「いまだ鎖国を実践中」
【くにのあとさき】東京特派員・湯浅博 2009.2.3 03:13
時代小説に登場する公儀隠密は、有力大名の動向をさぐって不穏な動きを事前に封じた。逆に、
雄藩(ゆうはん)も
これに対抗してひそかに資金力、軍事力を蓄えていざというときに備えた。徳川幕府には対外関係
がほぼなかったから、幕藩体制の中でさまざまな陰謀が渦巻いていた。
これが「鎖国」というものの内実であるのなら、いまの日本の政治もまた、鎖国に先祖返りして
いるかのようである。
このグローバル化の時代に、与野党が「国民生活が第一」というちんまりした孤立主義に陥って、
外の世界を気にかけない。政治の大きなビジョンを描かず、有権者の顔色をうかがってバラマキと
政敵の非難に終始するばかりだ。
党益の小競り合いを繰り返すうちに、肝心の国益が容赦なく失われていく。情けないことに、
よそ様からそんなことやっていて国益の喪失になりませんかといわれる始末である。
マサチューセッツ工科大学のR・サミュエルズ教授らがインターナショナル・ヘラルド・トリビューン
紙に「国際社会で日本がその機会を失うと、大損することが分かっていない」と論じていた。
サミュエルズ先生は、日本がイラクから陸上自衛隊も航空自衛隊も撤収させたうえ、ソマリアに
海上自衛隊の派遣を決定するだけに数カ月を空費したと酷評した。その上で、「日本は国内政治の
都合で外交が混乱するのを許すつもりらしい」と遠慮なく皮肉る。
先生はご存じないらしいが、鎖国意識はひとり政界だけでなく、実は世論もそうなのだ。海賊対策
の派遣だというのに、
A新聞は「沈没させたり海賊を殺害したりした場合は、世論の批判を浴びる可能性がある」とチビ
たことをいう。世論とはこの記者本人のことだから、きっと海賊どもの味方なのだろう。
サミュエルズ先生のお怒りは海賊退治の一件だけではない。かつて世界一だった日本の対外援助が
4割縮小し、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更も放棄していると嘆く。紅毛碧眼(へきがん)の
先生から、「国際任務からの尻込み」といわれては救いがない。
米国には、危急存亡のときに「大統領の下に結集せよ」との戒めがある。自由な討議のあとに一切
の批判をやめて、団結の強さを発揮するのだ。
日本にとって金融危機は、いわば「危急存亡」の到来である。議論を尽くした後は、速やかに結束
して対処しなければ取り返しがつかない。それが、危機到来を前にしての足の引っ張り合いは、日本
型政治の特徴なのか。
和辻哲郎の『鎖国』は、秀吉が西洋文明に対する関心が高かったことは認めつつも、「国内の敵を
制圧する」ことをすべてに優先させたとみる。秀吉の刀狩りがそうだし、徳川時代の参勤交代もその
延長にあるだろう。
和辻は昭和の軍部もまた「国内の敵」に目が向けられて、視野が狭かったことを示唆している。こう
した政治の伝統は今に生きながらえてはいまいか。政敵を下すためなら、外交も国家の基本原則であろう
と政争の具におとしめてしまう。
幕末期に登場した勝海舟は希有(けう)な戦略家なのか。官軍と幕軍の激突による国力の低下と、諸
外国の介入を避けるべく奔走したリアリストであった。いまの日本に「国民生活が第一」など、言わずも
がなの偽善はいらない。平成の世に視野広く行動する海舟のような政治家はいないか。
産経新聞【くにのあとさき】より