1976年1月19日ー1994年3月 会場:新丸ビル大会議室
太平洋戦争によって、日本は根本的かつ急激な変革を強いられ、一時「四等国」ヘの転落を
危ぶまれたにもかかわらず、今や日本が世界における責任ある地位を確保することになった。
しかし、卒直に自らを省みれば、我々には次の二つの大きな悩みのあることを自覚させられる。
第一は、我々日本人自身、特にその指導者である政治家、知識人、マスコミ等の一部が日本の
力とそれに伴う当然の責任を感ぜず、徒らに小児病的心理にとらわれ、今後、日本が国際社会に
おいて貢献すべき重要な任務の遂行に無関心であること。
従ってこの状態を放置すれば、日本の転落は火を見るより明らかなのである。
第二に、戦後我々が自明の理として受け入れてきた西洋文明の精神乃至物質的産物、例えば
「自由」「平等」「民主々義」「人権」「社会福祉」「国連」等が、最近急激に動揺の徴を示し、それらに
合まれる理念が果して真理か、又は神話か疑わしくなったことである。
もちろん我々は軽々に「西洋文明の没落」というような断定を下すべきではない。しかし、その
限界を意識した西洋文明の再評価と、久しく忘れ去られていた東洋の再発見、東洋精神の
再評価と、それに基づく東西文明の融合による真の世界文明の創造こそ我々の任務であり、
心あるものの努力目標であると信ずる。それを促進するには、日本の現実に最も直結している
財界の指導者と日本を憂える学界人が、心を一つにして協力することである。
かかる目標をもって、我々はここに新しい文明を語る会を設立することになった次第である。
1976年1月19日
世 話 人
石川 六郎 鹿島建設副社長 大石 泰彦 東京大学教授
郷司 浩平 日本生産性本部会長 斉藤英四郎 新日本製鉄社長
桜田 武 日本経営者団体連合会会長 坪内 嘉雄 ダイヤモンド社社長
中島 正樹 三菱総合研究所(株)社長(代表) 木内 信胤 世界経済調査会理事長
田中 直吉 東海大学教授・国際政治学会理事長 中星 健一 東京大学名誉教授
福田 信之 筑波大学副学長 松下 正寿 元立教大学総長
村井 順 日本国際問題研究所常務理事
新しい文明を語る会は、産業人と学界人(PWPA)が協力して創設した会で、毎月、例会を
開き、文明論的観点から今日のあらゆる諸問題の解決のあり方を探究しています。
毎回のレポート要旨は事務局で纏めています。また成果の一部を何回か出版しています。
『日本人の可能性』プレジデント社 1981年03月10日
目次 まえがき 激変する国際情勢から明日を考える―小室直樹
T 日本経済と国際情勢緊張のゆくえ
日本経済はどうなるか 日本経済を支えるカギ―中国問題
緊迫する日ソ関係・ 日米対立の危機
「シルクロードと文明」 新しい文明を語る会 編
中村元 鎌田茂雄他 プレジデント社