奇妙な約束 

 2004年09月01日(水)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

■ パレスチナ問題と宗教

 パレスチナ問題が解決困難な原因の一つは、宗教が関わっていることである。
周知のように、この土地は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の
聖地である。宗教が関与しなければ、領土問題は、ユダヤ人とパレスチナ人の間
で、双方が折れ合い妥協する形での解決案も可能かもしれない。しかし、宗教が
関わると、そういう現実的解決は困難になる。

 1982年のレバノン侵攻でみずからの手をパレスチナ人の血で汚し、パレス
チナ人に対してとうてい妥協的とは言えないシャロン首相が、イスラエルの安全
という現実的考慮に基づき、ガザ地区の入植地全廃による「一方的分離案」を提
案しただけで、シャロン首相はユダヤ過激派から非難されるようになっている。
ユダヤ過激派はシャロン首相のガザ撤退案を、イスラエルに「エレツ・イスラエ
ル」を与えたという神の約束への違反と見なしているからである。ユダヤ過激派
の青年は1995年に、パレスチナ側に譲歩の姿勢を見せた当時の首相イツハク
・ラビンを暗殺している。

 イスラム過激派もまた、聖戦で死んだ兵士は天国に行けるとして、イスラム教
の信仰を利用して自爆テロを行なっている。

 イスラエルに大きな影響力を持っているアメリカはキリスト教国であり、政権
担当者は国内の宗教勢力の意向を無視することができない。原理主義的キリスト
教右派は、キリスト教シオニズムとも呼ばれるほどイスラエルに肩入れしている。
それは、彼らが聖書の黙示予言を信じ、イスラエルの建国がイエス・キリストの
再臨の前段階であると信じているからである。ブッシュ大統領自身がキリスト教
シオニズムに影響されているふしがある。

 ■反ユダヤ主義とシオニズム

 パレスチナ問題は、のちにパレスチナ人と呼ばれることになるアラブ系原住民
が住んでいたパレスチナの土地に、ヨーロッパから多数のユダヤ人が乗り込んで
きて、イスラエルを建国したことによって生じた(ユダヤ人の入植はすでに、ヨ
ーロッパで反ユダヤ主義が高まってきた19世紀の後半から始まっていた)。こ
れはまさに植民地主義の一形態である。

 反ユダヤ主義によってヨーロッパのユダヤ人がどれほど迫害されようと、それ
は元来、ヨーロッパ人とユダヤ人の問題であり、パレスチナ人には無関係のはず
である。ところがパレスチナ人は、ヨーロッパの反ユダヤ主義のつけを支払わさ
れる形で、土地を奪われ、難民と化したのである。

 この植民地支配に対して、欧米のリベラルな知識人は表だった批判をひかえた。
ナチスによる大量虐殺への同情、反ユダヤ主義への良心の呵責、そして自分もま
た反ユダヤ主義者と呼ばれることへの恐れが絡まり合って、彼らの批判精神を萎
えさせたのである。

 しかし、パレスチナは当初、ユダヤ人国家建設の唯一のオプションではなかっ
た。テーオドール・ヘルツルが19世紀の終わりにシオニズムを提唱したとき、
彼は最初ユダヤ人国家の建設の土地として、ウガンダやアルゼンチンなども考慮
していた。しかし、このような土地は、多くのユダヤ人の情熱を集めることはで
きなかった。その当時、西欧の多くのユダヤ人はユダヤ人国家の建設など非現実
的な夢だと考えていたのである。そこで選ばれたのが、ユダヤ人の歴史および宗
教と深く結びついているパレスチナであった。つまり、ヘルツルはユダヤ人の宗
教的情熱をユダヤ人国家の建設に利用しようとしたわけである。

 もしユダヤ人国家がアフリカや南米に建設されていたら、それは欧米諸国がア
ジア・アフリカに建設した通常の植民地の一つになっていただろう。そこでも白
人による原住民に対する支配・搾取・差別が行なわれたかもしれないが、そこに
は、今日のパレスチナ問題につきまとう、ややこしい宗教的問題は存在しなかっ
ただろう。アフリカや南米に建設されたユダヤ人国家は、通常の植民地として、
いずれは南アフリカのように、原住民の権利を回復する形で脱植民地化されたこ
とだろう。21世紀に入ってもなお、チェチェンやチベットのような異民族支配
地域が世界各地には多数残ってはいるものの、人権や民族の平等性の見地から、
植民地や異民族支配を恒久的に肯定する道義的な議論は成立しえない。

 だが、パレスチナに建設されたイスラエルには、当分こういう見通しは立たな
い。宗教的理由がイスラエル建国を正当化し、植民地主義を覆い隠しているから
である。

 ■シオニズムとユダヤ教

 「シオニズム」という語を造語したウィーンの作家ナータン・ビルンバウムは
こう述べている。
《シオニズムという語はシオンという語に由来する。シオンとはエルサレムにあ
る丘の名前であるが、すでに太古の時代からエルサレムのことを指す詩的な名称
であり、さらにまた、この都市がユダヤ人の国の焦点であると見なされていたの
で、さらに広くユダヤ人の国自体の詩的な名称であり、そしてまた、ユダヤ民族
がパレスチナの大地に根ざし、パレスチナの大地と一体に結びついていたかぎり
において、ユダヤ民族のことを指す詩的な名称でもあった。ローマの軍団がこの
一体性を解体したとき、「シオン」という語は憧憬のニュアンスを帯びるように
なった。この語の中には民族的再生への希望が体現されたのであった。〔……〕
シオンは、二千年にわたってユダヤ民族の生と苦悩の道の途上において同伴した、
ユダヤ民族の理想になった。この理想がシオニズムの基盤であるが、無意識的な
情動から思索的な意識が、苦悩に満ちた憧憬から活動的な意志が、不毛な理想か
ら救済的な理念が生まれたときはじめて、シオニズムはこの理想の上に築かれる
ことになったのである。》

 ユダヤ人はその離散の歴史の中で、常にシオン=パレスチナへの帰還を夢見て
きた。彼らがその土地に「憧憬」をいだくことは十分に理解できる。しかし、ユ
ダヤ人のパレスチナへの土地請求権は、外部世界に対してはどのようにして正当
化されるのであろうか?

 パレスチナは無人の土地ではなかった。そこにはアラブ人が定住し、生活して
いた。ユダヤ人がその土地から最終的に追放されたのは、西暦135年のバル・
コホバの反乱の失敗の時である。ローマ帝国はこの反乱を徹底的に弾圧し、ユダ
ヤ人がパレスチナに居住することを禁じた。この時以来、ユダヤ人の世界離散=
ディアスポラが始まった。したがって、ユダヤ人は少なくとも1800年間パレ
スチナから離れていたわけである(少数のユダヤ人はその間もパレスチナに住ん
でいたが)。1800年前までこの土地は自分たちの土地であったからこの土地
をよこせ、という主張は、正当化の根拠としてはどう見ても無理がある。

 ビルンバウムは非宗教的シオニストであったので、彼がユダヤ人とシオンとの
結びつきを強調するときに持ち出すのは、「ユダヤ民族がパレスチナの大地に根
ざし」、「民族的再生への希望」、「ユダヤ民族の理想」という民族主義的語彙
である。つまり彼はユダヤ人のパレスチナ再征服=植民地化を民族主義として正
当化する。そこには、シオンが、神がユダヤ人に与えると約束した土地である、
という宗教的根拠はあげられていない。いや、彼は宗教的理由をあえて隠蔽して
いるとさえ言える。

 シオニズムは当初みずからを、ユダヤ教とは一線を画す非宗教的・世俗的な政
治運動と規定した。「神が死んだ」(ニーチェ)20世紀の時代において、パレ
スチナの土地を神の名において要求することはできなかったからである。しかし、
シオニズムがいくら神を隠蔽しようとも、シオンへの「憧憬」は、神の約束とい
う宗教的観念なしには継続しえなかったはずである。シオニズムとは、宗教的信
念を隠蔽し、民族主義に仕立て直されたメシア主義運動と見ることができる。

 だが今日では、宗教的理由によってシャロンまでをも神への裏切り者と見なす
ユダヤ教原理主義者が登場しているように、宗教的シオニストの勢力が無視でき
なくなっている。彼らはパレスチナが神によって与えられた土地であることを堂
々と主張する。こうなると、「神との契約」は絶対なので、そこには交渉や妥協
の余地はなくなる。国際社会がいくらパレスチナ和平を斡旋しようとしても、イ
スラエル人が「神の約束」という観念を放棄しなければ、パレスチナ問題は解決
できないであろう。(萬晩報 コラム配信ジャーナリズム)
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 ■奇妙な約束

 旧約聖書には、神ヤハウェがイスラエル人に土地を与えるという約束が書かれ
ている。たとえば、創世記15章で神はイスラエル民族の祖アブラハムに、「あ
なたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、
カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、ギルガシ
人、エブス人の土地を与える」とある。また、出エジプト記第6章で神はモーセ
に、「わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナ
ンの土地を与えると約束した」と述べている。

 だが、このヤハウェの約束は実に奇妙な約束なのである。この奇妙さを暴露し
ているのが、長谷川三千子『バベルの謎:ヤハウィストの冒険』(中央公論社、
1996年)の一節である。長谷川氏の著書の本来のテーマは別のところにある
のだが、土地約束に関する氏の解説は啓発的である。

 氏はおおよそ次のように述べている(同書36〜39頁)。――ヤハウェがア
ブラハムに与えると約束した土地は、すでに別の民族が住んでいた土地であった。
つまりヤハウェは、他人の土地を勝手にアブラハムに与えると約束したわけであ
る。これはまことに「顰蹙すべき約束」である。だがこの約束は、ヤハウェが、
イスラエル人の神であると同時に、全地の神でもあるという「一風変わった二重
性格」によって担保されている。つまり、全地の神であるヤハウェがどの土地を
イスラエル人に与えようが勝手というわけである。この神の約束に従って、イス
ラエル民族は他の民族の土地を侵略し、略奪した。その結果、イスラエルの建国
にまつわる根本的な「暴力」が、いわば「正々堂々と公認されることになった」
・・・
 このような聖書の記述をひっくり返して眺めてみれば、そこに浮かび上がって
くるのは、「神の約束」とは、本来、自分たちのものではない土地を横取りした
ことを正当化するために持ち出された理由ではないのか、という疑惑である。

 イスラエル人が定住する前に、カナーンの地に様々な民族が住んでいたことは、
先に引用した創世記の一節にも示されている。その土地はまさに太古の時代にお
いても諸民族の係争の地であった。その土地を最終的に奪ったイスラエル人が、
それを神に与えられた土地として他の民族に主張するために作り上げたのが、聖
書の中の「神の約束」という物語であり、「神の約束」とは、異民族殺戮・土地
略奪を伴った建国を正当化するためのフィクションではなかったのか。

《彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるもの
はことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。》(エリコ攻略)
《その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。》(アイ攻略)
《彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一
人も残さなかった。主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命
じ、ヨシュアはその通りにした。》(ハツォル攻略) ヨシュア記には、イスラエ
ルが神の命令に従ってカナーンの地の異民族を皆殺しにしたことが、誇らしげに記
されている。 異民族殺戮=民族浄化を正義と認める「神」は恐ろしい神である。
それは民族的エゴイズムの神格化にほかならない。 このように、イスラエル民族
は太古の土地略奪を「神の約束」として正当化したのであるが、現代においても宗
教的シオニストは、その土地の再奪略を聖書を根拠に正当化している。歴史は繰り
返すようである。 だが、長谷川氏の考察には次のような逆説的洞察が含まれてい
る。

《しかし、他方では、神による「土地の約束」が、これほど明瞭なかたちで建国の
出発点に据えられてしまつたことは、或る難しい問題を生みだしたとも言へる。す
なはち、イスラエルの民にとつて、その国土がいつまで経つても本当の意味での自
分たちの土地とはなりえない、といふ問題である。カナーンの地は、あくまでも神
との契約によって、イスラエルの民へと授けられたものであるのだから、それは彼
らにとつて、いわば、永遠の「神からの借地」なのであり、決して自分たちの「持
ち家」とはなりえないのである。》

 神は、イスラエルが神との契約を守るかぎりにおいて、パレスチナの土地をイ
スラエルに貸し与えている。イスラエルと神との間には613もの契約事項(戒
律)がある。当然のことながら、昔も今も、イスラエル人すべてが、すべての契
約を守っているわけではない。契約が守られているかどうかの判定は、いわば神
の気ままにまかせられている。神が契約違反を理由に、その土地をイスラエル人
から取り上げようと思えば、いつでも取り上げることができる。それを示したの
が、バビロン捕囚(紀元前6世紀)であり、世界離散であった。

 神との契約を根拠にするかぎり、イスラエル人はパレスチナの土地を再度奪われ
ても文句は言えないわけである。イスラエルがその土地を真の「持ち家」とするた
めには、「神の約束」という宗教的幻想を捨て去り、自国を植民国家と認め、原住
民たるパレスチナ人との和解と共存に向かうしか道はないのではなかろうか。

#(追記): アテネ・オリンピックの男子マラソンで、先頭を走っていたブラジ
ルのデリマ選手が、観客席から飛び出してきた男に妨害された事件には、世界中の
視聴者が驚いた。この男はアイルランド人の元司祭ということであるが、彼が持っ
ていたプラカードには、"The Grand Prix Priest. Israel Fulfillment of
Prophecy Says The Bible. The Second Coming Is Near".(グランプリ司祭。イス
ラエルに関する予言の成就を聖書は語っている。再臨は近い。)と書かれていた。
この男もキリスト教シオニストの一人なのであろう。この男はもちろん常軌を逸し
ているが、彼の観念を共有するクリスチャンは少なくない。こういう宗教的観念が
パレスチナ問題の解決を困難にしている。

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March 27, 2003 国境のない地球日常の出来事は偶然と必然の組み合わせでできて
いる。昔から予言者や歴史家は実際に起きたことや歴史上の出来事からいろいろな
ことを学ぶ。Ooshima Shinsuke's BLOGで紹介されていた萬晩報経由で考えさせら
れる文章に出会った。

筆者は、神なるものが存在するならば、それはイスラム教とか、キリスト教とか、
ユダヤ教とか、ヒンズー教などといった特定の宗教を依怙贔屓するはずはないと思っ
ている。これを言われるとすべての宗教関係者が困ってしまうかもしれないが、言
われれば確かにそうかもしれない。

神というのは宇宙の法則の別名だと思っている。宇宙の法則に違反すれば、いかな
る宗教の信者であっても、それなりのしっぺ返しを受けるだけのことである。

絶対変えることのできない原則が確かにある。弱い人間は偉大な自然の前では弱い
ものなのだ。宇宙や自然にとって人間が脅威となるのならその原則からすると淘汰
されるのはそんなに先ではないかもしれない。そうならないようにしないといけな
いが。

人類も地球という宇宙の星の中で生きている以上、人間社会もやはり宇宙法則と無縁では
ありえない。調和という宇宙法則を人間の領域に引き寄せれば、それは公正、バランス、
平和ということになるであろう。極端な貧富の差、権力の集中、人種差別、戦争や闘争は
すべて不調和であり、宇宙法則に反した事態である。このような不調和はいずれ時の流れ
の中でバランスされ、いやおうなしに調和の方向にもって行かれるに違いない。いわゆる
因果応報とは、作用・反作用という宇宙のバランス作用の宗教的表現にすぎない。

なるほど、何事もバランスや調和が必要とのこと。確かにそうかもしれない。変えられな
い原則があるのなら自然と調和が図られるはずだ。
その神聖な空間を、世界の真の平和と人類全体の幸福のために利用するのであれば、天は
これを許しもしよう。しかし、宇宙空間を、自国の覇権を確立したり、他国、他民族を抑
圧したりという軍事目的で利用することは、まさに天を汚す行為ではないか。このような
行為は、神の調和の法則とは相容れない。そういう行為は、不調和なるものとして、いず
れ宇宙から排除されざるをえないだろう。

超大国が軍事衛星などを打ち上げているが、自分達を守る為と言いつつ、他国の侵略行為
や人民を抑圧しているかもしれない。自分達にとっての正義が必ずしも相手方の正義にな
るわけではない。

どんな人間の中にも、国家・民族の一員という相対的個別性と、人類の一員という普遍性
が同居している。

自然環境や宇宙にまで向けて考えを広げていくと、同じ地球に住む人間同士が争っ
ている場合ではないかもしれない。人類の一員として何ができるかを考えていかな
いといけないかも。

彼は、「私が宇宙の中で生まれていたならば、これまで宇宙を訪ねたいと思ってい
た以上に、もっと強くこの美しい地球を訪ねたいと思うことでしょう」とEメール
の中で述べた。

宇宙に行ったことが無いからわからないが、写真などを見ていても地球が美しいの
はわかる。その地球上に住んでいる以上その美しい地球を守っていかないと。

「国境のない地球はほんとうに美しい。どうか地球が平和であることを望みます」
普段目にする地球儀には国境が引かれているけれども、そんなものは実際には無い
のだ。所有できないものを誰が所有し始めたのだろう?

ガイア意識の獲得こそ、人類生き残りの鍵である。だが地上では、人類が人為的な
相違によって自他を分断し、今なお各地で民族紛争、テロ、制裁戦争、環境破壊を
つづけ、母なる地球を傷つけている。なんと愚かなことだろう。

一人一人違っていることが素晴らしいと思う。考え方や暮らし方、言語、習慣。い
ろいろ違うから面白いのだ。相手を理解する、認めるということを広げていけば争
いは無くすことができるかもしれない。争っている場合ではない。

地球に生きるものとして、もっと意識を広げていければいいのに。人に言葉が与え
られたのは、争いを起こす為でないはず。言葉はお互いを理解し尊重するためにこ
そ使うべきだと思う。http://kengo.preston-net.com/



宇宙からのメッセージに耳を傾けよ
――スペースシャトル事故と迫り来るイラク攻撃


          中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

スペースシャトル・コロンビア号が、2月1日、大気圏に再突入する際に分解し、
7人の宇宙飛行士が死亡した。これは1986年のチャレンジャー号の打ち上げ失
敗につづく、シャトル二度目の大事故である。亡くなった宇宙飛行士の方々とご家
族の皆さんには心から哀悼の意を表したい。

この事故は、調べれば調べるほど、不思議な出来事だという感じがする。調べると
いっても、事故の原因調査のことではない。事故原因は、いずれ専門家が明らかに
してくれるだろう。

不思議というのは、このショッキングな事故の背景から否応なしに浮かび上がって
くる、とうてい単なる偶然とは考えられない、不思議な意味の布置である。

この事故は、計画されているアメリカのイラク攻撃の直前という時点で起こった。
このタイミングがまず不思議である。イラク攻撃は、911事件の延長線上で計画
されている。事故で亡くなったアメリカ人女性飛行士ローレル・クラークさんの従
兄弟は、911事件で死亡している。この3つの間に何か不思議な関連を予感した
人が、かなりいたのではないだろうか。その関連を解き明かすのが本稿の目的であ
る。

▼アメリカ、イスラエル、インド

7人の宇宙飛行士の中には、アメリカ人以外の飛行士が2人いた。イスラエルの軍
人イラン・ラモン氏とインドの女性科学者カルパナ・チャウラさんである。チャウ
ラさんは、アメリカ人と結婚しアメリカ国籍になっていたが、インド生まれであり、
インド国民も自国の英雄として熱い声援を送っていた。それは、毛利衛さんを声援
した日本人の心情とかわるところはないだろう。

アメリカ、インド、イスラエル――この3カ国には、現在の国際政治の中でいくつ
もの共通点がある。

まず、3カ国とも現在、熱心に「テロとの戦い」を行なっている。アメリカの敵は
アルカイダとイラクである。イスラエルの敵はパレスチナ人である。インドの敵は
パキスタンである。彼らの敵はいずれもイスラム教徒である(イラクにもパレスチ
ナにもパキスタンにもその他の宗教の信仰者もいるが)。そして、3カ国とも、テ
ロとの戦いを正当化するために、かなりいかがわしい正義をふりかざしている。

アメリカはテロとの戦いと称してアフガニスタンを爆撃した。911事件の犯人が
オサマ・ビン・ラディンとアルカイダであったとしても(具体的な証拠はまだない
が、それはほぼ確実だろう)、現在の国際法の枠組みの中で、アメリカはアフガニ
スタンを攻撃する権利があるのだろうか。アフガニスタンはアメリカに攻撃をしか
けたわけではない。オサマ・ビン・ラディンをかくまったことがいけないというの
であれば、今後は、アメリカが危険と見なす人物や組織が滞在しているというだけ
で、その国はアメリカに爆撃されることになる。

現在アメリカは声高にイラク攻撃を唱え、「ゲームは終わった」とイラクに最後通
牒を突きつけているが、イラクはアメリカに攻撃をしかけたわけでもないし、その
能力もない。アメリカのイラクへの先制攻撃は、戦後、国際社会が築きあげてきた
国連中心の平和維持システムを崩す危険な行為である。武器査察団のこれまでの調
査によっても、イラクがアルカイダと協力している具体的証拠も、イラクが大量破
壊兵器を保持しているという決定的な証拠も何一つ見つかっていない。もちろん、
イラクが生物化学兵器を隠し持っている可能性はゼロではない。それならば、時間
をかけて査察をもっと徹底し、見つかった時点で破棄させればよいだけのことであ
る。しかし、具体的な証拠もないのに、「持っているに違いない」「怪しい」「将
来何かしでかす可能性がある」という理由で、イラクへの先制攻撃が認められるの
であれば、今後、中国が台湾や日本を同じ理由で先制攻撃することも許されること
になる。インドがパキスタンを先制攻撃することも許されることになる。すべての
国が、敵国を怪しいと思った時点で、先制攻撃することが許されることになる。ア
メリカは世界をそういう恐ろしい状況へと導こうとしているのである。

この予防的先制攻撃のひな形は、1981年に起こった、イスラエルによるイラク
の原子炉への空爆であると言われている。イスラエルは、イラクが原爆を作るかも
しれないとして、イラクを急襲し、原子炉を破壊した。イラクはイスラエルに攻撃
をしかけたわけではなかった。原爆を持つと危険だという理由で、イスラエルはイ
ラクを先制攻撃したのである(だが、イスラエルはすでに原爆を持っている)。こ
の空爆は明らかに国際法違反である。ブッシュ政権は今、同じ理屈を使ってサダム
・フセインへの攻撃をしかけようとしている。

アメリカは、自国にはそういうことが許されていると思っているのだろうか。それ
では、国際社会の中でアメリカが裁判官と検事と警官と死刑執行人を同時に務める
ようなものである。こんなことが一国の中で起こったら、どんなに異常で危険なこ
とか、ということはすぐにわかるはずであるが、そんな無理を正義と言いくるめて
ごり押ししているのが現在のアメリカである。

イスラエルがパレスチナ人に対して行なっているのは、一種のアパルトヘイト政策
である。イスラエルはパレスチナ人のテロを非難するが、そもそも先住民族パレス
チナ人の土地を奪い、彼らを自暴自棄的な自爆テロに追いやったのは、イスラエル
である。パレスチナを占領したイスラエルに対して、国連はたびたび撤退の決議を
行なっているが、イスラエルはそれをことごとく無視している(イスラエルの国連
決議無視は29回に及ぶという)。イラクは国連決議に従っていない、とアメリカ
やイスラエルは非難するが、まさに目くそ鼻くそを笑うようなものである。

民間人を無差別に狙うテロが誤った行為であることは当然である。しかし、そのよ
うな絶望的行為がなぜ生じてくるのかという、その根本原因を解明し、それを解決
しないことには、テロはなくならない、とブダペストクラブ会長のアーヴィン・ラ
ズロー博士は指摘している(出典はこちら)。

だが、アメリカもイスラエルも、みずからの政策の過ち、自らの責任を反省するこ
となく、表面に現われたテロという現象のみを力で撲滅しようとしている。それは、
病気の根本原因を治療することなく、表面に現われた病状だけを抑え込もうとして
いるのに等しい。それでは、病気はますます悪化するだけである。

ヒンズー教国インドがイスラム教国パキスタンと軍事対決をつづけていることは、
よく知られている。両国の間のトゲになっているのはカシミール問題である。カシ
ミール問題の原点は、印パの分離独立の際に、カシミール地方の帰属を問う住民投
票をインドが拒否したことである。住民投票が行なわれれば、イスラム教徒が大多
数を占めるカシミール住民は、とうぜんパキスタンへの帰属を望むが、インドはカ
シミール地方を手放そうとはしなかった。大国の領土欲、権力欲である。カシミー
ル問題が原因となって、印パの間ではこれまで三度にわたって戦争が起こった。昨
年は、アフガン問題に刺激され、イスラム過激派がカシミール地方やインド各地で
度々テロを行なったので、印パ間の緊張が極度に高まり、一時は核戦争の危機さえ
もささやかれた。

そう、核である。3カ国とも核兵器を保有する軍事大国である。3カ国とも核兵器
を含む巨大な軍事力によって、敵を威嚇し、敵をねじ伏せようとしている。そして
最近は、いざとなれば核兵器を使用することさえためらわない、と公言するまでに
なっている。恐ろしいことだ。

▼3カ国の軍事協力関係
この3つの軍事大国の代表が同時にスペースシャトルに搭乗したのは、偶然なのだ
ろうか。そもそも宇宙開発は当初から米ソの軍拡競争によって動機づけられていた。
スペースシャトルも然、科学の発展や宇宙ステーションの建設という平和目的ばか
りではなく、軍事的な目的のためにも利用されていた。Yoichi Clark Shimatsu氏
は、アメリカ、イスラエル、インドの間に軍事協力関係があったことを指摘してい
る(出典はこちら)。

アメリカとイスラエルが密接な軍事協力を行なっていることは、すでに有名である。
イスラエルの軍事技術はアメリカのミサイルに使われているし、アメリカの戦闘機
やヘリコプターは、イスラエル軍によるパレスチナ住民への攻撃に使用されている。

イスラエル人ラモン氏は、1970年代にユタ州の空軍基地で戦闘機パイロットの
訓練を受けた。1973年には第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)にパイロッ
トとして参戦。1981年にはイラクの原子炉爆撃に参加。1982年にはレバノ
ン侵攻に参戦(このとき、シャロン現イスラエル首相が、数千名のパレスチナ難民
の虐殺を命令したと言われている。そのためシャロン氏はベルギーで戦争犯罪人の
告発を受けている)。このような経歴は、イスラエル人にとってはまさに愛国の英
雄であろうが、パレスチナ人やイラク人などにとっては、憎むべき敵ということに
なるであろう。

Shimatsuによれば、ラモン氏のシャトル搭乗は、アメリカとイスラエルの友好を示
す単なる象徴的な意義にはとどまらないという。ラモン氏がシャトルで行なった研
究の一つは、地中海沿岸地方の砂塵の調査である。これは、砂塵に隠れた敵をスパ
イ衛星によって発見するという軍事目的に直結している。

またインド人チャウラさんの専門は、ロボット工学と航空力学で、彼女の研究は、
垂直離着陸戦闘機ハリヤーや戦闘ヘリコプターの開発とかかわっている、と
Shimatsu氏は述べている。

アメリカとイスラエルの軍事協力ほど知られてはいないが、イスラエルとインドも
軍事協力を行なっている。イスラエルの軍事教官はインド人兵士を訓練し、カシミー
ル地方のイスラム教徒の反乱を抑え込むために、ガザやヨルダン川西岸でパレスチ
ナ人を弾圧した方法を伝授した、とShimatsu氏は指摘している。さらに田中宇氏は、
イスラエルがインドの核兵器開発に協力してきた可能性が強い、と示唆している
(出典はこちら)。

イスラエル人がシャトルに搭乗するということで、今回の打ち上げは、テロを警戒
して、以前にも増して厳しい警備の中で行なわれた。インド人もパキスタンのテロ
リストの標的となる可能性があったわけである。しかし、今回の事故が、テロリス
トの工作やアメリカに敵対的な国のミサイルによって引き起こされたものではない
ことは、アメリカ政府も認めている。

▼天の警告
さて、筆者が拙稿の冒頭で述べた「単なる偶然とは考えられない不思議な意味の布
置」とは、これまで述べてきたような、3カ国の間の具体的な軍事協力関係のこと
ではない。自分たちの責任を棚上げにして「テロとの戦い」に邁進するこの3つの
軍事大国に対して、大事故という形で天が警告を発しているように見えることであ
る。

分解したコロンビア号の残骸が雨あられと降ってきたのは、テキサス州であった。
テキサス州は言うまでもなくブッシュ大統領の地盤である。そして、コロンビア号
の爆発音が最初に聞こえたのが、テキサス州のパレスタイン(Palestine=パレス
チナ)という町の上空だった。このことを、イスラエルの新聞は驚きをもって報じ
ている(出典はこちら)。


これは、偶然にしてはあまりにもできすぎた一致である。では今回の事故は、事故
直後にイラクの人々が口々に述べたように、イスラム教徒を弾圧する国々に対する
「神の与えた罰」なのだろうか。ここで、どうしても「神」という問題についても
触れなければならなくなる。それは、アメリカ、イスラエル、インドの3カ国とも、
宗教国家といってもいいほど宗教に強く影響された国であるからであり、それがま
た世界平和を脅かしている大きな要因の一つとも考えられるからである。そう、宗
教の力が強いということもまた3カ国の共通点である。

▼神とは
筆者は、神なるものが存在するならば、それはイスラム教とか、キリスト教とか、
ユダヤ教とか、ヒンズー教などといった特定の宗教を依怙贔屓するはずはないと思っ
ている。神は万人にとっての神であり、特定の宗教の信者に、その宗教を信じてい
るというだけで、報償や罰を与えたりするはずはないと考える。だから筆者は、神
(アッラー)が3カ国に罰を与えたとは思わない。

神というのは宇宙の法則の別名だと思っている。宇宙の法則に違反すれば、いかな
る宗教の信者であっても、それなりのしっぺ返しを受けるだけのことである。仏教
やヒンズー教では、この宇宙法則はカルマの法則と呼ばれている。

唯物論国家ソ連の宇宙飛行士が「宇宙には神はいなかった」と言ったというのは、
事実なのかジョークなのか、筆者は確かめていない。このような言葉が生まれてく
るのは、神を擬人化しているからである。しかし、神というのは、髭をはやして、
玉座に座っているおじいさんではない。神とは宇宙そのものであると思う。

人類は宇宙の法則を解明し尽くしたわけではない。大宇宙の発生についてはビッグ
バン理論があるが、これは推量的仮説にすぎない。物質の究極は今なお不明である。
いかに遺伝子の解析が進んでも、どのようにして生命が誕生したかはいまだ謎であ
る。そして、物質体である人間にどのようにして心の働きがあるのか、ということ
もわからない。人類がこれまでの科学で解明しえた諸法則は、宇宙の法則のほんの
片鱗にすぎない。

宇宙を成り立たせ、万物を司っている偉大なる法則のことを神と呼ぼう。神という
言葉がいやならば、遺伝子研究の村上和雄博士にならって「サムシング・グレート」
と呼んでもかまわないが、ここでは簡便化のために神という言葉を使うことにする。

神(宇宙法則)の実体はかぎりなく深く、はてしなく高いが、その根本属性の一つ
は「大調和」ということはたしかだと思う。小はミクロの素粒子のレベルから、大
は太陽系、銀河系、島宇宙まで、万物は調和によって成り立っている。調和が崩れ
たように見えたときは、それを補うための力がすぐに働き、調和が回復される。調
和からはずれたものは、やがて消滅する。

人類も地球という宇宙の星の中で生きている以上、人間社会もやはり宇宙法則と無
縁ではありえない。調和という宇宙法則を人間の領域に引き寄せれば、それは公正、
バランス、平和ということになるであろう。極端な貧富の差、権力の集中、人種差
別、戦争や闘争はすべて不調和であり、宇宙法則に反した事態である。このような
不調和はいずれ時の流れの中でバランスされ、いやおうなしに調和の方向にもって
行かれるに違いない。いわゆる因果応報とは、作用・反作用という宇宙のバランス
作用の宗教的表現にすぎない。

今では神が天にいると信じている人は少ないかもしれない。しかし天、すなわち宇
宙空間は、やはり地上とは違った不思議な空間である。神聖な空間と言ってもかま
わないと思う。立花隆氏の『宇宙からの帰還』によれば、宇宙空間で神秘体験をす
る宇宙飛行士がときどきいる。神秘体験とまでは言わなくとも、大部分の宇宙飛行
士は、宇宙空間に出ることによって、地球への意識が大きく変わるようである。今
回が2度目の宇宙旅行となったチャウラさんは、出発前、「宇宙は一度行くととり
こになる」と述べていた。

その神聖な空間を、世界の真の平和と人類全体の幸福のために利用するのであれば、
天はこれを許しもしよう。しかし、宇宙空間を、自国の覇権を確立したり、他国、
他民族を抑圧したりという軍事目的で利用することは、まさに天を汚す行為ではな
いか。このような行為は、神の調和の法則とは相容れない。そういう行為は、不調
和なるものとして、いずれ宇宙から排除されざるをえないだろう。

▼宇宙の中でのユダヤ教儀式

ところで今回、宇宙空間の中で宗教儀式を執り行なった宇宙飛行士がいる。イスラ
エル人ラモン氏である。ラモン氏が、祖国イスラエルのために戦った軍人であった
ことはすでに紹介した。彼はまた、ホロコーストの生き残りの子孫として有名であっ
た。イスラエル人初の宇宙飛行士としてコロンビアに乗り込んだ同国空軍大佐のイ
ラン・ラモンさん(48)は、1枚の鉛筆書きの素描画を宇宙に携えていった。

14歳のユダヤ人ペトル・ギンツ少年が第2次大戦中にチェコスロバキア(当時)
の強制収容所で描いた《月の風景》。ラモン大佐が《ホロコースト(ユダヤ人大量
虐殺)に関するものを宇宙に持っていきたい》と、ホロコーストの記録を集めるエ
ルサレムのヤド・バシェム博物館に依頼し、博物館がこの1枚を選んだ。祖父を強
制収容所で亡くし、祖母と母親もアウシュヴィッツからの生還者。ラモン大佐は
《苦難の歴史を背負ったユダヤ人の代表》として宇宙に飛ぶことに特別の思いを抱
いていた。飛行前のインタビューでは《とりわけホロコースト経験者は、自分の飛
行に特別の思いを抱くはずだ》と語っている。(出典はこちら)

朝日新聞のこの記事にもあるように、ラモン氏はアウシュヴィッツからの生還者の
子である。彼はさらに、ホロコーストの生存者の手紙を宇宙船に持ち込み、アメリ
カ人宇宙飛行士デビッド・ブラウン氏に読ませさえした。

彼はまた、熱心なユダヤ教徒でもあった。宇宙船の中でも彼は、ユダヤ教の規定に
従ったコーシェル(清浄)な食事をとっていた。彼はユダヤ教のトーラー(律法)
の小さな巻物をシャトルに持参した。このトーラーのもとの持ち主は、ナチの強制
収容所で死んだラビだという。ユダヤ教では金曜日の夜が安息日とされているが、
安息日にはシャトルの中で礼拝をした。彼はイスラエルの上空ではシェマー(「聞
け、イスラエルよ」)というヘブライ語の祈りを唱えた。

ホロコーストとユダヤ教は、現代イスラエル人のアイデンティティーのよすがであ
り、またイスラエルに対する国際的同情をひきつけるための肯定的記号でもある。
この記号をイスラエルは戦後、最大限に利用してきたし、今でも利用している。強
制収容所から宇宙にもたらされたトーラーは、イスラエル人は迫害を受けた受難の
民であり、その堅固なる信仰によって生き延びたというイメージを作りだす。まし
て、その持参者がホロコーストの関係者であれば、その効果は満点である。ホロコー
ストの記憶を宇宙の中にまで持ち込もうとするイスラエルのしつこいまでの意志に
は驚かされる。ラモン氏はまさによきイスラエル人の代表としてシャトルに送り込
まれたのだ。

このように、イスラエル国家は自分自身を受難者として演出するが、その受難はす
でに半ば過去の歴史に属しつつある。イスラエルの現実の顔は、アパルトヘイトの
実行者という抑圧者のそれである。イスラエルが代表的イスラエル人に託して隠蔽
しようとしていた暗い側面が、パレスチナであった。しかし神は、宇宙空間でのユ
ダヤ教の儀式などは喜ばなかった。そもそも、金曜日の「夜」などということが、
宇宙空間では無意味であろう。そういう地上的な宗教観念を宇宙に持ち込むことに、
筆者は強い違和感を感じる。神は、偏狭なユダヤ教観念には応えず、逆にシャトル
をパレスタインという町の上で爆発させることによって、イスラエル国民に、パレ
スチナ問題の公正な解決こそ神意であることを教えているように見える。

このような解釈は、聖書に照らしてみても許されるだろう。なぜなら、旧約の預言
者たちはたびたび、神は宗教儀式などは喜ばず、「悪を行なうことをやめ、善を行
なうことを学ぶ」(イザヤ書第1章)ことこそ望んでいる、とユダヤ民族に伝えて
いるからである。シャロン政権がいま行なっている政策を、ユダヤの預言者たちは
とうてい「善」とは認めないだろう。

▼アメリカのキリスト教原理主義者

アメリカ人が宗教に熱心であることはつとに有名である。アメリカのキリスト教勢
力は政治に強く介入する。園田義明氏は、ブッシュ政権の背後には狂信的な宗教右
翼(キリスト教原理主義者)の影がちらついていることを指摘している。彼らは、
「ヨハネ黙示録」に描かれているハルマゲドンの予言を信じ、世界最終戦争=核戦
争が起こることを「待望」さえしている。現在のイラク危機は、彼らによって演出
されている可能性がある(出典はこちら)。

彼らの心性は、ハルマゲドンを自作自演しようとしたオウム真理教のそれと違わな
い。そういう人々が超大国アメリカの政治に影響を及ぼしているのである。
このようなキリスト教原理主義者たちは、イエス・キリストの心に背くことはなは
だしいと言わなければならない。イラク攻撃に狂奔するブッシュ大統領は、「汝の
敵を愛せ」という有名な言葉を覚えているのか。

先の湾岸戦争の際には大量の劣化ウラン弾が使われ、その放射線被害にイラクでは
多くの子供たちが苦しんでいるという。今度イラク攻撃が行なわれれば、もっと多
くの罪なき一般国民が殺されるだろう(出典はこちら)。

スペースシャトルが空中分解し、その有毒な残骸がテキサス州にばらまかれたのも、
ブッシュ大統領とアメリカ国民への天からの警告と見ることができる。もし神と正
義の名においてもう一度イラクの一般国民を大量虐殺したあかつきには、神はもは
やそれを決して許さない、という警告である。次に起こるのは、もっと大きな事故
かもしれないし、自然災害かもしれないし、テロリストによる攻撃かもしれない。
おごれる者は久しからず。アメリカは今、神の道を外れ、自滅の道を突き進んでい
ることを知らなければならない。

もう一つの宗教国家インドについても触れておかなければならないだろう。インド
は多民族、多宗教国家であるが、その中で最大の勢力を誇っているのはヒンズー教
である。昨年は、インド北部のアヨーディアという町にあったモスクの跡地にヒン
ズー教の寺院を建てる計画をめぐって、ヒンズー教徒とイスラム教徒との対立が激
化し、千名近いイスラム教徒が虐殺された。宗教対立がインドの宿痾である。

チャウラさんは北インドのハリヤナ州の出身で、パンジャブ工科大学で学んだ。ハ
リヤナ州は元来、イギリス植民地時代はパンジャブ地方の一部だった。1947年
に印パが分離独立する際に、イスラム教徒の多い地方はパキスタン・パンジャブ州
に、ヒンズー教徒の多い地方はハリヤナ州に、シーク教徒の多い地方はインド・パ
ンジャブ州になった。パンジャブ地方のすぐ北にあるのがカシミール地方である。
カシミール地方はイスラム教徒が圧倒的多数を占めるにもかかわらず、藩王がヒン
ズー教徒であったために、インドに帰属させられた。チャウラさんの出身地、勉学
地にもインドの複雑な宗教問題、国境問題が影を落としている。チャウラさんの死
は、この問題を解決せよ、というインド人とパキスタン人に対するメッセージのよ
うにも思える。神とは大調和であり、平和である。いくら「神よ、神よ」と神を呼
んでみても、異民族を圧迫し、異信仰者を抑圧し、敵を武力によって殺す者は、神
のみ心にかなわない。アメリカもイスラエルもインドも、誤った宗教観念によって
政治を誤り、世界を危機におとしいれている。これも3カ国の共通点である。

▼宇宙飛行士たちのメッセージ

ただし、事故で死んだ宇宙飛行士個人に罪はない。個人は、国の代表として宇宙空
間に送り込まれただけである。天を汚したのは、国であって、個人ではない。
ラモン氏が典型的なイスラエル人であることはすでに見た。しかし、神秘なる宇宙
空間に滞在することによって、彼は次第にイスラエルという国境をも超えしまった
ように見える。
彼は、シャトルから行なったシャロン首相との対話で、強制収容所からもたらされ
た例のトーラーを示しながら、最初にこう述べた。
この品はまさに、恐ろしい時代にもかかわらず、すべてを超えて生き残るユダヤ民
族の決意を表わしています。暗黒の日々を超えて、希望と救済の時代に到達すると
いう決意です。

これはまさにイスラエル人としての言葉だ。だが次に彼は、宇宙から見た地球の様
子を尋ねられて、シャロン首相にこう伝えた。

お伝えしたいと思いますが、ここから私たちが見ることができるものは、驚異的で
す。私たちの惑星、地球は美しい。ほんとうに美しい。その中で私たちが生きるこ
とが許されている大気圏はとても薄いのです。夜になると、大気圏からの一種の反
射を見ることができます。私たちはこれを心を込めて守らなければなりません。
(出典はこちら)

どんな人間の中にも、国家・民族の一員という相対的個別性と、人類の一員という
普遍性が同居している。ラモン氏はまさにイスラエル人としてシャトルに搭乗した
が、宇宙空間は彼に、民族と国境を超える、地球人類の一員としての視点をもたら
したのだ。

彼が希求したイスラエルの生き残り、希望と救済も、不公正を正当化する軍事力に
よっては決して達成されない。剣によって立つ者は、剣によって滅ぶ。イスラエル
の真の平和は、すべての民族を、同じ地球に住む兄弟姉妹と見る神の心を実践した
ときにのみ成就されるであろう。

このような普遍意識は、ラモン氏だけではなく、多かれ少なかれ、7人の宇宙飛行
士すべてに訪れたのではないだろうか。ラモン氏の手紙によってホロコーストにショッ
クを受けたブラウン氏は、地上の悲惨な出来事にもかかわらず、地球の美を肯定す
る。彼は、「私が宇宙の中で生まれていたならば、これまで宇宙を訪ねたいと思っ
ていた以上に、もっと強くこの美しい地球を訪ねたいと思うことでしょう」とEメー
ルの中で述べた(出典はこちら)。
また、ローレル・クラークさんが事故の直前に地球に寄せたEメールは、それ自体
が地球の美を讃える一篇の詩のように思える(出典はこちら)。

▼宇宙からの「イマジン」

宇宙飛行士たちは赤チームと青チームの二班に分かれ、交代で作業を行ない、睡眠
を取っていた。起床の際には、地上から飛行士の好きな曲を送って、モーニングコー
ルとしていた。
アメリカ人飛行士ウィリアム・マックール氏が選んだ曲は、ジョン・レノンの「イ
マジン」だった。

〔特定の宗教信者だけが入れる〕天国なんかないと想像してごらん、そんなことは
やってみれば簡単なんだ。地面の下には〔異教徒が堕ちる〕地獄なんかない、僕ら
の頭上に広がるのは美しい空だけだ
〔宇宙は信仰の違いを超えて万人を包容する〕すべての人々が〔未来や死後のこと
を思い煩わず〕今日の
一瞬を真剣に生きているのを想像してごらん

国なんかないと想像してごらん、難しいことじゃない
殺したり死んだりする理由もなく、宗教もない
すべての人々が平和に生きているのを、想像してごらん

財産なんかないと想像してごらん、君にできるだろうか
欲張ったり飢える必要もなく、人類はみな兄弟姉妹
すべての人々が全世界を分かちあっているのを、想像してごらん

君は僕のことを夢想家だと言うかもしれない、だけど僕ひとりじゃない
いつの日か君も僕たちの仲間になって、世界が一つになれたらいいと思う

「イマジン」は、911同時多発テロ発生以降の世界情勢の中で、米英のアフガン
攻撃やイラク攻撃に反対し、平和を求める人々の願いを託した歌になっている。レ
ノン夫人のオノ・ヨーコさんは、アフガン爆撃開始直前の2001年9月25日に、
ニューヨーク・タイムズ紙に「すべての人々が平和に生きているのを想像してごら
ん」という全面1行だけの広告を出した。マックール氏は、この曲の現在的意味を
十分に知った上でこの曲を選んだように思える。というのは、彼はシャトルからア
メリカ国民に向かってこう述べたからである。「国境のない地球はほんとうに美し
い。どうか地球が平和であることを望みます」。このとき、ラモン氏もヘブライ語
で同じ意味の言葉を述べた。

1992年にエンデバー号に搭乗した毛利衛さんも、「宇宙から見ると地球には国
境がない」とおっしゃっていた。どの宇宙飛行士も、宇宙から見る地球の尊いまで
の美しさに息をのみ、そして地球が国や民族や宗教の違いを超えた一つの全体であ
ることを強く感じるようだ。この意識を、イギリスの生物物理学者ジェームス・ラ
ブロック博士は「ガイア意識」と呼んでいる。ガイア意識の獲得こそ、人類生き残
りの鍵である。

だが地上では、人類が人為的な相違によって自他を分断し、今なお各地で民族紛争、
テロ、制裁戦争、環境破壊をつづけ、母なる地球を傷つけている。なんと愚かなこ
とだろう。

ちなみに、ラモン氏に送られた曲は、ヘブライ語のラブソングだった。

あなたには私の声が聞こえるでしょうか、遠いお方? あなたには私の声が聞こえ
るでしょうか、あなたがどこにいても? 私の最期の日はおそらくここでしょう、
 別れの涙の日が近づいています(出典はこちら)
事故後、この選曲にイスラエル国民は驚いている。人間にはときどきこういう不思
議なことが起こる。ラモン氏は、意識の上では知らなかったが、心の奥深くでは自
分の死を予感し、覚悟していたのではなかろうか。

だとすれば、宇宙から寄せられた宇宙飛行士たちのメッセージは、自分たちのいの
ちとひきかえに地球人類に送った、「戦うな」「平和であれ」「人類は一つである
ことを知れ」「これ以上地球を傷つけるな」というメッセージである。それはまた、
天、すなわち神の言葉でもあろう。
3カ国の指導者と国民は、いやすべての国の指導者とすべての人類は、このメッセー
ジに心して耳を傾けなければならないと思う。

世界人類が平和でありますように! May Peace Prevail on Earth!
http://www.thank-water.net/japanese/article/nakazawa1.htm
love@thank-water.net  Copyright (c) 2003, Project of Love and Thanks to Water

 
戦争の終わり方 2003年12月27日(土) 中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)


 前稿「日本国憲法と律法」 で法のことに触れたので、もう少し法について書き
たい。今回は国際法についてである。

 現在のイラクでの戦闘が最終的にはアメリカの勝利に終わり、それによってイラ
クに一応の安定が訪れたとしても、国際社会は深刻なジレンマに直面する。この間、
諸々の国際法違反が横行したからである。

 言わずもがなのことであるが、人間が社会生活を営む上では何らかのルールが必
要である。動物の世界にも本能に定められたルールがある。動物の世界が弱肉強食
だといっても、ライオンは際限なくシマウマを食うわけではない。腹がいっぱいに
なれば無意味な殺生はしない。メスをめぐるオスどうしの戦いでも、相手が敗北を
認め、尻尾を巻いて逃げれば、殺したりはしない。

 これに対して人間は、自然の本能ではなく、文化によってルール=法を設定する
動物である。だから、法の体系はそれぞれの国家によって異なっている。ある国の
法が他国から見て非合理的なものに見えても、その国はそのようなルールによって
統治されているわけであり、そのルールがきちんとした手続きなしに急に変わった
ら、その国の統治は混乱する。今までサッカーのルールでゲームをしていたのに、
突然、一方のチームがラグビー式に手も使ってよいということになったら、ゲーム
は成り立たなくなる。手を使えないことは不合理だと思っても、みながそのルール
でゲームをしている以上、ルール違反は処罰されねばならない。

 スポーツでは審判がルールを確保しているが、国家の場合は、国家の暴力がこの
ルール=法を維持している。法律違反は司法がこれを判断し、最終的には警察力と
いう国家権力が排除し、法を貫徹する。この強制力がなければ法は法として機能で
きない。

 国際社会も人間の社会である以上、何らかのルールが必要である。それが国際法
と呼ばれ、第二次世界大戦以降は国連憲章が国際社会を律するルールと考えられた。
ただし、国際社会の場合は、国家とは違って、ルール違反を暴力をもって排除する
装置が欠如している。

 国連憲章は、国連加盟国の合意によって成り立っているルールである。それは国
家の法とは違って、現在のところ擬似的な法である。国家の警察に相当する国連軍
あるいは国連警察という法貫徹の装置を持たないからである。国際裁判所もかぎら
れた権限しかない。そのため、一国がルール違反をした場合、結局、その都度の話
し合いで違反を処罰するしかない。違反をした国が旧ユーゴスラビアやイラクのよ
うな弱小国であれば、強国(の連合)が弱小国を処罰できる。しかし、強国がルー
ル違反をしたら、他の国々は強国を処罰できない。小国が明白なルール違反をして
も、大国が反対すれば、小国ですら処罰できない。イスラエルがそうである。この
時点で、国際法は法として機能しなくなる。

 すでに多くの人々によって言われてきたように、今回のアメリカのイラク攻撃は
国際法違反である。国連憲章が合法と認める武力行使は、安全保障理事会の決議に
よって承認された場合と、攻撃が逼迫しているか、あるいは実際に起こっている場
合のみに限られている。今回のイラク攻撃はそのどちらでもなかった。当初アメリ
カは国連憲章違反になりたくなかったから、安全保障理事会での決議を得ようと必
死で根回しをしたのである。しかし、安全保障理事会の決議が得られず、アメリカ
は国連憲章を無視してイラク攻撃に踏み切った。

 前稿でも触れたように、法解釈というものはどこまでも拡大可能であるから、ア
メリカの行為は国際法や国連憲章に違反しない、という理屈もありうる。しかし、
大部分の国際法学者がアメリカの行動を国際法違反、国連憲章違反と認めているの
で、ここではこの見解に従う。イラク戦争の国際法的な見方については、たとえば
明治大学法学部の小倉康久氏の「イラク戦争と国際法」をご覧いただきたい。
(http://ac-net.org/dgh/blog/archives/000390.html)
 この国連憲章違反に対して、アナン事務総長は厳しいアメリカ批判を行なったが、
国連においてアメリカ非難決議などが行なわれる様子はない。それどころか、戦争
が完全に終わっていない段階でイラクに国連職員を派遣し、事実上、アメリカの戦
争責任を不問にした。国連憲章違反のイラク攻撃が国連で何のお咎めも受けなけな
いということになれば、国連憲章も国際法もその権威を喪失する。

 アメリカの国連憲章違反を放置することは、アメリカが国連よりも上位の審級に
なることを承認することを意味する。アメリカは今後、自国の利益になる場合だけ
国連や国際法を手前勝手に利用するだけである(今までも事実上はそうであったが)。
イラクがアメリカ人捕虜の写真を公開することは戦時国際法違反だが、アメリカが
フセインの二人の息子の死体の写真を公開しても、国際法違反ではない――これが
アメリカの立場である。法は公正かつ普遍的な適用を受けるのではなく、アメリカ
が欲すること、利益になること、行なうことが「法」となる。つまり、アメリカが
ゲームのプレーヤーと審判の両方を兼ねるようなものである。「ユニラテラリズム」
(一国行動主義)とかアメリカの「帝国化」と呼ばれている現象の法的内実はそう
いうことである。

 さて、アメリカとイラクは国際法的にはまだ交戦状態にある。なぜなら、アメリ
カとイラクの間では終戦条約が結ばれていないからである。5月1日にブッシュ大
統領が「戦闘行為の終結宣言」をしたが、これは一方的な政治的パフォーマンスで、
法的には何の意味もない。法的に終戦が成立するには、終戦条約が調印されねばな
らない。終戦条約が調印されていないので、イラクでは事実上も戦闘が続いている
ばかりではなく、法的にも戦争は継続しており、イラクはまさに戦争地域なのであ
る。
 10年前の湾岸戦争では、アメリカを中心とする多国籍軍とイラクとの間で終戦
条約が結ばれ、その時点で戦争が終結した。イラクは過酷な条件を受け入れて、戦
争をやめることを選んだ。

 終戦条約について、ここで少し歴史をふり返ってみよう。

 日米戦争が最終的に終わったのはいつであろうか。昭和20年8月15日ではな
い。8月15日は、日本がポツダム宣言を受け入れる用意がある、と宣言した日で
あるが、法的に終戦になったのは、9月2日、ミズーリ号の船上で、日本政府の全
権大使・重光葵外務大臣が降伏文書に調印したときである。これは私が言っている
ことではなく、色摩力夫氏が『日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか』(黙出
版)という著書の中で明快に指摘している事実である。

 敗戦の受諾に反対し、天皇の玉音放送を妨害しようとした将校がいたことは、映
画『日本のいちばん長い日』によってもよく知られている。このクーデターは失敗
に終わり、日本は天皇の権威のもと、法に従い整然と終戦した。もし一部反乱将校
があくまでも終戦=敗戦に納得せず、9月2日以降も日本各地で、進駐してきた米
軍に対するゲリラ攻撃を続けたと仮定してみよう。その場合、反乱将兵がいかに愛
国者であろうと、日本政府がすでに降伏文書に調印した時点で戦争が終わっている
以上、彼らは法令違反者、つまり犯罪人になる。この場合、アメリカ軍による日本
人ゲリラ兵士の討伐は、犯罪人の摘発行為となる。今の言葉では、彼らは「テロリ
スト」と呼ばれることになるであろう。
 日本の場合、8月15日の天皇の詔勅によって事実上アメリカとの戦闘行為が終
了したので、9月2日の意義が薄れ、あたかも8月15日が終戦の日のように錯覚
されてしまったのである。

 しかし、現在のイラクの状態はこれとはまったく異なっている。フセイン大統領
が逮捕されたとはいえ、彼はまだ降伏文書に調印していない。したがって、米軍に
攻撃をしかけるイラク人は、法的には犯罪者ではなく、まさに戦争従事者、つまり
兵士なのである。彼らを「テロリスト」と呼ぶことは、事態をごまかすことにほか
ならない。

 もしフセインが降伏文書に調印し、その時点でも彼らが戦闘をやめなければ、彼
らは犯罪人となり、米軍の彼らへの攻撃は犯罪人の掃討ということになる。しかし、
現在はまだそのような法的状況にはない。

 民主党の菅直人代表が「フセインに降伏文書に調印させられないのか」と述べた
と伝えられている。菅氏の真意を推し量ると、こういうことになるであろう。イラ
クの国家元首たるフセインが降伏文書に調印すれば、その時点で法的には戦争が終
わり、その後は米英軍のゲリラへの攻撃は犯罪者の掃討と解釈されることになる。
そうなれば、イラクに派遣された自衛隊がたとえ戦闘行為に巻き込まれたとしても、
それは正当防衛的な一種の警察行為という形になり、戦争を禁じた憲法への違反に
ならないですむ。日本もおおっぴらに自衛隊を派遣し、イラクの復興に協力し、ア
メリカとの友好関係にもひびを入れないですむ、というわけである。

 一見うまそうな考えだが、残念ながらそうはならないであろう。フセインに降伏
文書に署名させるためには、アメリカはフセインと交渉しなければならない。しか
し、アメリカがフセインの身の安全を保証しないかぎり、フセインは降伏文書に署
名しないだろう。もし自分を戦犯として裁いたり、自分の死刑の可能性を含むよう
な降伏文書にフセインが調印したとするならば、それは正常の意識状態ではなく、
心理的操作や薬物によって人格をコントロールされた上での調印を示唆することに
なり、そのような文書の法的有効性に重大な疑義を生じせしめることになる。フセ
インの降伏文書が出てきたら、茶番になる。

 ただし、戦争は必ずしも降伏文書によって終わる必要はない。そのことは、第二
次世界大戦のドイツの敗北を見るとわかる。ドイツでは、国家元首たるヒトラーが
自殺して、降伏文書に調印する主体がいなくなってしまった。結局、ドイツは日本
のように秩序正しく降伏することができず、連合国軍にドイツ全土を「征服」され
て、その時点でドイツでの戦争が終った。ドイツと連合国側の間には、日米間のよ
うな降伏文書はない。このことも色摩氏が指摘していることである。完膚無きまで
にたたきのめされ、戦闘能力を完全に失ったドイツには、日本の将兵のように、クー
デターやゲリラ戦を行なう意志や能力すら残されていなかった。

 「征服」後は、その国をどう料理しようと、降伏条件を述べた文書がないので、
戦勝国の勝手となる。ドイツは結局、米英仏ソの戦勝国内部の都合により、東西に
引き裂かれるという過酷な運命に甘んじざるをえなかった。

 イラクの場合もドイツに似ている。自殺こそしなくとも、フセインが降伏文書に
調印しないかぎり、イラクは降伏することができない。ならば、米英軍がイラクの
残存敵対勢力を徹底的にたたきつぶして、戦闘の意志と能力を破壊し、イラクを
「征服」することによってしか戦争を終わらせることはできない。現在はその「征
服戦争」の途中である。イラクを「征服」したあとは、米英が「民主化」の名のも
とにイラクを自分たちの勝手に料理するだろう――「国際世論」なるものに多少の
配慮を払うではあろうが。もちろん、米英軍によるイラク民間人への誤爆、誤射、
略奪などの国際人道法違反の行為は処罰されることはない。

 「征服」が完了しない段階で自衛隊をイラクに派遣するということは、いかに人
道援助のためとはいえ、法的にはまさに戦争地域に派遣することであり、しかも戦
争当事者の一方である米英軍への協力となる。先に殺された二人の日本人外交官は
文民であっても、CPA(連合暫定施政当局)への協力者であった。二人は「犯罪
被害者」ではなく、「戦死者」である。

 米英軍が残存敵対勢力を完全に掃討し、戦闘が終息し、治安が回復した段階で、
「征服」が完了し、戦争が終結したと見なすことができる。戦後のイラクの復興に
責任があるのは、何よりも違法に戦争を始めた米英であり、国連でも「国際社会」
でもない。小泉首相がアメリカのイラク攻撃を支持したので、日本も部分的に責任
がある。イラク国民の惨状を一日も早く救うために、日本もイラクに人道支援を行
なうべきである。この場合は、派遣される自衛隊は、武装勢力と交戦する可能性も
なくなるので、現在の計画で想定されているような重装備は必要ない。これまでの
PKO活動と同じレベルの装備でよい。またすでに戦争状態ではないので、法的に
も問題はない。しかし、もし治安が回復されたのであれば、なぜ自衛隊を派遣する
必要があるのだろうか。民間のNGOが主体になってもちっとも不都合ではない。

 武装勢力が掃討されたはず、であるにもかかわらず、治安がいっこうに回復しな
い可能性もある。それは、イラクの一般国民が米英軍の支配を嫌い、それに対する
抵抗運動を起こしたときである(その徴候はすでに出ている)。そのときは、「国
際法違反の外国の侵略軍 対 民族独立運動」という構図になる。米英は「テロリ
スト」討伐の名目で、イラクの民衆を虐殺することになる。日本が米英の要請に従っ
て自衛隊を派遣すれば、たとえ直接戦闘行為を行なわなくとも、民族独立運動を弾
圧する側に与することになる。そういう立場になることは、何としても避けるべき
であろう。

 終戦条約が結ばれていない以上、治安の回復こそが、米英の「占領」が完了し、
戦争が終結し、イラク国民もそれを受け入れた――喜んでか、諦めてか、はさてお
き――ことの指標となる。まがりなりにもまだ憲法9条を保持している日本は、自
衛隊員の安全面からも、法的側面からも、その時点で復興部隊を派遣するのがもっ
とも無難なのである。()
宇宙飛行士の言葉はなぜインターネット上にないのか
2003年03月04日(火) 東京大学教授 中澤 英雄(ドイツ文学)

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 ブルッキングス研究所客員研究員の中野有氏は、2月8日の萬晩報「不吉なイラ
ク戦  期待される平和構想」で、スペースシャトル・コロンビア号の事故に触れ
てこう書いている。
「こともあろうにイスラエルのスペースシャトルの飛行士は、22年前にバクダッ
ドの核疑惑施設を先制攻撃したときの副操縦士であった。テキサス州のパレスティ
ンという場所の上空でシャトルは爆発し、ブッシュ大統領のクロフォードの牧場の
近くに落下した。何たる偶然であろうか。

 宇宙の目的によって人類は生かされている。と考えると、コロンビア号の宇宙か
らのメッセージは何を意味するのであろうか。果たして今回の戦争を回避せよとの
啓示か、戦争遂行後の不吉な結末を意味するのか。」
http://www.yorozubp.com/0302/030208.htm

 私も、この事故に宇宙からの不思議なメッセージが込められている、と考える者
の一人である。そして、中野氏の考察をさらに深める形で、「宇宙からのメッセー
ジに耳を傾けよ――スペースシャトル事故と迫り来るイラク攻撃」という論文を書
いた。かなり長文であるが、ご関心のある方は以下でお読みいただける。

日本語 http://thank-water.net/japanese/article/nakazawa1.htm
英 語 http://thank-water.net/english/article/nakazawa1.htm

 私がこの論文を書くきっかけになったのは、事故直後のあるテレビ番組(たしか
フジテレビの「とくダネ!」だったと思う)で、宇宙飛行士たちが自分たちの好き
な音楽をモーニングコールとして地上から送信してもらっていたこと、そしてその
中の一人がジョン・レノンの「イマジン」を希望した、ということを知ったことで
ある。その番組の中ではさらに、その飛行士が、宇宙から見た地球には国境がない
こと、そして地球の平和を祈ると述べていたことも報道されていた。

 私は、その宇宙飛行士の言葉に深い感銘を受けると同時に、彼がなぜ「イマジン」
という曲を選んだのかに興味をいだいた。なぜなら、911同時多発テロ発生以降
の世界情勢の中で、「イマジン」は、米英のアフガン報復爆撃、イラク攻撃に反対
する人々の反戦歌、ピースソングになっているからである。レノン夫人のオノ・ヨー
コさんは、アフガン爆撃開始直前の2001年9月25日に、ニューヨーク・タイ
ムズ紙に「イマジン」の一節、「すべての人々が平和に生きているのを想像してご
らん」という全面1行だけの広告を出した。世界各地の反戦集会では、必ずと言っ
てもよいほど「イマジン」が歌われる。逆に、制裁戦争賛成派は、「イマジンを歌っ
ていればテロがなくなるか」と言って反戦運動を嘲笑する。

 アメリカ人であれば、この曲の今日的意味を知らないはずはない。宇宙飛行士は
それをはっきりと意識した上でこの曲を選んだのではないだろうか。

 ただし、朝の忙しい時間帯であったので、私は彼の名前も彼の言った言葉も正確
に記憶することができなかった。そこで、その夜、宇宙飛行士の名前と彼の言葉を
インターネットで探した。「イマジン」を希望した宇宙飛行士がウィリアム・マッ
クール氏であるということはすぐにわかった。しかし、彼が「イマジン」とともに
語った言葉はなかなか見つからなかった。

 私は彼の言葉を探して、数日間、次から次へと様々なサイトを渡り歩いた。しか
し、ごく短いコメントを除いて、マックール氏が語ったそのままの言葉は、どのニュー
スサイトにも載っていなかった。

 たとえば、宇宙飛行士の活動を時系列的に非常に詳しく記載しているABCニュー
スのサイトではこんな具合である。

「午後3時39分。青チームメンバーのアンダーソン、マックール、ブラウンは、
ジョン・レノンの《イマジン》で起床した。マックールとラモンは、宇宙の眺望の
よい地点から見ると、地球には国境がないと述べる。《ここから見える世界は素晴
らしいものです。とても平和で、とても素晴らしく、そしてとても壊れやすく見え
ます》とラモンは語った。二人の搭乗員は英語とヘブライ語で世界平和への希望を
表明した」
http://abcnews.go.com/sections/scitech/DailyNews/shuttle_timeline030201.html

 ここで「イマジン」に関して報道されているのは、イスラエル人飛行士イラン・
ラモン氏の語った言葉であって、当のマックール氏の言葉ではない。デビッド・ブ
ラウン氏やローレル・クラークさんなど、ほかの飛行士の語った言葉や宇宙から送
信したEメールの内容は、いろいろな新聞・雑誌サイトに非常に詳しく載っている
のに、マックール氏が「イマジン」とともに語った言葉は、どのニュースサイトに
も見つからなかった。アメリカの友人数人にも問い合わせたが、彼らも、私がすで
に知っている以上の情報は持っていなかった。

 彼の言葉が日本のテレビでも報道されたということは、彼の宇宙からの交信はお
そらくアメリカのテレビで実況中継放送され、日本人の記者はそれをもとに日本に
レポートを送ったのであろう。一時は全米に流れたはずのマックール氏の言葉がど
のニュースサイトにも見いだせないということは、きわめて不自然な感じがした。

 だが、彼の言葉を探してあちこちのサイトを読みあさるうちに、私は、この事故
には、単なる偶然とは言えない、天からの重大なメッセージが込められているもの
と考えるようになった。それをまとめたのが上掲の論文である。マックール氏の言
葉の不在がこの論文を成立させたといってもよい。しかし、日本語論文執筆の時点
では、マックール氏の言葉は見つからず、彼に関してはテレビ報道のうろ覚えで書
くしかなかった。

 この事故に込められたメッセージは、日本人というよりも、アメリカ人、イスラ
エル人、そしてインド人に向けられたものであった。そこで、日本語論文完成後、
ただちに英訳に取りかかった。英訳の最中に、先に問い合わせていたアメリカ人の
友人の一人が、一通のメールを転送してきた。それは、New Age Study of
Humanity's Purposeという団体のPatricia Diane Cota-Roblesという方が書いた、
「COLUMBIA...DEJA VU?」というエッセイであった。これは著作権のついたメール
通信で、私が受け取った時点ではまだWebには載っていなかったが、現在ではHP
に公開されている。
http://www.1spirit.com/eraofpeace/1st.html

 このエッセイは、今回のコロンビア号事故と1986年のチャレンジャー号爆発
事故を比較し、両方の事故の間には様々な類似性があることを指摘している。たと
えば、チャレンジャー号にも、コロンビア号と同様に、様々な人種的、宗教的背景
を持った男5名、女2名の7名の飛行士が搭乗していたこと(その中の一人は日系
人オニヅカ氏であった)、そして、チャレンジャー号の爆発は、その当時スターウォー
ズ計画を進めていたアメリカ政府への天からの警鐘と見られると主張していた。た
だし、いわゆるニューエイジ的な視点で語られているので、そのすべてをそのまま
受け取ることができる人は少ないかもしれない。
 だが、私にとって重要であったのは、そのエッセイの中に、探し求めていたマッ
クール氏の言葉を見つけたことである。それをここに引用しよう。

「私たちがいる周回軌道上という眺望のよい地点からは、国境がなく、平和と、美
と、壮麗さに満ちた地球の姿が見えます。そして私たちは、人類が一つの全体となっ
て、私たちがいま見ているように、国境のない世界を想像(イマジン)し、平和の
中で一つになって生きる(live as one in peace)ように努力することを祈ります。」

 そして、この言葉はラモン氏よってそのままヘブライ語に翻訳され、地上に伝え
られたのである。
 なんと素晴らしい言葉ではないか。

 ここでマックール氏はわざわざ「イマジン」という言葉を使っている。さらに、
「平和の中で一つになって生きる(live as one in peace)」は、「イマジン」のオ
ノ・ヨーコ広告:
Imagine all the people living life in peace(すべての人々が平和に生きてい
るのを想像してごらん)の部分と、レノンの歌詞の最後の部分:
And the world will live as one(そうすれば世界は一つになって生きるだろう)
を踏まえている。マックール氏がジョン・レノンの曲に世界平和への明確なメッセー
ジを込めたことは明白である。
 そして私には、彼の言葉がなぜどのニュースサイトに載っていないのか、その理
由もわかった。イラク戦争に邁進するアメリカの政府と大手マスコミは、自国の悲
劇の英雄が戦争に反対していたという事実を封殺したいのである。先に紹介したA
BCニュースのサイトが、いかにマックール氏の言葉を迂回し、歪め、隠している
かは一目瞭然である。
 だが、ひとたびインターネットに載った以上、もはや彼の言葉を封印することは
できないだろう。(C) 1998-2003 HAB Research & Brothers and/or its suppliers.
All rights reserved.

私が要約すると、とんでもない稚拙な要約だけど。

この事故でアメリカとインドとイスラエルの宇宙飛行士が犠牲になりました。これ
は、何か、暗示するものではないかと。宇宙飛行士が国を代表して、結果犠牲になっ
たけれど、彼らの残したメッセージはどういうものだったか、お伝えしたいと。

宇宙飛行士の人はめいめい、モーニングコール用の歌を選曲していたそうです。一
人のアメリカ人の飛行士の選んだのは、ジョンレノンのイマジン。この歌は、9月
11日テロ後のアメリカでは、ある象徴的な意味を持つ曲となっているそうです。
日本語訳は中澤さんがなさったのか、とても素敵なので、載せます。
〔特定の宗教信者だけが入れる〕天国なんかないと想像してごらん、そんなことは
やってみれば簡単なんだ
地面の下には〔異教徒が堕ちる〕地獄なんかない、僕らの頭上に広がるのは美しい
空だけだ
〔宇宙は信仰の違いを超えて万人を包容する〕すべての人々が〔未来や死後のこと
を思い煩わず〕今日の一瞬を真剣に生きているのを想像してごらん

国なんかないと想像してごらん、難しいことじゃない
殺したり死んだりする理由もなく、宗教もない
すべての人々が平和に生きているのを想像してごらん

財産なんかないと想像してごらん、君にできるだろうか
欲張ったり飢える必要もなく、人類はみな兄弟姉妹
すべての人々が全世界を分かちあっているのを想像してごらん

君は僕のことを夢想家だと言うかもしれない、だけど僕ひとりじゃない
いつの日か君も僕たちの仲間になって世界が一つになれたらいいと思う

イスラエル人の飛行士の方が選んだのは、ヘブライ語のラブソング。でも、歌詞が。。。

あなたには私の声が聞こえるでしょうか、遠いお方?
あなたには私の声が聞こえるでしょうか、あなたがどこにいても?
私の最期の日はおそらくここでしょう、別れの涙の日が近づいています

宇宙で、どんな曲かはわからないけれど、この歌詞で、彼は何を思い、目覚め、何
を見たのでしょう。瞑目。
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