インタービュー (PDFファイル写真付き 日 ・韓・中・英4か国語訳はこちら⇒)

”和の文化”を創出する日本の人間自然科学研究所 小松昭夫理事長

まえがき (徐世旭編集主幹)

島根県の奇人企業人

小松家先祖代々がくらして来た島根県は、文字通り“島の根”、すなわち、日本の根となる場所
といわれる。特にこの地名を韓国の人びとが聞き慣れている理由は、日本では竹島といわれる
独島が「島根県に属している」と人々に広く知られているからである。(日本人が竹が一本も無
い岩の島を、なぜ竹島と呼んでいるのか知らないが)。
島根県の県庁所在地松江。小松理事長の名前に「松」が入っているのは、松江に根を張って生
きるという運命的関係をあらわしているようにも見える。
日本人は木の中でも伝統的に、「松」と「竹」を国を代表する木のように思い、好む。人の名前
と地名に「松」と「竹」は、薬屋にとっての甘草(漢方薬に甘草が不可欠であるように、欠くこ
とのできないもの)のようによく使われている。

筆者は6年前に、松江を2回訪問した。2回とも小松理事長に会うためであった。
松江という都市名に相応しく、その都市はまるで水に浮かんでいるように見えた。規模は人口2
0万程度の中小都市だが、一枚の絵のような、風光明媚な雰囲気が漂っていた。特に海と河が出
逢う汽水であることが、美しい景色を醸し出しているかもしれない。
筆者はこれまで日本の大小あわせて30カ所の都市を訪れているが、松江ほど感銘を受けた街は
なかった。どこからでも水と松の木を望む松江が、さらに美しく見えたのは、小松昭夫という
奇人がいたからかもしれない。

小柄なこの奇人に付いては、6年前「市民時代」に紹介したことがある。記憶力が良い読者は頭
に刻まれていることと思う。
筆者と小松理事長の縁は、3年前お亡くなりになった李廷錫先生の紹介からであった。
先生は木曜学術会の会員で、筆者に良いアドバイスをくださった恩人である。先生の日本に対
する総体的な理解は、時々日本の知識人を圧倒するほど卓越したものであった。先生が小松理
事長を紹介した理由は、彼の韓国に対する格別な関心と行動からだった。
彼は何よりも、過去に日本人が韓国人を苦しめたことを謝罪し、少しでもそれに対して補償し
たく、独立記念館・白汎記念館・安重根義士紀念館などを訪問し、躊躇することなく献花・寄
付を続けた。

最近(5月初旬)にはヨーロッパの、オランダ・ハーグに飛び込んで、独立指導者・李儁烈士記念
館を訪ねて頭を下げた。そして過去の日本の暴力が韓国だけではなく、アジア全体を蹂躙し、
数多くの人民に不幸をもたらした過去を、ただ「反省と補償」をする限定的なものだけでは、
この地域に恒久的な平和はつくれないという点に気がつき、国際的な平和運動に取り組むよう
になったのだ。

小松理事長のこのような行動を見つめた故・李廷錫先生は、筆者を含め多くに人に彼を知らせ
た。小松理事長を取材して以降、6年余りの間、彼とはほぼ1年に一回くらいの割合で会ってい
る。3年前の木曜学術会創立30周年の際には、喜んで釜山を訪れお祝いをしていただいた。
筆者が今月号に彼との対談記事を掲載するようになったのは、先月6月14~17まで釜山BEXCOで
開催された国際食品産業展に彼の会社が出展することからだった。小松理事長が6月16日に釜山
を訪問した後、麗水EXPOを観覧するというスケジュールが分かったのが契機となった。

私は彼の釜山訪問日程中、済州島に行く予定があったが、それを取り消し、彼の釜山の日程と
合わせることにした。彼の日程を、1日前の6月15日に釜山を訪問するようにできないかと意向
を伺った。理由はその日の18時、「市民時代」を発行する木曜学術会が釜山商工会議所で開く、
国内最高の李瞬臣将軍研究家である金ジョンデ最高裁判事の壬申倭乱(文禄慶長の役)から420
年を迎えた「李瞬臣『臣はすでに準備を整えました』」出版記念講演会の場に、小松理事長の参
席が大きな意味を持つと思ったからである。

それは彼にとってもよい情報になり、手助けになるとなると判断した。それは日本が、韓国を
植民地化した歴史事実はよく理解しているとしても、豊臣秀吉が指揮した壬申倭乱や、その戦
争を勝利に導いた世界的な英雄、李瞬臣に付いてはそれほど理解していないだろうと思ったか
らだった。
幸い理事長は筆者の要請を受けて1日早く入国し、雨不足を癒す恵みの雨の中、会場に到着され
た。

あくる日、6月16日午後、筆者は彼を海雲台(ヘウンデ)の椿島(ドンベクソム)の「ヌリマル」
へ案内した。APEC首脳会談があった場所である。その場所を紹介するとアジアの平和のために
努力する彼に、ある種のインスピレーションを与えることが出来るかも知れないと思ったから
であった。
そして、美しい海雲台が象徴する韓国最高のウォーキングコースを歩きながら対話するのが、
より意味があると思った。

通訳は、本誌の成賢貞さんが務めた。彼はこの数年間、これまでの「平和運動」から、「和の文
化」運動へ、より本質的で広い意味の平和運動に、変化を図っていることに、会話の焦点を合
わせた。次は彼との対談内容である。


Q1 理事長は、20年あまり前から国際的な平和運動を展開して来ました。政治家でもなく、
  社会運動家でもない企業人として、平和運動に関わった特別な動機がありましたか?


工業高校の機械科を卒業後8年間、農業機械の研究開発に従事、閃きから想いを描き、演繹法・
弁証法・帰納法を用い、現実化させる手法を身につけました。26歳のとき、その会社が倒産、1
ヶ月間の座禅で、未来ではっきりしているのは死のみと気づき、どのように死を迎えるかとい
うことを確定、死後のことも想定して、人生のストーリーを思索する思考回路が生まれました。
2年間、大阪で小規模ビジネスの実践を学んだ後、1973年、28歳のときに、韓国でもよく知られ
ている「竹島の日」をつくった島根県で、弟と2人でポンプ修理・電気組み立て業を始めまし
た。地域に1社しかなかった制御盤・配分電盤業の会社を目標に、力を合わせ“追いつき追い越
せ”で、家族と社員が生きていくための30人の家業をつくりました。

32 歳の時、初めての海外旅行で、戒厳令下の韓国に行きました。夜間の相乗りタクシーで私が
日本人ということが原因でトラブルに巻き込まれたことと、その後、軍事評論家・海原治氏の
講演で、「明成皇后暗殺事件と七奪」という話を聞いたことの2つが重なり、その後の私の人生
に大きな影響を与えました。

社会インフラの変化を追い風にして、身の丈に合った社会問題を経営資源と捉え、人材、資金、
先端技術を投入、シートシャッター門番と、総合水管理システムやくも水神の2つの環境事業を
興し、市場を創造、ブランド化、その収益で社員教育と研究所の活動を続けてきました。


Q2 理事長の平和運動には、財団法人人間自然科学研究所が中心になって来ました。
  その設立趣旨と事業、その間の事業実績を紹介してください。


 1988年、知で社会が改革できる時代が来ることを予感し「知革塾」を立ち上げ、1994年、人間
としての尊厳が問われている日本人が、未来への展望を拓くストーリーを描くために「人間自
然科学研究所」をつくりました。
3年かけて準備をし、1997年、日本人として初めて韓国の独立記念館に、未来を拓くために謝罪、
献花・寄付、そして趣意書を手渡しました。その後、韓国、中国、米国、露国、欧州の「戦争
と平和博物館」への公式訪問と研究訪問を続けました。また、郷土の治水の偉人、周藤弥兵衛、
清原太兵衛、大梶七兵衛の小説・児童文学・漫画を出版、記念シンポジウムを開催。日中戦争
で島根・鳥取の兵士が大きな災難を与え、日本側も壊滅的な打撃を受けた中国山東省、国共合
作の地の記念館に公式訪問し献花・寄付、そして趣意書を手渡しました。日中国交正常化30周
年記念事業として孔子、孟子、周藤弥兵衛、清原太兵衛の4体の銅像を、その地で制作。孔子、
孟子像は鳥取県につくられた日本一の中国庭園「燕趙園」に建立しました。その後、日本の七
福神の源流ともいわれる八仙人と西王母の大理石像建立の支援、さらに今までの活動を、孫子
のふるさと中国東栄市から評価され、孫子の銅像をいただき、あわせて建立しました。ソウル
支社設立を記念して、韓国で大運河の建設計画が進められていることから、金顕哲先生のご支
援を得て、韓国語で3人の治水の偉人の漫画を出版しました。「国民日報」でも3人の治水の偉
人の特集記事が掲載され、ウラジオストク、東海、境港を結ぶフェリーで、韓国語漫画ととも
に読めるようになっています。また1998年、本社工場竣工記念として、中国「伝世蔵書」全123
巻を島根大学に寄贈、1999年、研究所の理論を体系化した「太陽の國IZUMO」を出版、2002年「日
中英対訳論語」、2008年「中日韓英対訳中国古典名言録」、2011年「朝鮮半島と日本列島の使
命」の編纂、国際シンポジウムの開催、そして活動の映像記録をつくり、対立・統合・発展の
サイクル「和の文化」が生まれる“共感のプラットフォーム”をつくる準備をして来ました。
これらが平和活動家と見られる原因だと思います。


Q3 ところで、今までの一貫して推進した平和運動が、最近は「“和”の運動」として
  より広くて深くグレードアップされた感じを受けますが、“平和”と“和”は、どこか
  似たように見えますが、あえて「和の文化」を強調する理由は何でしょう?


 核の抑止力が効くなかで、世界規模の金融混乱が「信」の崩壊の連鎖を招き、人類がつくって
きたあらゆる組織は内部崩壊か、進化かの分岐点に立っています。
私は事業と研究所の活動を通じて、北東アジアを中心に、共感のプラットフォーム「平」を創る
プロセスで「信」を生み出し、対立、統合、発展を繰り返す「和」の生まれる環境を整えてきま
した。

人類は火を取り込み、火は火薬、ダイナマイトを経て核に至り、広島、長崎に原子爆弾が投下さ
れ、東西冷戦の時代を経て、米国、露国、中国の三大核大国と、たくさんの核保有・準核保有国
をつくりました。また原子力発電所は世界中に作られ稼働していますが、スリーマイル島、チェ
ルノブイリに続き、深刻な福島の原発事故が起き、世界の稼働中・建設中・計画中の原発に大き
な影響を与えています。
また言葉は文字、印刷、そしてスマートフォン、タブレット端末、クラウド・コンピューティン
グの時代を迎え、情報の共有化が世界規模で急速に広がってきました。人類の生活基盤である衣
食住は国境を超えた分業が進み、後戻りできない状況に至っています。
人類の長い歴史のなかで、三大核大国の結節点である「日本列島と朝鮮半島」に、人類進化存続
のための共感のステージをつくり、米国のスマートパワー、中国の和諧、韓国の和諍、日本の和
譲から叡智を借り、真の「和」を生み出す、見識と知恵と勇気、そして行動力が試されています。


Q4 一般的に儒教・仏教文化圏で“和”は、一番人間的であり普遍的な価値で、生活の
  中に深く染みていて、決してなじみの無い概念ではありません。日本における’和の
  文化’をもう少し分かりやすく説明して頂けないでしょうか?

 カントの「人類は通常の状態が戦争状態であり、それゆえ平和は創り出さねばならない」は、
示唆に富んだ言葉です。これは私見ですが、「和」は、共感の舞台「平」の上で、対立・統合・
発展を繰り返す過程であり、静止状態ではなく、中庸の生き方から生まれる拡大する螺旋運動
と考えています。
天才、弘法大師空海は1100年前に中国から真言密教を日本に持ち帰り、京都の東寺講堂に立体
曼荼羅をつくりました。私はこれを見て「人類はおかれた環境により、限りなく悪魔にも、天
使にも近づく、非常に多様性のある生命体」と感じました。時間と空間の間合いを生かし、会
話のできる環境を整えれば、あらゆることは論理的に解決、希望の生まれる未来を描くことが
でき、グローバル化した世界において、3大核大国に囲まれた朝鮮半島と日本列島が、長い人類
の歴史のなかで、世界に広がる「和の文化」を生み出せるあらゆる条件が整った唯一の地域で
あると確信するに至りました。


Q5 理事長が言われる「和の文化」を創出する人間自然科学研究所のプロジェクト構想で、
   人類が遭遇した現状を、対立様相を生かし、人類社会の新しい進化のためには、
   「和の文化」が必要であると強調されました。とても適切な分析と思われ、その処方も
   正しいのではないかと思います。それであるのならば、人類社会の新しい進化のため
   の「和の文化」の具体的な実現方案は何でしょうか?


 「合成散敗萬古定理」(合わせれば成り、散れば敗れる、普遍の定理)
「衰颯的景象 就在盛満中 発生的機緘 即在零落内」
(繁栄の極みに衰退の芽は生じ、衰退の極みに繁栄の芽は生ず)

日本での長い生活のなかで、 怨念・恨みを抱く人、あるいは諦め・無関心を装う人、逆にその
立場を生かして経済的・社会的に大きな成功をおさめた人、これからチャレンジしようとして
いる人など、日本には40万人ともいわれる特別永住権をもつ在日韓国朝鮮の方々がいらっしゃ
います。そういう方々と、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、日本の国民とともに、中国、
露国、米国の理解を得て、世界的な「和の文化」を創出する役割がまわってきたと確信してい
ます。その具体化への入り口は沖縄、尖閣諸島、台湾の海峡、独島竹島を中心とした日本海、
北方領土にあります。その時期は今です。
使用済み核燃料の再処理計画の先行きが見えないことも重なり、これに失敗すれば、国家民族
の崩壊のみならず、人類崩壊への導火線ともなり、史上かつてない大きな罪を犯すことにもな
りかねません。


Q6 そして、日本周辺の“和の文化圏”として、沖縄・尖閣諸島・台湾の海域と、独島を中心
  とした、日本海などと言及されましたが、これは、余りにも日本本位の「和の文化」を考え
  るという誤解の余地があるという点と、一方では'和の文化'の必要性が日本のためにひき
  起こされると見ることもできるだろうと思いますが、この点はどのように思いますか?


 和の文化圏は、決して日本本位で考えていることではありません。
日本が初めて内政化(植民地化)した地は、明治維新後の琉球処分から生まれた沖縄県です。
また沖縄は大戦後、米国の施政下に入り、朝鮮戦争、ベトナム戦争の前線基地となり、日本返
還後も米国を中心とする西側社会の中枢基地として、中東を含むあらゆる戦争と平和に関わっ
て来ました。
日本が持っている諸問題、尖閣諸島、台湾の海峡、北方領土問題、独島竹島を中心とした日本
海 を巡る 日本と韓国、日本と朝鮮民主主義人民共和国 、韓国と朝鮮民主主義人民共和国間の
緊張による朝鮮半島の問題、すべてが当事国間だけではなく、世界を見渡し人類史的な視点か
ら考え、人類の未来を拓くチャンスを私たちに与えています。
今、世界は金融経済の行き詰まり、核拡散、放射能、紛争、自殺、耐性菌の発生と免疫力の低
下からくる癌の多発とウィルス蔓延など、困難な状況に陥っています。そういう時代背景の中
で、日本は韓国、中国や他のアジアの国々から、過去の歴史問題について厳しい指摘を受けて
います。日本人として20年にわたり、加害側の戦後責任を果たすため、私を団長とする訪問団
を結成し、過去に内政化や交戦した国々に謝罪と、因果関係とその背景を学ぶ旅を続け、「和
の文化」の流れを生み出す舞台をつくる準備を進めてきました
Q7 まず、沖縄の場合、彼らに犠牲を強要し、苦しみを抱かせた歴史は、もっぱら日本による
蛮行の結果であり、独島の場合も日本の無理な領土拡張の野望による結果であると歴史が言っ
ています。日本が武力で朝鮮半島を侵略しなかったら、独島問題は日本が主張する何の理由も
無かったことと思います。この機会に理事長の独島に対するはっきりとした立場をお聞きした
いです。

 これから人類は世界規模の「信」の崩壊から困難な時代に直面します。独島竹島、日本海東海
呼称の問題については、日本、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国の三カ国の見識が問われる
問題であり、人類史の評価にたえ、世界の紛争地帯に希望と勇気が生まれる事例にしたいと考
えています。そしてこれは世界の中で生きることを宿命付けられた、日本と大韓民国、朝鮮民
主主義人民共和国が必ずやらなければならないことであり、まず日本と韓国から、国民という
立場で、議論の場を設けなければならないと確信しています。

日本、韓国でもよく使われる「固有の領土」という表現については多少違う見解を持っていま
す。領土は国民国家の時代以降の概念だと考えています。経緯と現状を踏まえ、未来を見通し、
関係国の協議・承認によって領土が確定します。このプロセスが国民の見識を深めるのです。
「固有の領土」は世界中どこにもないのではないかと考えています。
私の故郷であり、また会社の本社がある島根県が「竹島の日」をつくることに、私は熟慮の上、
賛成しました。なぜならば、 歴史、独島竹島、海洋呼称問題など、あらゆる問題をテーブルの
上に上げ、先端技術と時間・空間の間合いを生かし、共感のステージで、対立のエネルギーに
統合のエネルギーを組合せ、対立・統合・発展を繰返す「和の文化」を創出できる時機が来た
と確信したからです。


Q8 悲しい歴史の島、沖縄に’国際平和センター’の創設を始め、近代戦争のすべての犠牲者
を記録する'メモリアルタワー'の建立、世界の戦争と平和と関連する写真と映像が見れる'世界
平和・戦争記念館'の建設、平和の貢献者の発掘し、世界に知らせ、'和の文化オリンピック’
などを開催する'和の殿堂’建設などを理事長は提案されました。とても奇抜なアイディアです。
これが実現さえすれば人類の平和増進に、大変な影響を及ぼすと思います。問題はどのように
実現するかが重要ですが、理事長が具体的な腹案はおありでしょうか?
沖縄は悲劇の島であったと同時に、基地の島として、世界に悲劇をもたらした、両方の側面を
もつ島です。この島に日本、米国はもとより、世界の人たちの未来を拓く知の施設をつくるこ
とは、異論のないところだと確信しています。 
まず日本人と在日韓国朝鮮の方々との間で話し合いから始めるべきではないでしょうか。人類
益という目的のもとに、使命を帯びた人による集団ができれば、ヒト・モノ・カネが集まり、
発展のサイクルが生まれます。「ゼロからの創造」のプロセスは21世紀の家庭、会社、国家、人
類社会などすべて本質は同じであり、持続可能な新しいコミュニティを構想する鍵になります。
沖縄音楽の研究者から、次々と博士が生まれていると聞いています。「武器の替わりに三味線を
もった琉球という王国がある」ということを、ナポレオンが聴き、「つぎに生まれてくるときは、
そういう国に生まれたい」と言ったという逸話が残されているそうです。「会えば兄弟」と言う
言葉は、沖縄でいまも使われています。

縁あって、ノーベルの秘書を務めたこともある、女性ノーベル平和賞受賞者第1号であるベル
タ・フォン・ズットナー女史の記念館建設の話が、オランダ・ハーグでの講演を契機に、「平和
のための博物館国際ネットワーク」理事会の統括ディレクターのピーター・ヴァン・デン・デ
ュンゲン博士から、私のところに持ち込まれました。この記念館を沖縄につくることを提案。
これから素案をまとめる段階です。これに先立ち、胸像を制作し、ズットナー展を沖縄で開催
したく、関係者と協議中です。
このプロジェクトは核大国である米国、露国、中国のみならず、世界の子どもたち、女性、男
性に支持されると確信しています。このような流れになれば、朝鮮半島、日本列島、そして世
界も新しい時代に向かうのではないでしょうか。

Q9 理事長は、'和の文化'の創出において、人類全体よりも、まず、朝鮮半島・日本・中国に
  重点を置いているように見えます。とても当然のことと存じます。現在、この三ヶ国間には、
  領土・過去史問題が横糸と縦糸で編まれ、ソロモン王の知恵でも解き難い乱麻のように絡まっ
  ています。韓・日間の独島・従軍慰安婦・強制徴用・文化財回収の問題があり、日中間には、
  領土問題と日清戦争以後の補償問題がかかっています。問題は、3カ国の和のためには、何より
  も先行されなければならない日本の謝罪とそれに伴う法的・人間的補償です。日本は、戦争が
  終わって67年が経つ今日まで日本が行った残酷な犯罪と悪行を認めようとしないで、それに対
  する真の謝罪も回避しています。
    理事長もご存知のように、個人間の関係でも激しい葛藤と対立があっても、お互い是非を明確
  にし、誤った人が謝罪をし、容赦を求めると和解が出来ます。この和解こそが理事長が成そう
  とする“和”の本質ではないでしょうか?ですので、いまにでも、日本と日本国民が誤った過
  去の過ちについて謝罪をし、それに対する補償をすると“和”は日本国全体で噴出する温泉の
  ように溢れるでしょう。東北アジアは勿論、世界の“和の創出”に画期的な契機を備えること
  が出来るのではないでしょうか?「和の文化」創出に尽力なさる理事長が率先して、日本国内
  で意を一緒にする人に、誤まった歴史に対する日本と日本国民の反省と謝罪が出来るためにす
  べての努力に集中されるのが“和”を成す出発点になると存じますが、これに対する理事長の
  見解を聞かせてください。


まったく同感です。多大なる災難を与えた世代の子孫として、日本人として各国をまわり、戦
後責任を果たす入口として、謝罪をしてきました。六カ国協議のメンバーである大韓民国、朝
鮮民主主義人民共和国、日本の三カ国に関わるあらゆる歴史問題をすべてテーブルにあげると、
問題が山積みになり、憤りや、ため息が出るはずです。
山積した問題群を、私は「禍」と定義しています。「禍転じて福となす」という言葉もありま
す。これを戦前、戦時、戦後責任の、三つの責任に分け、技術革新の成果を組合せれば、「福」
すなわち「和」を生み出すことができると確信しています。いま大きな問題になっている、竹島独島、
日本海東海呼称、慰安婦の問題はこのプロジェクトが始まる入口です。

2011年2月22日の「竹島の日」に発刊した「朝鮮半島と日本列島の使命」で述べていますが、2008
年5月の訪韓時に日本大使館前で、 80歳を超えた元慰安婦の方々の日本に対する抗議活動に遭
遇し、その雰囲気と回数に強烈な衝撃を受けました。この抗議行動は1000回を超え、少女の像
も建立され、米国にも既に二つの碑が建立され、今後も多数の碑がつくられると聞いています。
これは日韓両国家と民族の崩壊につながる本質的な問題であり、 日本人はもちろんのこと、 韓
国人の見識と智慧と勇気が問われています。彼女たちは戦争中、大変な受難によって 「尊厳の
命」 を失いました。 私たちに日本人、韓国人、人間としての自覚があれば、彼女たちの戦後
の長い間の困難な尊厳の命を取り戻す活動を放置することはできなかったはずです。

戦争責任とは、戦争を未然に防げなかった戦前責任、戦時責任、そして戦後責任の3つに分類
されます。戦争中に子どもであった世代以降は、戦前責任、戦時責任はありません。あるのは
戦後責任です。戦前に作られた鉄道など社会インフラは利用するが、他国との関係から生じた
怨念、 恨みは先送りするということは許されません。
戦後責任とは、戦争に至った経緯と背景、戦闘行為、そして現代社会の問題を調査研究し、そ
の成果を再び戦争を起こさないことと、恒久平和を生み出す資源として生かすことです。日本
人はもちろんのこと、豊かになった韓国の方々を含めた、今を生きる私たちの子孫と人類の歴
史に対する使命です。謝罪と償い金は、わずかな部分にしかすぎません。


Q10 和の文化」と関連し、核と放射能について憂いを表明され、福島原発事故時の放射
   能災害やそれによる免疫力増進の必要性を言及する中で、発酵食品の摂取を強調
   しています。これを通じて人間自然科学研究所が先端科学と情報技術を結合し、放射
   能に対する免疫力を飛躍的に向上するための発酵先進化を導くというのですが、
   発酵食品が放射能に対する免疫力を増進は何を意味するのでしょうか?

免疫力向上の鍵は、文化、生きることの普遍的な意義の確立と、それを実現しやすい社会シス
テム、そして食習慣にあると考えています。すなわち私の申し上げている「和の文化」そのも
のです。
妻の古くからの知人である、アメリカ・ボストン在住のマクロビオティックの世界的な指導者
である久司道夫氏のネットワーク「ワン・ピースフル・ワールド」日本代表の大場淳一氏に、
長崎被爆医師の記録という副題の付いた『死の同心円』という本をご紹介いただきました。そ
れによれば爆心地から1.8kmのところにあった病院で被爆したのですが、その病院の入院患者
も職員も、原爆症など放射能の直接の害によって亡くなった方は一人もいなかったというので
す。この医師は職員にこう指示したそうです。「塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ」。
この医師の書いた本が英訳されて欧米で販売されており、チェルノブイリ原発事故の後、ヨー
ロッパで味噌が飛ぶように売れたといいます。味噌は言うまでもなく発酵食品です。
菌つまり微生物は多種多様で、人類はまだその全貌を解明できていません。環境の変化と菌の
組み合わせの、新たな相関関係の発見などが期待できます。
朝鮮半島と日本列島にはキムチ、味噌、醤油など、発酵食文化の伝統が受け継がれており、発
酵に適した独自の気候風土もあります。先端技術の成果と、伝統ノウハウを生かし、三カ国の
対立エネルギーに統合のエネルギーを組合せ、研究開発と事業化に取り組めば、この地域を人
類繁栄の基礎となる免疫力の飛躍的向上に向けた発酵食文化の先進地とすることができると考
えています。
2010年のバンクーバーオリンピックにおける金妍兒と浅田真央の活躍は、私たちに希望と勇気
を与えてくれました。対立のエネルギーと統合のエネルギーの組合せが、互いに自己新記録を
更新し、金は史上最高得点、浅田は史上初の計3回のトリプルアクセル成功という素晴らしい結
果を生んだ事例と言えます。
Q11 また、人間自然科学研究所は、世界的な食糧危機に備え、'日本海=東海海洋牧場'を提案さ
れ、この海洋牧場の中心にある独島を'和の文化圏’の発祥地にするため、'日本を含む朝鮮戦
争 関連国の民族衣装を着た女性と子供の群像を建立する’と言っています。それは、理事長
が独島を日本海に属したものと断定しているように見えますが、何か誤解があるのではないで
しょうか?もし、独島を日本海に属するものと認識していましたら、韓日関係だけではなく、
理事長の個人に対する韓国人の認識に大きな波長があると思います。これに対する理事長の立
場を明らかにして下さい。

当研究所は、世界的な食料危機に備え、建築家・安藤忠雄氏も提言されている「日本海=東海
海洋牧場」構想を提案しています。この海域を免疫力向上に資する魚介類の世界最大の生産基
地とする構想です。

これに先立ち、1999年に「竹島独島に朝鮮戦争に参戦した日本を含むすべての関係国の、民族
衣装を着た女性と子どもの群像を建立し、人類社会の未来を拓く島に」と提案しています。
また2002年に、日本海東海の呼称を「中海」に、と提案していますが、無視され続けています。
独島竹島問題と、首相の靖国神社参拝を契機に、中国では上海で抗日運動が起こり、世界的に
困難な時代を迎えているときに、竹島、尖閣諸島、北方領土の、三つの領土問題が紛糾を始め
ました。日本も韓国も西側社会の一員として恩恵を受け、今日の繁栄が生まれました。朝鮮民
主主義人民共和国では、韓国の方々から見れば同胞、日本人から見れば日本の戦争責任・戦後
責任に関わる方々が、大変な苦労をなさっていると聞き及んでいます。
この問題を当事者はもとより、人類社会の未来のために生かすことが、今を生きる関係国民の、
世界に対する戦後責任だと考えています。竹島独島問題、日本海東海呼称問題は、公開の場で
の話し合いがもたれていないことが最大の問題です。これは他の問題も同じです。結論は自ず
から出るはずです。


Q12 理事長は、先月の5月3日、オランダのハーグを訪問され、その町にある、韓国の独立
   指導者リジュン烈士記念館にて献花をされ、安重根義士の'獨立’の書のレプリカを寄贈
   されました。
   日本人のリジュン烈士記念館の公式訪問は最初であったと認知しており、とても難しい
   旅行をされましたが、特別に李儁烈士記念館を訪れた意味があると思います。
   教えてください。


2012年5月に国際司法裁判所があるハーグで開催された「平和のための博物館国際ネットワー
ク」理事会で講演しました。その地にある、李儁平和記念館にて、李基恒院長を訪ね、「獨立」
の書のレプリカをお渡ししました。
ここに至る経緯は、2008年10月に京都で開催された第6回国際平和博物館会議に、安重根義士紀
念館の金鎬逸館長、李惠筠総務部長、宋錫源慶熙大学校日本研究所長を研究所が招待し、その
おりに安重根義士の遺墨「獨立」を含む数点の確認と、韓国展示のお手伝いしたことから始ま
っています。

安重根義士は、旅順、韓国、日本のそれぞれの独立によって、東洋に平和がもたらされると主
張したと聞いています。グローバル化の進んだ現代においては、三大核大国である中国、露国、
米国の理解を得て、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国、日本の三カ国が、世界の期待を担い、
恒久平和の流れを生み出す、特別な役割を果たす時がきたと考えています。


Q13 事実、朝鮮半島は、世界唯一の分断国であり、“不和”の中心地域です。朝鮮半島の
   分断と紛争には、日本の責任も大きいです。しかし、日本は責任を痛感するどころか、
   むしろ朝鮮半島の分断状況を楽しんでいると認識する見解も多いです。理事長は日本の
   指導者の一人として、朝鮮半島の統一のためにどのような役割が出来ますか?
   そして、日本はどのようにするべきであるでしょう?この質問をする理由は、理事長が
   推進する'和の文化'創出に一番核心となる事案であるからです。


朝鮮半島の分断、また朝鮮戦争に至る経緯には、日本に大きな責任があります。日本、大韓民
国、朝鮮民主主義人民共和国の三カ国が、中国・露国・米国の協力を得て、それぞれの特徴を
生かし、世界の平和の流れを生み出す。これは朝鮮半島統一の前にしかできません。苦難の歴
史を歩み亡くなっていった方々と子孫に対する、今を生きる関係国民の義務と責任です。


Q14 理事長は、これまで20年間、日本の良心として、はばかることなく日本の国益・情緒に
   反する言行で日本国内で非難を受けたりされ、ご不便なこともあったと存じますが、この
   ような状況と関連し、たくさんのエピソードがあると思いますが、ここでご紹介頂けないで
   しょうか?
   グローバル時代における国益は、人類益と、国民が努力すれば「人間」としての認識が
   確立できることとの整合性が、必要不可欠ではないでしょうか。

たまにインターネット上で話題になることはありますが、危害を加えられるというようなこと
はありせん。2008年には、「竹島の日」前日に、研究所にインターンシップに来ていた韓国の
大学院の女学生を入れてパネルディスカッションを、2009年には「竹島の日」当日の2月22日に
六カ国協議参加国の国旗を掲げ、シンポジウムを開催しました。右翼の街宣車が取り囲む中、
警察に護られ、700人が参加しました。その時に上映した安重根義士の映像は、大きな感動を呼
びました。参加者は、島根県が開催した公式行事よりも多かったと聴いています。全国紙の一
面にも報道され、多くの関心をいただきました。

2010年には「日本海=東海を囲む 朝鮮・韓国・日本から 世界平和を」というシンポジウム
が女性を中心に開かれ、研究所はこれを後援しました。在日朝鮮の方々でつくる朝鮮歌舞団の
歌と踊りのあと、会場全員で手をつないで踊ることになりました。会場には、数人の右翼とお
ぼしき人がいたのですが、手をつないで踊りの輪に加わったのです。女性による企画の新鮮さ
を、参加者に強烈に印象付けました。この経験はプロジェクトの進展に、明るい展望を感じさ
せました。


Q15 この機会に日本人として、日本と日本人をどのように表現出来ますか?
   長・短点両方でお願いします。


この質問は、誤解を招くおそれがありますので、控えます。
Q16 最後に、今経営する事業をご紹介お願いします。
日本で293自治体、6000施設導入の実績を持つクラウド型総合水管理システム「やくも水神」で
世界平和のブラットホーム構築の一翼を担う流れを生み出すべく、今回中国、韓国を訪問しま
した。
中国では、6月21日、河野営業企画本部長がJICAの方と一緒に中国水利部を訪問。「やくも水神」
システムの今後の中国での可能性について話し合いました。中国では極めて大きな発展が出来
る分野で、近くブレゼンテーションを計画、協力して行く事で合意しました。今年は日中国交
正常化40周年の節目の年。中国山東省の国共合作の地で、「やくも水神」のブランド名の由来で
ある、治水の偉人・周藤弥兵衛翁の銅像の制作に入りたいと計画しています。
韓国では、6月25日、河野、現地法人コマツコリアの尹理事、金マーケティング本部長が韓国水
資源公社を訪問、10数名の方々に、「やくも水神」システムの概要と、今までの経緯、現状、こ
れからの展望を説明させていただきました。韓国は小規模水道施設の監視システムが未整備で、
「やくも水神シ」ステムの導入を検討したいということでした。今後、人的交流を含め、多く
の面でつながりを持って行く事で合意しました。

日本で市場創造に成功した門番事業は、2010年、現地法人コマツコリアを設立、4回のソウル、
釜山での展示会に出展。自動車、機械、電子、出版、物流、医薬、食品業界の方々の関心を集
めました。その結果、ソウルのみならず、釜山・慶尚道地域からも弊社の経営理念に賛同した
代理店も現れています。
本格的なクラウド・コンピューティング、スマートフォン時代を迎え、市民時代と釜山、韓国、
世界の皆様と共に「門番」「水神」事業のみならず、発酵食品や貿易などを組み合わせた、関係
する方みんなが幸せになるような新しいビジネスモデルの構築に取り組んでいます。


終わりに(徐世旭編集主幹)


小松理事長は日本の真の愛国者筆者は、小松理事長とのインタビューを終え、この人こそもっと
も日本的な人であり、誰よりも日本のことを愛する愛国者であると思った。

個人的にも自分自身に対する確固たる信念、もしくは自分の行動に自信が無ければ、人を気
遣い、愛することはよっぽどのことがなければそう簡単には出来ない。まして自分の故郷・
自分の国に対する忠誠心がないと、隣国に対し温かい関心を持って行動に移すのは無理だろ
う。
1980年初めから始まった彼の韓国に対する関心と行動は、韓日両国の特殊な歴史関係を理解
し、そのような歴史認識に根ざして展開してきたと見える。

長い間の彼との交流で感じたのは、彼は抜きん出た歴史認識と文化意識を持っていることで
ある。彼の卓越した歴史観は、人間自然科学研究所を紹介する資料の表題に鮮明に表れてい
る。
「歴史に暗い人は現在においても暗い」と喝破したドイツのワイツゼッカーの言葉と、ドイ
ツをドイツらしく創り上げた鉄人宰相ビスマルクの次の言葉を掲載してある。
「愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ」と...小松理事長がこの名言を最初にあげているのは、
おそらく、自分に不利な歴史を徹底的に歪曲し、背をむけたがる、グローバル人になれない日本人
達に聞かせたい言葉であるからではないか、と考えてみた。
最後にインタビュー要請を快く受けてくださった小松理事長に深く感謝を申し上げる。
                                          (終わり)