないか、というのである。
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