7.12日欧文化フォーラム・開催趣旨
今、わが国は、深刻な文化的危機に直面しています。自殺やいじめの急増、親子の惨殺事件
などは、その表層現象の一部に過ぎません。まさに、現時点は、わが国および世界の将来が
発展に向うか、衰退に向うかの分岐点であるとも言われています。
危機の認識こそが、新しい文化の創出へ向けての出発の原点です。『西欧の没落』が叫ばれた
欧米においても、各地で見事な蘇りの兆候が見られます。戦後60余年、恥の心を失った
日本人は、今こそ、節度や清廉さを伴う高邁な精神を取り戻し、“物から心へ”と価値観の
大転換を図るべき時です。
新しい生命(いのち)は、共通因子の基盤の上で、異質因子同士の融合により誕生します。
また、日本文化の特徴も、他の文化との比較により、容易に見出されます。
磯村氏が「パリで発見した日本文化」は、フランス人に共感を持って迎えられて、
西欧人を通じて生まれた“アール・ヌーヴォー(新しい芸術)”でした。
この歴史的事実からも、求められるべき未来の日本文化の姿は、諸民族の文化との
出会いにより、人々の共感をもって生れる“新しい文化”の中にそのヒントがあります。
我々日本人は、長きに亘り豊かな自然に恵まれ、父祖からの遺産を継承しつつ、
「上から与えられる」文化の下で暮して来ました。「お上」のあらゆる横暴や不祥事に
もじっと我慢の状態を続けています。
ところが、現在、我々がその圧倒的影響下に暮している現代文化は、「個の発見」、
「自由・民主主義」、「下から上への社会体制」、「民の側からの働きかけ」などにより
創り出されているものです。
未来に必要なのは、単なる非生産的な「お上」の批判・否定ではなく、「官民の融合」で
あり、官の傲慢体質から脱却した「奉仕」、民の依存体質から脱却した「自助努力」です。
日本および世界の未来に思いを致す私達は、未曾有の文化的危機を痛感し、自らの理念
の達成のために、政府機関など他者の活動に依存することなく、「市民の立場」から立ち
上がりました。
私達は、世界の中でもっとも恵まれた環境に暮しながら、「世界の動きを読めない」と
云われ、世界の同胞の悲惨な現状を見て見ぬ振りをしています。自らの保身と享楽に狂奔
する民族に未来はありません。
日本文化の危機的状況下において、日本を国際的視野から見つめ直し、日本文化が
世界に貢献できる可能性を探ろうとする本フォーラムの企画に対し、ぜひ皆様の協賛を
賜りたいと存じます。
平成19年6月吉日
7.12, 日欧文化フォーラム 実行委員会
「美しい日本の創造」に寄せて(1)
国際的リーダーの出現を望む!
「羊」は、善いことを意味する漢字に使われることが多い。「善なる生活をなし
ていく個々の生活的行為」を「義」と言うが、この「義」は生け贄である大きな
羊を背負った姿を表したものと言われている。「美しい」という字は大きい羊と
書く。大きい祭物が美しいという意味だと言う説に従えば、大きな犠牲であれば
あるほど美しいという意味となるそうである。
東洋においては、長年、親に孝、国に忠、夫に烈を尽くすことが美徳として称
賛されてきた。ところが、他に先駆けて、科学技術力を手にした西欧列強に世界
は席巻され、今や、われわれはその圧倒的な影響の下にある。
現在、日本の最大の難関(アポーリア)は第二次大戦の意味、大戦で犠牲となっ
た人々に対する評価である。E.コーヘン駐日イスラエル大使は、「ユダヤ教にも
武士道にも共通しているものは、正義や民族・祖国のために生命を捧げることを
も厭わないという献身の精神である」と述べ、今も生きている武士道精神を高く
評価している。
東洋の三大美徳と言われてきたこの「忠・孝・烈」は、いずれも主体者の恩愛に
対する対象者の対象的価値である。内的知情意の心の機能の外的表現;真美善も、
また主体の恩愛に対する対象的価値である。考えてみれば、我々は、麗しい地球
星に抱かれ、至上の心身を授かり、豊かな恩愛の中で暮しているのである。東洋
の三大美徳である真善美に基づく精神行動の総体である素晴らしい文化を蘇生さ
せるためには、再度、この「恩愛の心」に思いを致すべきではなかろうか?
国民の献身的エネルギーを誤った方向へ指向させた国家指導者たちは糾弾されて
当然であるが、その反動として「国や親に尽くすことは馬鹿らしい」というよう
な思考に走り、伝統的価値を捨ててよいであろうか?国家指導者層の今も変わら
ぬ大罪は、ショービニスティックな国家第1主義、国民を無視した狂信的な愛国
主義である。第二次世界大戦で日本が敗れた根源的な対象は、科学技術力を生み
出した伝統的な西欧文化を構成する個性、人権、民主主義など、国家という枠を
超えた人類共通の普遍性であったことに着目すべきである。
西欧の自由・民主主義がその限界を露呈し、人類が未曾有の文明史的危機に直面
していることが自明となった現在、私たち東洋人は、忠孝烈の三大美徳を国家と
しては勿論のこと、国家の枠を超越した世界人類=地球村においても高らかに標
榜すべきであると確信する。
世界にも稀な犠牲的精神を伴う美しい心の持ち主である日本国民が切に待ち望ん
でいることは、地球上の全人類は同胞という心を持って共存共栄の理念を掲げ、
日本人に対して世界への献身を鼓舞する真の「牧者」、指導者の出現である。
1961年、J.Fケネディーは、1961年の大統領就任演説で、「祖国が汝に何を為し
得るかを問い給うなかれ、汝が祖国に何をなしうるかを問い給え!」と国民に問
いかけた。そのの真意は「米国があなたに何かをしてくれることを望むので
はなく、あなたが人類のために何ができるかを求めて欲しい」と国家を超えた世
界へのロマンの呼びかけであった。彼は、「平和の戦略12項目」を提言し、「ピー
ス・コーアー(平和部隊)」を創設、世界への奉仕に多くの青年を送り出した。
日本を出発点として、国家の枠を超えた世界貢献を呼びかける指導者の出現によ
り、日本の資力、人材及び文化力を結集して、真心のこもった働きをすることに
こそ、日本の未来の希望であり、民族の新しい誇りである。また、このような貢
献の積み重ねが、第2次世界大戦で犠牲となった英霊の浮かばれる道にも通じる
ものと確信する。
大脇準一郎
7.12日日欧文化フォーラムの詳細は
☆当日のボランティアスタッフを募集しています。
美しい日本の創造に寄せて(2)
今、多方面で憂国論が語られ、亡国の危機が叫ばれています。わが国の病状がなぜ
ここまで悪化した状況に陥ってしまったのか、その病根は、いったいどこにあるのでしょうか?
結論を言えば、「日本の美徳を失っている」ということが、問題であります。そして、最も有効な
治療法は、「日本人として、美徳のある生き方を取り戻すこと」ではないでしょうか?
日本には歴史を貫いて流れる一筋の「清く美しい流れ」の水脈があり、これこそが、日本らしさの
根源であります。日本は森林山岳の国であり、日本の川は、清く明るく澄み切った流れの、
川岸に暮してきた民族であります。清らかさの美、節度の美、精神の高さの美を尊んだ世界に
類例のないに日本文化が生まれら来たのであります。
悲しむべきことは、現代に日本の現状は、道徳、精神的、文化的な価値より金銭ではかられる
実利ばかりが尊重され、社会のどの分野でも利のための強欲のみがはびこり、腐敗が常態となり、
恐るべきことに人は、恥を失ったということです。
しかし、日本文化の伝統には、「恥を知る」、「利欲に生きることを恥じる」、「人間として品性を
重んじる」価値観が会ったということが、これからの日本人の希望であります。
今、日本が1つの岐路に立たされている現在こそ、もう一度、私たちの原点、源流を見つめ直す
ときが来ていると言えます。私たち一人ひとりが、自分自身の問題として考え、目覚めた市民と
して、日本文化の美質を生かし、未来の光を注いで、新しい地平を拓きゆくことを、共々に語り
あい、皆様各位の参画を賜りたいと存じます。
今回のフォーラムをスペッシャル・ゲストに、磯村尚徳氏をお迎えし、「美しい日本の創造─パリ
で発見した日本文化─」と題してお話をいただきます。文化の根源が潜む日常生活の中に、
深く美を交えることを心より願って………。
平成19年5月吉日
7.12日欧文化フォーラム実行委員会 一色 宏
美しい日本の創造に寄せて(3)
今こそ、人類共通の普遍的理念を創出する時!
昨年1月、知日家で知られる金容雲先生に『未来構想放送』でインタビューした折の“日本近代史の洞察”
に関するお言葉は、私の脳裏を離れない。
「日本人の和の精神や団結力には、我々韓国人はかなわない。西欧列強の帝国主義勢力の脅威に対し、
いち早く方向転換し、近代化のための富国強兵方針の採択などによる見事な国づくりの過程は、
わが国にとって学ぶところが多い。」、「しかし、日露戦争以後、日本人は傲慢になり、破滅の道を
驀進した。これは他国にも通じる普遍的ビジョンを描けなかったためである。」、「第2次大戦敗北後、
日本国民は、和の精神と団結力により奇跡的な復興を遂げた。しかし80年代、『ジャパンアズNO1』
経済大国と持てはやされ、再び傲慢になり、バブルが弾けて放心状態にあるのが今の日本」、
「日本の深刻な課題は、戦前と同じく、世界から共感を持って迎えられる普遍的理念を見出しうるか
どうかである。」などがその主旨であった。
その折、小生が、日本の起死回生の国策として「20代の青年や60代の高齢者を世界へ数十万人
単位で国際ボランティアとして送り出す」という平和構想の提言についてお話をすると、「どうして
日本だけでやろうとするか?日・韓共同で、さらには中国や世界の青年も呼びかけてやっては
どうか?」とのアドバイスを受けたことである。
いかにして普遍的理念を創出することができるのだろうか?
米国で異文化間コミュニケーションを専攻していた折、M.Yoshikawaハワイ大博士論文指導教授
から、「2国ではなく3国を比較してみなさい。普遍が見えて来る」とのアドバイスを受け、小生は、
日米比較論に韓国を加えて3国比較文明論の論文を書くこととなった。
その過程で学んだことは、二カ国を比較している時は、両国の長所・短所の見方がどちらか一方に
偏りがちであったのが、バランスよく見つめることが容易になったこと、3ケ国 に共通する人間性
の本質の全体像が見えてきたこと、各国固有の文化は、この人間性がその時代意識と生活環境の
変遷によって、さまざまな文化として花咲いたものであることを 体恤したこと等であり、多くの
収穫を得た。
「孝」の家庭倫理を基盤とした韓国、「和」の擬似家庭倫理を基盤とした日本、「正直」の個人倫理を
基盤とした米国の基本的価値観をもとに考察すれば、3国間に起こる文化摩擦の深層がよく見えて
くる。最近、日・韓・中の3国の比較・考察に取り組んでいるが、日中関係の新たな側面が鮮明に見えて
くる。互いの長所・短所を冷静に見つめながら、互いに共通する目標の達成に努めるために、また、
かつてのような日本の独善的暴走の予防のためにも、北東アジア3ヶ国比較の文明論的考察は重要
と考える。この世を去るまでに研究の一部を世に表すことができればと、かすかな希望を抱いている。
日本が普遍的理念を創出する方法として、カーター政権下で大統領特別補佐官であったZ.ブレジ
ンスキーは、「日本は米国追従だけでなく、欧州とのバイラテラルで外交関係を確立すること」を
薦めている。彼は、イラク戦争にブッシュ政権が軍事的にのめり込む込むことを強く警告し、激しく
反対したことで知られている。日本がこの時、欧州諸国と共同して米国の勇み足をとどめるべきで
あったとの有識者の意見を耳にしたこともある。
人類共通の夢を達成するためには、一方にだけのめり込んだり、また、単に欠点をあげつらうだけ
ではなく、例えば、三者比較の手法により、日・米・欧の背後にある普遍性を見通す必要がある。
この意味において、今回、欧州事情に詳しい磯村氏をお迎えし、欧州の観点から日本のあり方を
見つめなおすことは、大変意義深いと考えている。近代をリードしてきたキーワード「自由・平等・」
「民主主義・人権」等がその文明史的限界を露呈している今日、日本は人類社会へ向けて共存・
共栄・共義の夢を描けるかその構想力を問われていると言えよう。
古来、人生において普遍性を見出す道を教えたくれたのは、武士道や宗教であった。
生と死、そして生;正・反・合の3段階、止揚(アウフヘーベン)である。仏教経典の中でもっとも
人口に膾炙されている般若心経にある“色即是空、空即是色”も、同じ境地を表現したものと
みることができる。岡潔氏が、生前に、「死を踏み越えたところに宗教の世界がある」とおっし
ゃっていたが、戦後の日本文明は「死を忘れた文明」、あるいは、死を避けて生に執着した生命
第1主義の文明ではないか?困難に陥ったとき、自殺を選ぶ社会現象が急増しているのもこれ
と無関係ではない。生・死を超えて問題解決の道を探ろうとするところ、「諦観(明らかに見極める)」
から新しい希望の道が見えてくるのではないか?
近代史において我が国の国民性は、傲慢と卑屈の間を揺れ動いたが、今回のフォーラムが、この両極端
を超越して、美しい日本の不動のアイデンティティーの確立と、普遍的価値観を探るための動機付けの
良き機会となるよう祈念している。
「日欧文化フォーラム」実行委員長
大脇準一郎
美しい日本の創造に寄せて(4)
世界はこのまま衰退に向かうか、文化改革による進化に向かうかの分水嶺の時を迎えました。
日本は、戦争と冷戦の狭間で繁栄を極めた一方、周辺国から多くの怨念を受けています。
今こそ私たち 日本人は、分断国家である韓国、北朝鮮に呼びかけ、“和譲”―ともに
人類であるというベースで、より高次元に向けて協力し合う事で昇華に導く―によって、
21世紀人類の恒久平和モデルを作り出し、世界に 広める時がきたのではないでしょうか。
小松昭夫
新製品発表会・2007年6月6日 ホテル日航東京
要 旨
小松電気産業株式会社 代表取締役 社長
(財団法人)人間自然科学研究所 理事長 小松昭夫
私は、門番の新しい出発に合わせて門番事業で海外事業を行った経緯の中で、日本が、アジアの中で、
世界の中でどのような状況におかれているかということをいろいろ学びました。社会保険庁のまったく
未来が見えない、国民を不安のどん底に陥れる現状、戦後例の無い現職大臣の自殺、そしてこの傾向は
これからますます深くなり、我々が過去の歴史の中で経験したことが無いことが起こると言われています。
これは我々だけではなく、産業革命以降の世界の先進国の中で、大なり小なり現れる、次の新しい時代を
生み出す陣痛でもあります。
ヨーロッパは、まさか一つの国の象徴である通貨を放棄し、ユーロ圏を生み出すとは誰も想像しませんでした。
それを今日のように大ユーロ圏を作り上げました。これによって現在、日本の通貨とユーロは非常に大きな差が
生まれ、どんどん円安が進んでいます。その結果、世界に輸出している産業は大変な好況を呈していますが、
地域の産業はどん底であります。明日の仕事はあるけれども、あさっての仕事は見えない。インターネット喫茶で
1500円ぐらいで一日を暮らす。こういう人々を大量に生み出しています。
我々は環境をいうとすぐ自然環境の汚染、木、土と思いますけれども、それは全て人がしたことであります。
すなわち、環境問題を語るときには人間社会の社会環境問題を一に考える。その次に自然環境を考える。
その順序を間違えると地獄の入り口。地獄の中を行進することになるのです。あらゆることは順序こそが
一番大切なことです。今、社会環境は国家間対立、民族間対立、地域間対立、世代間対立。社会保険庁
の事件は、世代間対立を決定的にする事件です。親が子を殺し、子が親を殺す。こういうことが蔓延する
前兆であります。国家間の対立、地域間対立、世代間対立が重なると暗黒の社会が生まれます。これは
歴史を観れば明らかです。もう一つはインターネット、コンピュータの技術によって、新しい時代が登場しました。
我々は戦後、焼け野原からさまよい、校庭を耕し、今日の物質的に豊かな社会をつくることに成功しました。
最初の三種の神器は洗濯機、冷蔵庫、テレビ。次の時代はカラーテレビ、クーラー、自動車。この三つの
所有欲で、経済の流れを作っていきました。われわれは工業化社会の中では大変な優等生として大きな
成功を得てきました。しかし気付いてみると、幸福感とはまったくかけ離れた社会を創ってしまいました。
ヨーロッパでは今、何が国会で、最も大きな議論になっているか。日本と180度違います。つい先日、
寺島実郎さんが、「ドイツでは、21世紀のグローバル時代に一国で生きられる国は一つもない。一企業、
一個人で、世界の中で生きられる人は一人もいない。こういう中で、21世紀でドイツはどういう役割を果
たすべきか、これが大議論になっています。」とおっしゃっていました。“どういう役割を世界の中で担えば
よいか”ということを明確にすることによって、国家の基本方針が決まり、開発する技術、サイエンス、
こういうものが結果として決まり、われわれに元気というものが生まれる。私もいろいろ研究してきました
けれども、日本の中ではこういう議論は皆無であります。「目の前の利益」こういう議論のみ。“日本が
世界の中で、アジアの中で、どういう役割を果たすか。”こういう議論をすることは不可能であるということが
分かってきました。ということは、このままだとそう遠くない時代に日本という国家は内部と外部から崩壊
するということです。そうすると通貨が崩壊し、国民は結果として不幸のどん底に落ちます。そういうことが
想像できれば、結果があるとすれば必ず原因があります。原因と結果にはプロセスがあり、プロセスには
背景があり、その背景には要因があります。
これをいろいろ研究した結果、さすが日本は「神の国」とよく言われてきましたように、日本は素晴らしいところに
位置していると気付きました。東洋文明と西洋文明の接点になり、大きなうねりが起こりつつあるアジアの中に
あると気付いたのです。
火と言葉、分業、この三つで人類は今日の文明を作り上げてきた。こう考えますと、火は核を生み出し、核は
核の拡散を生み出しました。言葉は文字を生み出し、印刷を生み出し、インターネットを生み出し、そして
ブロードバンドを生み出しました。そして掌握するほうと、掌握されるほうの分業、すなわち垂直分業から、
パートナーシップへ。未来に対する想いを共有化することから役割分担すれば、次の新しい時代が見えてくる。
そういう中で、次の新しい時代の鍵を握っている、核拡散の鍵を握っているのが、実は日本であります。
北朝鮮のこの核の問題によりまして、もし日本が核武装するという時代になりますと、世界はあっという間に
核の拡散が本格化します。日本が核武装するか、しないか、これによって人類の未来が決ります。
米国、露国、中国、この三カ国を核大国と言います。他のフランスとかイギリス、インド、これは核保有国です。
世界の中には日本のように核をもっていない国がたくさんあります。国土が広く、核を分散して持っている。
もし核攻撃を受けたときには反撃する能力をもっている。これが核大国であります。これが米国、露国、中国
であります。この三カ国が核の拡散を防ぎきれなかった。これは人類に対する重大な責任であり、しかしまた
その裏で日本、または韓国は安い石油を手に入れることができ、冷戦の中で世界のマーケットを手に入れる
ことができました。これをどんどん活用することによって、今日の豊かな物質社会をつくりました。
ということは、核を持っていない日本と韓国、そして北朝鮮に働きかけ、核大国の協力を得ることによって、
日本海圏、ここに非核地帯を作りあげる。これを日本が世界で最初に働きかける。このことによってのみ、
日本が生き残ることができる、破滅の方向ではなくて、繁栄の道に入ることができる。このように確信した
わけです。
私は一起業家として、シートシャッターを引っさげて、マーケット創造に皆さんの協力を得て成功し、ブランド化し、
世界の門番という名前を手に入れることができました。現在は三和シャッターさん、文化シャッターさんが大変な
力を入れて、このシートシャッターの拡大に努めておられます。現在すでにシートシャッターの販売台数は、
三和シャッターさんに抜かれました。三和シャッターさんはおそらく年間7000台近いと思います。小松電機は
年間6000台弱。去年までは販売台数が一位でしたけれども、出荷台数においては三和シャッターさんに追い
抜かれた。これが現実です。しかしシートシャッターのマーケットを世界に先駆けて創造したのは、まぎれも無く
皆様方と私どもでございます。そして「門番」でございます。私は、今回はこの提携を契機としまして、「MONBAN」
をアジアの中で、リーディング商品として、これを更なる飛躍的な発展の流れに乗せたいと思います。
この商品は戦略商品に乗せたいと思います。いや、戦略の上に政略商品に乗せたいと思います。もう一つ上に
「天略という言葉がございます。私が日本一のニュービジネス大賞をいただいたときに、今は亡き牧野昇さん
(三菱総合研究所特別顧問‘07年3月逝去)が審査委員長でした。牧野さんから「天略」という理論を経営者の
中でつかった人間はいない。「天略」という理論は国家をつくるときの理論である」。このように教えていただきました。
いよいよ私はこの理論を引っさげて、地球温暖化に真正面から取り組む商品といたします。同時に水の環境に
つきましては「やくも水神」を完成しました。これも秋田県から四国九州の自治体まで、二千数百カ所で採用いた
だきました。この二つの商品と新しいマーケットを作り出す次の新しい産業、この三本立てで、今後事業を展開して
まいりたいと思っております。
この商品は「MONBAN」という名前になっておりますけれども、ここに水神が入ったり、次の新しいブランド商品の
名前が入ったりいたします。この全体のイメージは変わりませんけれども、人々が楽しく、幸せというものを感じら
れる社会、これをつくる企業、そして商材、こういうものの統一ブランドをこの商標を使ってつくり上げていきたい。
このようにも考えていきたいと思っております。そして「PEACE」と書いてあります。
現在日本海、韓国では東海、このことが大問題になっています。モナコで開かれていたIHO国際水路機関では、
「これだけ世界が大変なときに、日本と韓国が、竹島独島、あるいは日本海東海ということで争っている。なんと
いうことだ。恥を知りなさい」、こういう具合に叱責を受けたと承っております。我々が一番恩恵を受けた、安い
石油を供給してくれた中東が今、大変な状況であります。日本海を中海と名前を変え、中海を日本海と名前を
変え、これを大きな流れにもっていきたい。私はこのように、もうすでに4年前に発表しております。
いろんなところから「素晴らしい。なぜ日本でこういうことで広まらないか」と言われました。ついこの間、私は
国連の人事部長をしておられた伊勢桃代先生に会いました。「島根県の人は何を考えているのか。これだけ
の構想と発表があれば、なぜそれを発表し、表に出さないのか」と、こういうふうに言われました。私はモナコ
の一件で、その意を強くしました。この「日本海」を「中海」に変える。そして「中海」を「日本海」に変える、その
ことを今日この場ではっきりと宣言をします。
そしてPEACEの中には小さな点があります。これは次の構想が発表されたときには、南十字星のように、
北極星のように輝くはずです。あれが竹島であります。独島であります。これを環境の平和のシンボルとして、
未来永劫に語り継がれる。これが今日この場で、東京で発表できたということを、大変嬉しく思っております。
ニュービジネス大賞を平成3年にいただいたときに、利益は倍倍ゲームで上がっておりました。上場間違いなし
といわれたときに、受賞披露パーティーで、私はこの技術を韓国に無償供与すると発表しました。銀行家、
あるいは証券界からは、私は気が狂ったかといわれました。
昔から、買い百両、見切り千両、無欲万両という言葉があります。無欲に勝る強いものは無い、これが私の信念
であります。お蔭様で、韓国で、中国で、私の支援をしていただく方がどんどん増えていきました。インターネットの
ホームページで小松昭夫と引いていただくと中国大使館、華僑の本部、ユダヤ、いろんなところで私の名前が
掲載されるようになりました。ここで狼煙を上げれば全部世界から仲間が集まってきていただける、こういう
ステージが出来上がりました。それもさきほど言いましたITブロードバンドの時代、これが昔でしたら空想と
言われるようなことが上手くいく一番の流れだと考えています。
今、一番厳しい状況になっているのがイスラエルです。エリ・コーヘン駐日大使とまた、戦後ずっと活躍なさって
いる久司道夫先生をお招きし、出雲大社でフォーラムを開催しました。そのときに出されたのがこの出雲宣言です。
最後に本田宗一郎という方は通産省の大変な圧力で、自動車メーカーになるのを妨害されました。しかし通産省
の方は別に悪気があってしたわけではなく、日本の当時の国力を総合的に見れば、トヨタ、日産、そのほかに
数社の自動車メーカーがあればよろしい、ということで反対をなさったわけです。しかし本田宗一郎さんはなんと
しても自動車メーカーになりたいということで、アメリカでマスキー法ができたときに、世界に先駆けてCVCC
エンジンを作り、そして今日の、世界のホンダをつくったわけです。そして環境の世紀の幕を開けました。
そして環境の世紀から健康の世紀に入りました。水と安全はタダ、こういう日本の国内でペットボトルが100円
から150円する、こういう社会が実現しました。
次は平和の事業化の時代であります。私は世界に先駆け、日本で、裏日本で、山陰で、朝鮮半島とタイアップ
することによって、そして中国、露国、米国の支援を受ける中で、平和の事業化、このシートシャッターを引っさ
げて、アジアに世界に展開して参りたいと考えておりますので、格別のご支援とご協力をお願いいたします。
詳しくはぜひ当社と人間自然科学研究所のホームページをご覧いただきまして、皆様の事業の繁栄とご多幸の
参考にしていただければと思います。そして皆様とともども手を携えてやって行きたいと思いますので、
今後ともよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。
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美しい日本の創造に寄せて(5)
“文化は精神の宝・文化は華麗なる翼・平和の武器”
文化とは「共存された価値観と生活様式と言われ、また「精神的価値の結晶体」で
あるとも言われている。日本美術からの影響を受けた19世紀末のヨーロッパ装飾
美術を、一般にアール・ヌーヴォと呼んでいる。
当時、ジュール・シェレやロートレック、ミャシャ、ビアズリーなど、ベル・エポックのポスター、
書籍、絵画のほか、宝飾品、工芸品また、エミール・ガレや、ドーム・ナンシーなどのガラス
工芸、ラリックのガラス宝飾品、陶磁器、そして、インテリア、家具、建築、衣裳、舞台から、
タイポグラフィに至るまで広範囲の表現領域に及んでいる。自国にない文化に憧れ、これを
所有したり、享受したいという欲求はどの時代にも人々が常に抱いているものである。
半世紀にわたり欧米社会を席巻した日本美には、欧米社会の誰もが気軽に芸術作品に
接することができなかったところに、日本人の生活観に根ざした美の日常性があったから
である。そこには、日本の自然風土をふんだんに採り入れた主題の設定や、人間性あふ
れる大らかさが、権力や貧富の差を越えて全人類的な平等感を通して観る者にひしひしと
伝わってくる。
日本人の芸術的感性「生活美学」による充実感があった。古来より「美感のあるところに
正しき生活あり」との日本人の感性が、芸術至上主義の袋小路にはまっていた西欧人が、
はじめて日本の自然主義的な生活美術や、平板な描写と装飾的技法を駆使した浮世絵に
出会った時の衝撃はいかばかりであろうか。かのゴッホは、弟テオにあてた手紙の中で、
「僕の仕事はみな多少とも日本の絵が基礎となっている」と述べ、エミール・ガレは、日本
人の高島北海と出会い、日本の自然主義の動植物のモチーフをガラス工芸に採り入れ
秀れた作品を創造した強烈なジャポニザンであった。
また、当時、パリのオートクチュール・デザイナーの第一人者であったポール・ポワレを動かし、
女性の服飾革命を起こしたのは、日本のキモノであった。中世の末から女性の体を縛り付けて
いたコルセットは1906年、ホワレの外出用キモノ・コートに続きドレスの新作発表によって
放棄され、ヨーロッパのモードに大きな影響を与えたのであった。
一方、ニューヨークの文具店から身を起こしたティファニーは、ジャポニズムの流行に乗って
銀製品を売り出し、商会としての基盤をつくった。建築家ライトは、日本人の自然観に共鳴し、
「かの驚くべき自然の解釈者、東洋人そして日本人」といって彼の建築の発想に「無意味な
ものの削除と、材料の自然な使用という美的なレッスン」と浮世絵から学んだ表現のエッセンス
を自ら述べている。また、琳派の造形美は、西洋美術が試みたことのない「美の秩序」斬新な
造形秩序の原理が欧米の近代デザインの構
成原理をつくりあげ、現代のインターナショナル・
スタイルの原型となっている。
今、世界中の有名ブランドの商品を持つ日本人女性の美意識も血のなせるものであるのかも
知れない。ともあれ、伝統と現代性、舶来文化と固有の文化を絶妙に融合させる日本人の優れ
た才能が、再び21世紀の美の文化の発信地になることを願うものである。
元、ルーブルの美術部長で、コレージュ・ド・フランス教授のルネ、ユイグ氏は言った。「あすの
第一の仕事は、人間の本性に働きかけ、それを内面的ゆたかさへ導くことでなくてはならない」
─その推進力こそ「文化の力」であり、「芸術の力」である。そして、また「教育の力」である。
なかんずく、伸びゆく青春時代に、第一級の美の名品に触れることは、かけがえのない精神の
滋養となる」
ドラクロアは「美しい行為、美しい作品というものは、魂のある種の能力、おそらくは最も高貴な
能力にそのまま結び付くのだ」と言う。ルーベンスは「私は、全世界を自分の祖国と見なす」と
宣言したが、ルネ・ユイグ氏は─「美術館とは、翻訳を必要とせぬ芸術という国際語を扱う場で
あり、その正面には「私は、全世界を自分の文化と見なす」を刻みつけるべきであろう」と言った
が、文化とは、心を育てるものであり、また人と人の心のつながりを大切にするものである。
文化は「生命を開花」させ、人間を最高度に高めゆくものであるのだから・・・・
7月11日 一色 宏