第59回未来構想フォーラム 2007年4月26日
速記メモ
鈴木博雄・筑波大学名誉教授
東京・武蔵野市吉祥寺南町コミュニティーセンター
数年前からかかって自分の人生と日本の歩みという観点から日本の歴史を書いている。90%ぐらい
出来上がっていた。自分の人生の記録として作っている。いよいよ出版しようかなあというときに、
去年の暮れから今年の初めにかけて、自殺、虐待などなんだかんだと大変なことになってきた。
ショックを受け、本を書いている暇は無いという気持ちになった。なぜこうなったのだろう。
何が原因かわからない。
国を支えてきた「家」の消滅
それから勉強を始め“80年代から日本の国は変わりつつあったのだなあ”ということがようやく
判った。経済的、政治的問題も勿論でしょうけども、日本の国の組織の基本がそこでガラッと
変わった。家族が変わった、若者が変わった。ハッとお分かりになると思うのでしょうけど、
違う人種が生まれたのではないかと思うくらい、日本の人たちの行き方が変わった。敗戦以後、
70-80年代(昭和45-55年)にかけて、もう一度日本は変わった。私は、どうも日本人の人間
そのもの、人間と人間の付き合い、家族のあり方、そういうもとの部分がガラガラときている
のではないかと感じています。
日本の国は明治の場合、あんなに上手く国造りができたのは、日本の家という制度の上にその
まま国を作った。父親を天皇様にし、国民を子という関係で説明した。実に明治の政治家は大変な
知恵者であったと思う。天皇は、それまで、京都御所の周りの人はあそこに天子様がいると知って
いたが、ほとんど庶民は知らなかった。その天皇様が明治になって、とたんに国民の上に出てきた。
とにかく大変な大混乱の中をわずか30年で憲法を作って近代国家を創ったのですから、こんなに
すごいことは無い。
明治天皇が無くなって後の日本は坂を下っていく一方。それでも何とか持ちこたえたのは、昭和
天皇がおられたからです。昭和天皇は明治天皇の申し子みたいなもので、明治天皇は、孫の昭和天皇
には、乃木大将のような非常に立派な人を教育者につけた。昭和天皇がおられる間は、ある意味で
言うと国民のまとめ役がおられた。昭和天皇が無くなってからの日本。昭和の日本と、平成の日本は
全然違う。段違い。国民の間における天皇の存在意義は大違い。戦争に負けてアメリカ式の民主主義
の国になりましたが、戦争に負けてから20年ぐらいの間は戦中に育った人がいるじゃないですか。
戦後の日本を何とか再建した人々はこの人々です。典型的な例が土光さん。本当に質素な人。土光
さんだけでない、その時代の財界人はみなそう。そういう意味でいうと、日本的経営と言うように、
日本の家というような原理、協力共同でやっていこうというように考えると、明治以来、戦後30年
ぐらいまでは家族・家というものが一番の原理になってきた。ところがその原理が70年代から80年
代ぐらいに変わってきた。団塊の世代と言いますよね。戦後復員の帰ってきた人が結婚してベビー
ブームが起きた。小学校、高校、大学と、みんな定員を増やさなければならなかった。いまその世代
が定年になるそうですが。
その団塊の世代が中学生ぐらいまでは貧乏な中を一生懸命生きてきた。団塊の世代の次の子供達。
この世代が一番問題。70年代、80年代に生まれた方。子供を平気で虐待する。赤ちゃんをポスト
においていく。われわれの世代にとっては「赤ちゃんポスト」なんて考えられない。赤ちゃん
ポストが要るような国になったということが情けない。
母親というのは一年間ぐらい子供と一心同体なのです。その母親が平気で子供をおいて他の人
と一緒になるなんて考えられない。その人たちにも言い分がある。女性は女性で自立するのが
民主主義だという。日本的経営がもたらした高度成長の陰で核家族化が進行した。
夫婦の関係で、一心同体型というのは昔に比べると大幅に減っている。今は18.2%、2割を
切っている。反対に分離独立型というのは、15.4%と増加傾向にある。これでは家庭が保持で
きない。20〜30代の若者世代に多い、マイペース型が11%と増えつつある。この場合、
一番困るのは子供で、どちらのペースに合わせたらよいのかわからない。
こういうような変化が70年代ぐらいから顕著に現れている。「これが今の民主主義の日本だ。
これで良いんだ。」とお思いになりますか?安倍内閣で“教育再生会議”の結論も出ましたが、
「教育を良くする。学校を良くする」と言うが、しかし、そのもう一つ先に、実は“家庭”が
ある。学校に入ってきた頃にはもうお手上げだと先生方が言う。授業にならない。45分間で
黙っていられるのはせいぜい15分ぐらい。昔はそういう状態を学級崩壊といったのですが、
今はそういう状態が当たり前になっている。先生の話を聴く態度、人の話を聴こうという態度
ができていない。
これは父親・母親にも責任がある。じっくり落ち着いて子供に話をする時間的余裕が無い。
主婦の時間的忙しさを見ると、余裕のある時間が専業主婦で3・65時間、フルタイム3・07時間、
パート2・66時間。いずれにしても3時間しかない。そうした環境のなかでも子供は育ちますが、
子供は両親の愛を受けて育つかどうかでまったく違った子供になる。私がはっと驚いたのが
ここ数年。統計では2002年ぐらいからそういう傾向が出ている。いじめだとか、引きこもりだとか。
80年代終わりから90年に掛けての。そのころの日本社会はバブルで熱狂していた。それが弾けて、
日本は大変な不況と言うトンネルをくぐってしまった。時代はどんどん進んでいるのですから、
一番の問題は人間の生き方の基本である家庭を作り直すことである。いまの世界の大きな
流れの中で、日本がどう生きていけば良いか。そのためにはどんな家庭を作ったらよいか。
本当に難しいことです。
先ずは人間本来の姿として、親と子はどうあるべきか。母親の愛は、父親の愛はどうあるべきか。
今の30代前半から20代の若い両親は全然こういうことに関心は無いようだ。「子供は食事だけを
与えていれば育つのだろう」と考えている。経済は頑張れば10年ぐらいのマイナスは取り返せる。
しかし心のマイナスは10年掛かれば、10年掛けて取り返さなければならない。教育再生会議の
報告を見ると、学校の先生はしっかりしないといけないというが、その元には、家庭の育て
方にある。欲求不満があると子供はそれを友達にぶつける。それがいじめ。ちょっと今の内閣
の教育再生の突っ込みが浅い、もうちょっと突っ込んでいただきたいと思う。国のリーダー
シップをとる政治家はそれぐらいのことはしっかり言っていただきたい。
教育の原点─家庭教育:最初の3年間で子供の個性が決まる。
最初の1年は母子一体的関係
一番大事なのは子供が生まれてからの3年間である。非常に積極的な子供、その反対に内気な
子供もいる。いろんなタイプを見ると、家庭の親との人間関係でそうなっている。
お母さんに抱かれていなければ、不安で不安でしょうがない。いわば母と子の本当の意味での
信頼関係。この1年間でそれを十分に満足すると子供の方から出て行くようになる。
母の愛を通じて、愛(慈悲)の本質を体感。夫婦の別居や離婚は子供に喪失感を与える。
ゼロ歳児;親とのスキンシップを喜ぶ。自他を区別。自己主張の芽生え。口唇的認知。
ハイハイが出来る。周囲の評価を気にし、褒められるのを喜ぶ。お母さんにしっかり抱かれて
なければ、不安で不安でしょうがない。いわば親と子供の本当の意味での信頼関係。その一年間
それを十分に満足すると子供の方から出て行くようになる。
1歳児;歩き出し、一人遊びが出来る。感情表現が顕著になり、外的世界への探求心が
深まる。
2歳児;遊び仲間が出来る。言語機能が発達、コミュニケーションが出来る。生活習慣・
規則生活の形成の始まり。
3歳児;友達との協力。ルールを守る。相手の立場がわかる。相手との話が出来る。
自己顕示欲の低下、会話能力、知識吸収欲が伸びる。
4歳児;社会活動へ参加、友達の影響が強くなる。知的好奇心が長続きし、学習態度の
素地が培われる。
2歳〜3歳にかけての外的世界との出会い、それが母と子の分離。である。模倣の対象から
遊び友達へ、遊びの中で相手の立場がわかるようになる。社会性の発達。そこで母親に対する
愛、子供に対する母の愛を自覚できる。人格的に別の人格になったときから本当の意味での親
との信頼関係ができる。この育て方の違いが日本とヨーロッパの文化の違うところです。和辻
哲郎先生は、ヨーロッパは砂漠を突き進んで泉を求める、遊牧移動文化。リーダーシップ。
男性の文化。日本の文化は母性的定住文化の特色。そこの地域の風土にしっかりと結びついて
いる。それは母親の子育てにも現れ、母親が子供をきちっと抱く。それが定住文化。
子供が乳離れして独立したときに、独立した人格としての愛を持てばよいのだが、日本の
母親の場合はその前の一体化した状態を引きずっている。どうも日本の文化というのは甘った
れている。母親が子供に甘えている。だから、日本の場合は、個の独立というのが遅れている。
今は逆のことが現れている。独立した上での親子の愛というのにも、バイバイしている。
ところが欧米、特にアメリカの社会では違っている。最近アメリカの何人かの学者が集まる
会議に出て驚いたのは、どうもアメリカではこのごろ人々の間を結ぶ愛の絆が弱まる傾向が
出てきているように思われる。これはアメリカの真似なんかしたらとんでもない。日本は
日本の行き方で、親子の関係をもう一辺考え直さないといけない。
父親の役割;
三番目の、母子が別の人格になる段階になって、その上で父親の出番になる。父親の役割
とは何でしょうか。ちょっと考えないとわからないのが日本社会の問題。父親の一番大事な
ことは、父親が社会からの一つの規律を身に着けていて、それを子供に示していくことである。
父親には権威がなければならない。父親の言うことではなくて、父親の姿の中の奥のほうに、
父親を越えた社会の規範を見る。超自我の世界を父親を通して感じる。宗教心理学から見ると
それが“神”ということになる。ですから“神”を知ることは、父親を通して知ることで
ある。これが「父なる神」という言い方になる。父親というのは、ある意味では、子供から
見れば、世間一般の大事な教えを持っている人。それが示されなければ、父親の役割は無い。
子供をしっかり学校にやるためにがんばっている人はたくさんいるけれど、人間として一番
大事なモラルの根源の自覚を、どれだけ子供に示しているか。
母親と子供は最初に一体感を。二番目には、母子が分離して人格として、本当の意味での愛の
関係になる。子供は、母親と離れて外の世界を見に行く。外の世界にどんどん出て行って探求
する。母親との信頼関係が無ければ、母親と離れることができない。三番目にはお母さん
ではない、父性の原理を持っている父親の出番。後のことはそれぞれのご家庭でご経験があろう
かと思う。家庭における役割をもう一辺見直していただきたい。私は、ちょうど子育ての
大事なときに筑波大学を創ることに走り回っていた。今、「子供には申し訳ないことをした」
と思っている。後になって気がついたのではどうしようもないので、特に3歳から5歳までは
父親の世界。お父さんが頑張らならない人は、お母さんが父親代わりに頑張っちゃう人がいる
けど、これはやめたほうが良い。母親には、父親の代わりは出来ない。母子家庭の場合は別の
やり方を感合えた方が良い。
取り留めの無いことを言いましたが、今日はこの辺で終わりにします。ご静聴ありがとう
ございました。
Q(大脇):今日本の最大の不幸は、未曾有の敗戦ショックから立ちなおっていない文化的
危機。和魂洋才でいち早く近代国家の仲間入りを果たしたわが国は、奢り高ぶってアジアの
近隣諸国を侵略、米国の圧倒的な科学技術力の前に打ちのめされた。戦後導入された個人主義、
自由民主主義は、大和魂を根絶するという占領政策をも相まって、日本的土壌を否定した西欧
文化の切花の移植であった。西欧のキリスト教、ヒューマニズム、人権思想の土壌も日本的
文化的土壌も否定した文化の移植は、エゴイズム、保身、無責任の今日の世相を生み出している。
鈴木:日本は戦争に負けてからごろっと変わったわけではない。民主主義の時代になった
けれども日本の昔の原理を取り入れて頑張ってきた。やはり70年代ぐらいになると、初めは
アメリカの四分の一ぐらいのGNP。ところが70年代ぐらいになると追いついて、追い越して
しまう。俺たちはすごいと思うようになったころにバブルの崩壊。戦前も勢いづいたときに
戦争に負けた。日本人は心を合わせて頑張ればすごいエネルギーを持っているが、なんか
おっちょこちょい。もう少し時間を掛ければ落ち着いた成長ができると良いのですが、とにかく
急ぎすぎ。周りが日本をどう見ているかお構いなしで、とにかく“行け行け!ドンドン!”
「いまにあれはおかしくなるぞ」というのが世界の目。“がたん”「それみろ!」と。今、
世界中が一つの輪になって動いている時代ですから、世界的視野で動かないと、また失敗する
のではないでしょうか。だから私は少し悲観的なのですが、ですから家族から再出発すべき
と考えるのです。
鈴木先生のおっしゃるように、戦後、日本文化を放擲した、否定されたと言っても、戦前から
染み込んだ習慣はすぐに消し去ることは出来ません。戦前派、戦中派の影響を受けた戦後派(1世
・2世)は、矢継ぎ早に押し寄せる米国文明の波に呑まれながらも、伝統的価値観を生きて来ま
した。ところが、孫達(第3世代)は、一見格好のよい、民主主義、個人主義で着飾っていますが、
今日の社会的凶悪犯罪の激増は、彼等の無責任、自己主張ばかり強くて、他人に対する思いやりの
無さ、命の大切さに対する無感覚等に起因し、日本の文化的土壌の放擲、特に家庭の形骸化が大き
な要因ではないでしょうか?
金容雲先生がおっしゃったのですが、日本は日露戦争以降普遍を描けなかった。それで軍部の
独創でがたんと行った。戦後も経済大国となった後の普遍を描けず、バブルでぽしゃってしまった。
今、日本は普遍的な理念、世界でもなるほどというような、夢を描けるかどうかが最大の課題の
ように思われますが?
愛とか民主主義は言葉ではみんな納得しているが、自分たちの生活の中で本当に民主主義が
達成されているか。それを政府に直させるというのが今までの国民。そうでなくて自分たちの
身の回りから直すしか仕方が無い。アメリカは政治家が引っ張っている国ではない。市民の力。
日本は首を長くして待っている。この根性は直さなければならない。私は毎年夏、子供達をつれて、
清里でキャンプをやっている。だいたい30人ぐらい。楽しいですね。そういう子供達に未来を託す。
新聞、テレビで言っていることはその場でおしまい。しかし子供達の思い出は一生のもの。これが
仏教で言う“一隅を照らす”ということ。大脇君がこうしてがんばっているのも、“一隅を照らす”
です。我々のできることは、それしかないと思う。
Q(田中)
父性の原理。私は三人子供がいるのですが、結局、子供のほうから勘当を受ける。だから私が
話すことなんかまったく受け入れない。一人はまだ結婚していない。長女と次男は結婚している
が子供がいないし、子供を生む気も無いようだ。私には孫がいない。「田中家」というのが無く
なる。「人口なんか増えないほうが良い」というわけです。本籍が福岡県ですから、本籍の寺に
行こうと思うんですが、子供は絶対一緒に行こうとしない。
母親の愛は肌を通じて感じる。父親の愛は心に浸みてわかる。父親の愛というのはそれほど
大きなものなのですね。それに期待を掛けてがんばりましょう(笑)。
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パネルディスカッション
あすか会教育研究所 小池松次所長、鈴木博雄名誉教授
大脇準一郎 未来構想戦略フォーラム代表
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小池:どうも小池です。おばあちゃん先生(キャリア保育師)と、核家族のヤングママの
集いを45年間やっている。毎週火曜日に一切無料で実行しています。
Q(大脇):自閉症の子供の共通要因とは何でしょうか?
小池:
皆、何が自閉症かがわかっていない。何でも都合の悪い子は昭和45年ぐらいから自閉症で
片付けてしまった。今、自閉症、ADHD、LDとか言うけど、何にもわからない。致知出版に、
「自由、のびのびは自閉症に到る」と書いたら、抗議がたくさん来た。(自著「かつての日本の
子育ては本当に良かった」をかざして)出版社は「自閉症とか脳がおかしい」ということに対して、
「あなたは素人だから、素人が書いた論文は出さない」という。最高の学者を集めて文部省が
会議を10回やった。そうしたら子供の教育で、「感情の動きと脳科学の関係は一切不明でした」
と出た。私は教育学者ではない。今、自閉症、どうすれば自閉症の子ができるか、やった人は
いない。感情の動きがおかしいからと言って、前頭葉に穴を開けた人はいない。脳科学は学問
じゃありません。しかし教育学とは言いませんが、戦後の教育、昭和35-45年(1960―1970年)
となるうちに家庭の教育が変わった。私が地方を回って自閉症児を調査したのですが、職業、
家庭の構成をやってきましたら、共通点がある。自閉症児の親は、働いている人が多い。
一番多いのはピアノやお花などの先生。家庭で、子供が泣いても、お弟子さんが大事で、
おっぱいをあげない。そうすると子供がだんだん泣かなくなる。泣かなくなると、
「うちの子はいい子。泣かない」となる。そういう親の子が自閉症というのが何百人といた。
母乳の子はなかなか自閉症にならない。だっこする。ママは抱っこしながら赤ちゃんと
スキンシップしている。赤ちゃんはおっぱいを飲みながら、ママの顔を見ている。
コミュニケーションをやっている。牛乳の子は、哺乳瓶を見ている。抱っこして哺乳瓶を
飲ませる親はなかなかいない。寝かせて、哺乳瓶を突っ込んでいる。牧場の子豚と一緒。
母親の愛情を感じますか?
「三つ子の魂百まで」というのは江戸時代の言葉。今は「二歳の子」。昔は数え歳じゃない
ですか。三歳ではない。実際は二歳なのです。本当に教育問題はお金にならない。選挙の票
にならない。政治家は口先だけで、実際にやっているのは安倍晋三さん一人じゃないですか。
今回、安倍晋三さんがやっているけど、支持率が下がる。しかし、50年たてば歴史に残る宰相ですよ。
Q:大脇
未来構想戦略フォーラムを始めたのは、知的に真っ暗の中で、こつこつ始めた。最近、
安倍首相は、日本の英知を集め始めている。たとえば、美しい日本のプロジェクトでは、
平山郁夫先生が中心に、上から教えるという形ではなく、市民を巻き込んだ形で始めている。
また、日本財団の中の東京財団が、加藤秀樹さんが会長になって、政府と二人三脚の
ように民間の立場から補完的な役割をやっている。アメリカは多くのシンクタンクが
あるが、日本は今まで官僚に任せ放しであった。今や、新しい知的に政策構想を語る
時代が始まっている。
家庭崩壊の根本的原因も聞きたい。自閉症の原因は、母親が自分でおっぱいをやらなく
なったからだというような。
小池
なぜ自閉症が起こったかというのは、事例の一つがおっぱい。精神的な脳障害は、
生活習慣病なのです。昭和35年(1955年)まではなぜ日本には自閉症が無かったのか。
35年ぐらいから核家族が広がって、家庭教育が崩壊していった。家庭の崩壊、地域社会
の崩壊がヨーロッパ並みになることで自閉症が増えてきた。おっぱいは部分であって、
生活習慣上の日本の家庭というのが無くなってきたことがもっと本質的原因なのです。
鈴木
どういい方法があるかというと一般論では有る。やはりその子供にあった親の対応が
必要になる。要するに昭和30年(1955年)ぐらいから後の子供のいじめを見ていくと、
大人から子供への態度に問題があったのではないかと言える。自分自身が反省している
のですけれど。子供と同じ気持ちで付き合うという所から始めなければならない。
しかし政府の再生会議などはまさに上から言っている。私が一番気にしているのは
情報環境ですね。いくら親が頑張ってもだめ。その影響がだんだん大きくなってき
ている。はっきり新聞とテレビは一体なのです。その裏は政治が一体なのです。それが
今の日本社会。それは教育学者の問題ではなくて、私の手に負えない社会全体の問題。
小池
なぜ私が「集い」を始めたかというと、戦前に戻すとかそういうことではなくて、
おばあちゃんは日本の伝統を受け継いでいる。そのおばあちゃんの知恵をヤングママに
教えようと。ヤングママがおばあちゃんに何でも相談する。その後は歌を歌う。松下村塾
に集まった生徒さんは平均15人。それが明治維新をやったじゃないですか。私がずっと
やっているのは、続けるしかない。誰かがのろしを上げなければならない。私が言うん
じゃなくて、おばあちゃんに子育てを教わりなさいと。昭和一桁のおばあちゃんは90点
ばあちゃん、二桁のおばあちゃんは80点、20年以降は70点ばあちゃん。大正生まれは
百点おばあちゃん。おばあちゃんの知恵をお借りするのが一番いいだろうと思ってこれ
を始めた。おばあちゃん達に毎週ボランティアで来てもらっています。
鈴木先生、小池先生は、高名な教育学者でいらっしゃるのに、かえって教育の現場で
実践をなさっている。人数が少なくとも松下村塾の例をあげながら参加者を鼓舞された
先生は、吉田松陰を自負されているのだと思いました。小池先生は無料で毎月、毎週
ボランティアで講演、相談をされていらっしゃるのでしょうか?教育再生こそ日本
再生だと強調されましたが、古き良き時代、明治に戻すことは不可能でしょうけど、
倹約、勤勉、優しさ、思いやり、正義といった伝統を現在の教育の根幹に灯さなけ
ればならないと思います。
小池
明日、土曜日は二時間、教育学者としての講演をやります。是非お出かけください。
大脇
世界の中の一員として日本は何ができるかと考えなければ、世界の共感を受ける
ことは出来ません。日本から世界へ、ではいけません。世界に通じる文明史観を
確立することです。過去を生かしながら、未来の共存共栄の歴史観、思想哲学を
確立することです。共に国づくり世界づくりを行いたいと思います。
−了―
要旨
1、今日の生命軽視、無責任、身勝手な陰惨な事件が横行している。このことは,70年代
から80年代へ掛けて核家族化が進み、国を支えてきた「家」が崩壊したことと無関係
ではない。
2、“教育再生会議”では学校教育に焦点を当てているが、教育の原点は家庭であり、
国家、社会の原点も家庭である。教育基本法に「家庭の価値」をもっと強調す
べきである。
3、幼児期前期における父母の役割が特に大切である。ゼロ歳児にとって母親のスキン
シップは重要で,自閉症の子供はこの時期に母親の愛を受けなかった子供に多い。
3歳から5歳までは父親の役割、社会規範“神”を教わる。
4、戦後、大和魂根絶の占領政策も相まって,西欧の文化的土壌から切り取られた自由・
民主主義、個人主義の一方的移植の影響で、わが国は深刻な文化的危機に直面して
いる。今こそ、行き詰まりに来たった西欧文明とわが国の伝統を見直して、東西を
越えた新しい文明の創造に挑戦すべきときと考える。