『原発安全革命』 2011.5月20日全国一斉販売中!
    (文春新書・発売予定『「原発」革命』緊急増補新版)
     

    

古川和男先生より新たなビラをいただきました。古川先生は今年84歳、目の黒いいうちに溶融
塩炉塩の実験機を持ないと死んでの死に切れないと  頑張っていらっしぃます。生前西堀栄
三郎先生も溶融塩炉夢を追っていらっ  しいました。国会での審議記録の残っています。 
小生も間70年代、プリンストンのU.ウィグナー博士にお会いし、オークリッ ジのワインバー
グ博士を日本に招聘しシンポジュームをするお手伝いをし  たことがありますが、当時参席
され他数少ない行き残りの方です。  5月末、古川先生のお話を伺う場を設ける予定です。

  
著者インタビュー古川和男
  
      元東海大学開発技術研究所教授/ウクライナ科学アカデミー外国会員

   聞き手◎「本の話」編集部   「この原発なら福島やチェルノブイリは起こらなかった! 」
 

――
古川さんは、これまでの原発とは全く原理の違う安全な原発を、この本で提案されて
  いますね。
 

古川 ええ。これまでの原発は、固体のウラン燃料を燃やす、一般に発電量100万キロワット
以上の規模の大きなものでしたが、私が提唱する原発は、燃料形態を固体から液体に代え、燃
料自体をウランからトリウムに代え、規模も二、三十万キロワットレベルにしたものです。こ
うすると、福島やチェルノブイリで起きたような過酷な事故は、原理的に起こりえません。ま
た、きわめて発電効率の高いものにできる。安全で高効率ですから、今後世界中で予想される
膨大な電力需要に、充分に対応できます。

――まず、安全性の面から説明してくださいませんか。
  「原理的に事故を起こさない」とは、どういうことでしょう?
 

古川 福島の事故を振り返ってみてください。まだ危機的状況が続いている上に、データが明
らかにされていないので、正確な原因分析はできませんが、地震直後は、核分裂の連鎖反応を
一応は止めることができた。ところが、続く大津波で核物質を冷却するための電源がすべて失
われ、核物質が発する高い崩壊熱のために燃料棒が破損・熔融し、さらに水素爆発などが原因
で炉が破損して、反応で生成した各種の放射性物質が大量に外部に漏れ出た。おそらくこうし
た事態が起こったと考えられるわけですね。「想定外」の津波が直接の原因であり、また、東
京電力や国の危機管理意識・能力のあまりのなさが事故を決定的に悪化させたのは間違いあり
ませんが、そもそもこうした事故は、燃料が固体であることに遠因があると言っていいのです。
原発の燃料形態に固体を選んだという点で、日本だけでなく、そもそも世界が間違っていたの
です。

 被覆管に密封された核燃料のまわりを水が循環し、その水が反応熱を得て熱水となり、その
熱水から生じる水蒸気でタービンを回して発電する、というのが今の原発の発電の仕方ですが、
この方式では核燃料や被覆管は、核反応や放射線の影響で変質・破損・熔融しやすくなります。
また、反応で発生するガスが被覆管内部に密封され、高圧となって、管が破損したときに外部
に噴き出す危険も生じます。さらに、水が放射線で分解され、爆発の危険性のある水素を発生
させます。高温・高圧となる水による材料の腐蝕も難問です。こうしたもろもろの不都合を抑
え込むために、炉の構造は各種の安全装置やモニター機器類を装着して複雑になり、それだけ
保守・点検が大変になります。

 本来、核分裂というのは化学変化でもあり、液体で取り扱うべきものなのです。核燃料が液
体だったら、今言った技術的難点はほとんど解決できます。反応のコントロールが容易で、決
定的に安全性が向上します。炉の構造も単純になり、保守・点検が簡単になるだけでなく、ロ
ボットなどを利用した遠隔管理も実現でき、作業員の被曝も最小限にできます。結局、固体燃
料を採用している今の原発の設計思想は、核化学反応の本性を無視しているとしか言いようが
ない。それで、「合理的な技術の原理で対応」するのではなく、「多重防護という無理筋対応」
をするしかなくなっているのです。

燃料はガラス状に固まる
――古川さんの提案する炉では、「全電源喪失」が起こったらどう対処するのですか?
 

古川 そのお話をするには、液体燃料とは何か、を先に説明しておかねばならないので、ちょっ
とその話をします。液体にもいろいろあって、我々が提案している液体は熔融塩というもので
す。塩というと、皆さんはまず食塩を思い浮かべるでしょうが、その親戚みたいなものです。
地球のマグマをイメージしていただいてもいい。放射線を浴びても変質したり壊れたりしない、
とても安定した液体で、これに核燃料を溶かし込んで使うわけです。この熔融塩燃料は、冷め
るとガラスのように固まります。空気や水と反応しません。 で、「全電源喪失」ですが、今
の原発でこういう事態になると、核燃料が冷却できなくなって「崩壊熱の暴走」が起こるわけ
ですね。しかし、そもそも熔融塩燃料なら核反応のコントロールはきわめて容易で、弁を開き、
真下に設置されたホウ酸水の冷却プール内のタンクに燃料塩を落してやれば、炉内に燃料が無
くなる訳ですからすぐに連鎖反応が止められるだけでなく(燃料が炉内にあるからこそ連鎖反
応が起こる仕組みになっている)、摂氏約五百度以下になると、今述べたように燃料塩はガラ
ス状に固まります。こうして非常時の処置として、タンクに落とし自然冷却すればよいのです。
この落下弁は、炉の運転時は冷却して凍らせているのですが、冷却をやめると融けて開くので、
電気不要です。だから「崩壊熱の暴走」を心配する必要はない。

原発事故で一番怖いのが放射性物質の外部への流出で、今回もガスとして、あるいは水に溶け
て漏れ出たわけですが、ガラス固化した燃料塩なら、気化もせず、水にも溶けないので、流出
はありえません。また、炉の運転時、核反応に伴い発生するガスは、常に炉から除去する仕組
みになっているので、事故時に炉に残存しているガスはほんのわずかです。仮にテロなどで炉
が破壊されても、炉の外に漏れ出た燃料塩は、すぐに冷めてガラスのクズ状になるだけで、炉
は停まります。つまり「反応を止める」「冷ます」「漏れを防ぐ」というすべての面で、熔融
塩燃料は理想的なのです。

ウランからトリウムへ
――燃料にウランではなく、トリウムを使う理由は?
 

古川 トリウムというのは、自然界に存在する元素の中でウランに次いで重く、中性子を吸収
すると、ウラン同様核分裂の連鎖反応が起こせるようになります。希土類元素と一緒に産出す
るので、その利用は産業経済上極めて好都合です。よく知られているように、ウランの核分裂
反応からプルトニウムが生まれます。これは核兵器の材料になるきわめて危険な放射性物質で
すが、現状では世界中がその処分に困っています。原発が稼動すればするだけ、プルトニウム
の山ができるのですからね。これに対しトリウムは、核分裂連鎖反応を起こしてもプルトニウ
ムをほとんど生まない。それどころか、熔融塩炉でならプルトニウムも炉内で有効に燃やせま
す。プルトニウムの消滅に一役買えるのです。ウランは世界に偏在していて、そのことが寡占
国による政治支配を生んでいますが、トリウムは世界中にある上に、埋蔵量も充分です。燃料
をウランからプルトニウムに変えることは、核兵器の脅威から人類を救うことにもなるのです。

――では、小型にするというメリットは? 

古川 今、開発を提案している熔融塩炉を、私たち研究グループは「FUJI(不二)」と呼
んでいますが、これは液体燃料であることのメリットが生かせ、大変発電効率がいい。小型に
するのは、これを需要地の近くに設置したいからです。 今、原発は僻地に大型施設が集中し
ています。これはみんなの中にある「安全性への危惧」が生んだ、苦肉の立地・大型集中化と
いえるでしょうがその結果、需要地への何百キロにもわたる送電ロスを生み、電気料金を高く
しています。 需要地に発電所があれば、ロスは最小にできます。安全で高効率で小型であれ
ば、都市の近郊にも置けるのです。

 
世界中に小型炉を
――でも、これからはあまり電気を使わないような生活にすべきなのではないですか?
 

古川 もちろん省エネは必要です。エネルギーは大切に使い、これまでのライフスタイルも、
しっかり見直すべきでしょう。でも、この春、東京電力が計画節電を実施しただけでも、世の
中は大混乱でした。現代社会では、エネルギーなしには暮らせません。環境の悪化を防ぐとい
う点で、化石燃料はこれ以上燃やせません。太陽光や風力などの自然エネルギーは、技術的に
実用化ははるか先です。自然エネルギーが生かせるようになるまで、なんとか原子力でつなが
なければならない。それに今後、世界中でエネルギー需要が急増すると予想されています。現
に中国やインドでは、エネルギー消費量が幾何級数的に増えている。間違いなく今後、アジア
やアフリカなどの発展途上国では、エネルギー不足そして貧困はが深刻なものになるでしょう。
安全、高効率、小型の原発なら、そうした世界の需要に充分に応じられるのです。 

この熔融塩炉の研究においては、アメリカのオークリッジ国立研究所を中心とした基礎研究開
発が、驚くほど僅かな資金で整えられました。原理が単純で優れているからです。我々はそれ
をさらに改良して、FUJI構想をまとめました。しかし、残念ながら、プルトニウムを生ま
ず軍事的利用に不向きな性質をもつトリウムは、核冷戦時代に歓迎されなかった。軍事利用に
適するプルトニウムを増殖する、高速増殖炉の開発を推進したい政治勢力の動きが強く、妨害
されました。しかし、既存の原発が行きづまっている今、「世界を救える原発として、再び注
目を集めつつあります。我々のもとにも、米・仏・露・チェコ・トルコ・ヴェネズエラ・オー
ストラリア等々、世界のエネルギー関係者から協力しよう、一緒に実験炉を造ろう、といった
呼びかけがきています。みなさん、日本でも、今こそ原発を一新しましょう。 
 
 
『「原発」革命』緊急増補新版

  
『”新・「原発」革命』(文春新書、2011.5.20刊 予定)”
   
 はじめに――なぜ今「原発」を見直すのか(原稿)  古川 和男

 本書の旧版は二〇〇一年に刊行された。旧版は、きわめて安全で取り扱いが容易、発電効率が
よく、しかもこれからの全世界のエネルギー需要の急速な増大にも対応できる、まったく新しい
革命的な原発システム(核エネルギー発電システム)を、初めて一般書として紹介したものであ
る。 

このたび新版を出すに至った直接のきっかけは、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発
電所の事故にある。 

二〇一一年三月十一日、史上第四位といわれるマグニチュード九・〇の大地震が、岩手県・宮城
県を初めとする東日本一帯を襲った。福島第一原発では、炉の緊急停止には成功したものの、炉
は、遅れて襲来した大津波に冷却のための電源をすべて奪われ、核燃料自体が発する高い崩壊熱
で燃料棒が融解し、その結果、格納容器から漏れ出た大量の放射性物質が、周辺地域を汚染、本
書執筆の時点で今なお、危機的状況が続いている。この経緯は、すでに読者の皆さんもよくご存
じのことだろう。 

本書で提案・解説する新しい原発(「トリウム熔融塩炉」という炉を中心としたシステム)であ
れば、原理的にこんな過酷な事故は起こりえない。おりしも、この数年、この革命的な原発への
関心が世界的に高まりつつあり、国際協力の進展で実現への道のりが見え始めた。本書を改訂し、
新版を世に問うゆえんである。「トリウム熔融塩炉」などというと、一般の方々は、なにやらひ
どく難しそうなものに思われるかもしれないが、技術の原理原則はきわめて単純・簡明なもので
ある。極力平易な記述を心がけるので、どうかその本質とするところを読み取っていただきたい。

これからの原子力発電は、まずなにより安全でなければならない。安全であることで初めて、皆
さんの支持を得られる。

しかし、安全であるだけでは不十分である。安全である上に、経済性がなければいけない。発電
効率が良く、安価で、しかも、今後ますます増大する世界のエネルギー需要に応じられるだけの
供給力を持っていなければいけない(それがなぜかは、第1章で詳しく説明する)。本書の提案
は、その二つのハードルをともにクリアするものである。


簡略にいえば、本書の「原発革命」の「革命」たるゆえんは、次の三点にまとめうる。


第一に、これまでの
固体燃料を液体燃料に変える。事故の報道で炉心の燃料棒の図や写真をご覧
になった方も多いと思うが、今の原発では、被覆管の中に密閉された固体核燃料を燃やしている。
これを液体核燃料に変える。

第二に、今の
ウラン燃料をトリウム燃料に変える。現在の原発はウラン235の核分裂により発
生する熱を利用しているが、このウラン235に代えて、それより少し質量の軽いトリウムとい
う物質を燃料にする。

第三に、
原発自体を小型にする。今の原発は発電規模百万キロワット以上の大型施設が主流だが、
これを二、三十万キロワット程度の小型のものに変える。

この三つの変革がなぜ「革命」なのか、どういうメリットをもたらすのか、についての詳しい解
説は本文を読んでいただくとして、ここではごく大雑把にその意義を、安全性と経済性の両面か
ら素描することにしよう。

まずは、安全性から。

福島第一原発の事故以来、一般の人々の原発に向ける目は厳しくなった。あれだけの事故を起こ
したのだから、世間の人々が原発の安全性に疑いの目を向けるのも当然だろう。たしかに、福島
原発の事故において、危機管理意識のあまりの低さ、危機管理体制のお粗末さなど、国や東京電
力が非難されてしかるべき点が多々ある。周辺地域住民の皆さんが蒙った被害は、甚大という言
葉では表せないくらい甚大で、すべての原発の安全性点検・見直しは徹底的に行なわなければな
らない。が、その一方で、今稼働している原発がすべて、すぐにでもストップしなければいけな
いほど危険な状態にあるわけではない。安全性に最大限配慮し、緊張感を持った厳しい危機管理
体制を築くことができれば、今回のような過酷な事故は防ぎえよう。ただし、それでも潜在的な
危険はある。

原発の設計思想そのものに、初めから無理があるからである。

無理というのは、まず先に挙げた「固体燃料」にある。

そもそも核エネルギー炉は「化学プラント」であり、したがって燃料の形態は液体であるのが望
ましい。このことは核化学反応の本質に係わることで、核化学者ないし化学工学者なら誰もが同
意するものであると信じる。ところが、現実の炉の設計は、開発初期のある時点で違った選択が
行なわれた。液体ではなく、固体燃料が選ばれたのである。

火力発電所は石炭や石油を燃やした熱で水を沸かし、その熱水からの水蒸気でタービンを回すこ
とで発電をしているが、今の主流の軽水炉(これがどのようなものかは、本文で説明する)は、
その石炭や石油を核燃料に代えたものといえる。つまり「火力発電所の原理」でつくられていて、
「核エネルギー発電所の原理」には反しているのである(このように、なぜ固体燃料を選択し、
液体燃料を選択しなかったのかについては、長い説明がいる。これも本文で詳しく解説したい)。

その結果、軽水炉においては、核燃料は被覆管に密封され、その周囲を水が循環する方式となっ
たが、この方式では核燃料や被覆管は、核反応や放射線の影響で変質・破損・熔融して、事故原
因となることが多い。また、核反応により発生するガスが被覆管内部に密封され、高圧となって、
管の破損時に外部にガスが噴き出す危険を生む。さらに、水は放射線で分解され、爆発の危険の
ある水素を発生する。高温高圧となる水による材料の腐蝕も難問である。こうしたもろもろの不
都合を抑えこむために、炉の構造は各種の弁やモニター機器類を装着して複雑となり、それだけ
保守・点検が大変になる。悪循環である。そこに貫かれているのは「合理性をもった技術の原理」
ではなく、「多重防護という無理筋対応」である(こうした不都合が極限となって重なったのが
福島の事故であったのは、もうお分かりだろう)。

「化学プラント」は液体が正道なのである。核燃料が液体であれば、今述べた技術的難点のほと
んどは解決できる。そして決定的に安全性が向上する。炉の構造もシンプルなものとなり、保守
・点検が容易になるだけでなく、ロボットなどを利用した遠隔管理も実現でき、作業上の被曝も
最小限に避けられる(詳細は本文をお読みいただきたい)。

 仮に東日本大震災クラスの大地震と大津波が襲ったとしても、本書で提案しているトリウム熔
融塩炉であれば、充分に対処できる。核燃料(正確にいうと核燃料を溶かし込んだ熔融塩)を炉
の下部から地下の冷却水プールに収めたタンク中に落とすと、核分裂の連鎖反応(臨界状態)は
自然にストップする。炉で連鎖反応が起こるのは、そこに中性子を減速させる黒鉛があるからで、
核燃料が冷却水プールに落ち黒鉛と離れれば、まわりに黒鉛がなく、したがって中性子も減速さ
れず、臨界が起こらないのである(難しい話とお感じの方もおられるかもしれないが、本文中で、
臨界とは何か、中性子とは何か、減速とは何かを、極力分かりやすく解説しているので、そこを
参照していただきたい)。

核燃料熔融塩は、連鎖反応が終わったあとも崩壊熱を出すが(ご存知のように、この崩壊熱で福
島原発は大変な辛苦を味わっているのであるが)、地下に落ち、冷却水で冷やされると安定なガ
ラス固化体になり、後は自然に放熱を保てばよい。「崩壊熱の暴走」を心配する必要は、原理的
にない、とお考えいただきたい。

万一、核燃料の一部が、なんらかの事故で炉から漏れ出たとしても、炉外に黒鉛がない以上再臨
界になることはなく、空気で徐々に冷却され、ガラス固化体となるのみである。テロにあって炉
が破壊されても同じことで、溢れ出た核燃料はガラスのクズ状となり、それ以上飛散することは
ない。炉は高温格納室と炉格納建屋に守られており、放射性物質が漏れ出る危険性はほとんどな
い。核燃料は高圧ではなく常圧であり、高圧に伴う各種の危険性も回避できる。

熔融塩というのは、いわば地球のマグマみたいなものと思っていただければよい(ただし本書で
取り上げた熔融塩は無色透明でもっと低融点だが)。あるいは類似のものとして、「熱で溶け液
状になった食塩」を思い浮かべていただいてもよい。とても安定した液体で、放射線を浴びても
変質したり破損したりせず、今述べたように冷めるとガラス状に固まり、遠く飛散して環境を汚
染したりはしない。この熔融塩に核燃料(本書ではトリウム系)を溶かし込んで使うのである。
核反応により発生する放射性ガスは、常時除去されていて、常に炉の中に微量しか存在していな
いので、漏れ出す心配をすることはない。また、核燃料塩は水に溶けないので、燃料塩中の放射
性物質が、水に溶けて外部に流出する危険もまずない。福島原発で起こったような「非常電源全
喪失」があっても、炉の下部の(電気作動ではない)緊急バルブが自動的に開き、燃料塩をすべ
て地下の冷却水プールに落とし、ガラス固化させる仕組みになっている。

 
このように、「核分裂連鎖反応を止める」「核燃料の崩壊熱を冷ます」「放射性物質を閉じ込
める」というすべての面で、原理的にきわめて安全なのである。放射能が弱くて盗みやすい。

 


安全面の話を別の方角からすると、燃料をトリウムとする点にある。

 すでに広く知られているように、ウラン235の核分裂により、放射能が弱くて盗みやすいプ
ルトニウムが生まれる。核爆弾の材料となるきわめて危険な放射性物質だが、現状では世界中が
その処分に困っている。原発が稼動すればするだけ、プルトニウムの山ができる。トリウムを燃
料とすれば、プルトニウムはほとんど生まれない。それどころか、本書で提案する「トリウム熔
融塩炉」でなら、プルトニウムも炉内で燃やせる。プルトニウムの消滅に一役買えるどころか最
良な利用処分法なのである。

トリウムは自然界に存在する物質の中でウランに次いで重いもので、それ自身には核分裂能はな
いが、中性子と反応することで核分裂性のウラン233となる。生成されたウラン233を「火
種」にして、連鎖反応を引き起こさせるわけである。幸いなことに、トリウムは世界中にある。
埋蔵量も充分だ。ウランのように偏在していると、寡占国による政治支配を生むが、トリウムに
はそんな心配は全くない。

しかも、核兵器への利用がとても難しい。なぜ難しいかは第十一章に記したが、難しいからこそ、
核冷戦時代にトリウムが不当に無視されてきたともいえる。ウランからトリウムへの変換は、ウ
ランとプルトニウムがもたらしてきた核兵器の脅威からの解放をも意味する。



今度は経済面に話を向けよう。


福島第一原発の事故があってから、「原発はすべてやめてしまおう」という声が強まっているよ
うな感じがする。あれだけの災害をもたらしたのだから、そういう声が強まるのも、ある意味、
理解できなくはない。

しかし、冷静に考えていただきたい。すでに平常時で、日本の発電量の三五~四〇パーセントは
原子力発電に支えられている。電力需要が最低となる正月に至っては、じつに九〇パーセントが
原発からの電力であった(二〇〇一年)。昨今の計画停電ですら、市民生活はもちろん、産業界
に多大な影響が及んでいる。この現状で原発をすべて止めたら、間違いなく日本の社会は立ち行
かなくなるであろう。

これからは太陽光発電や風力発電を活用すべきだ、という声もある。しかし、それらの実力たる
や、とても原発に置き換わるほどのものではない。むろん、将来的にはこれらの自然エネルギー
に大いに期待したい。核エネルギーに代わって、エネルギーの主役に躍り出てほしい。しかし、
よほどの技術的な大革新がなければ、当面のエネルギーとしては、間に合わないのが現実である

(詳細な論は第1章を参照されたい)。

一方で、石油・石炭などの化石燃料は、二酸化炭素排出問題で先行きがない。


結論として、日本だけでなく世界の現状からみても原発を最大限の注意を払って安全に運用し、
次の手段を急ぎ準備するほか、現実的な手立てはないのである。だからこそ、トリウム熔融塩炉
を提案している。


急いでトリウム熔融塩炉による発電システムを構築し、既存の原発に置き換えなければならない。
そして、やがては自然力エネルギーに主役の場を明け渡すのである。トリウム熔融塩炉は、経済
性においても既存の原発にはるかに勝っている。
 

固体の燃料棒を作る必要が全くなくなるからであるが、さらに燃焼効率の面でも不経済なのであ
る。燃料体も被覆管も放射線により損傷を受け、変型・変質してしまうが、それらを修復したり
「燃えカス」の核分裂生成物を除去したりするには、一旦燃料棒を取り出し、溶解抽出などの化
学処理を加える必要がある。燃料は反応が進むにつれ劣化していくので、一、二年ごとに燃料棒
を引き出し、位置変えや交換をしなければいけない。そもそも本来の出力からすると、多量な余
分量の燃料を運転前に装荷し多数の制御棒で抑え込んでおかねばならない。こうしたさまざまな
理由から、必然的に核反応効率は悪いのである(それでも固体燃料の現方式が普及したのは、液
体燃料より効率が悪くとも、石油などに比べれば、けた違いのエネルギーが得られるからである。
核燃料の消費量は、発生熱量あたりで化石燃料の百万分の一に過ぎない)。

トリウム熔融塩炉では、炉が寿命を迎えるときまで燃料は全く取り替えず、トリウムなどを追加
するのみで、初めに装荷した火種のウラン233の約五倍量を、連続的に核分裂させ燃焼させる
ことができる。燃焼率は五〇〇パーセントといってよい(固体燃料炉では、核燃料を装荷してか
ら取り出すまでの一回の燃焼率は二〇ないし四〇パーセントに過ぎない)。

固体燃料体の制作・検査・輸送・燃焼・化学処理・再制作などの作業量は膨大だが、トリウム熔
融塩ではそれらを大幅に排除ないし簡略化できることも、経済性の改善に大きく寄与する。需要
に応じて出力を変える(これを負荷追随という)という点で、トリウム熔融塩炉は非常に使いや
すい。現状の原発は、負荷に対応して出力を変えると、固体燃料内部の温度分布が激しく変化し、
それによって材質が劣化して燃料の耐久寿命が短くなる。それで今の原発は、負荷追随させたく
なく、また早い再起動は困難だから極力止めたくなく、投下資本が高額で低出力では利子が高く
なるから、なるべく全力運転を続けたいがために、もっぱらベースロード(基本の負荷を請け負
う)発電所として使われているのである。先ほど述べた、正月の電力の九〇パーセントが原発か
ら、といった現象は、こうした事情に由来する。つまり、柔軟性に欠けた、あまり使い勝手のよ
いものではないのである。

本来、送電ロスを考えれば、発電所は需要地の近くに置くべきものなのだが、安全性を地域住民
に納得してもらう困難、高額な資本の投下などから、今の原発は都市を遠く離れた僻地に、大型
施設として集中して造られているのである。トリウム熔融塩炉は小型にする。そうすれば、需要
地である都市や工業地域の近郊に設置でき、送電ロスを大幅に減らせる。需要地ごとに分散する
には小型であるほうが便利である。安全性の面でも納得してもらえる。そしてなにより、小型化
することで、全世界へのエネルギー供給に寄与できるのである。

今、エネルギーを切実に必要としているのは、多くの発展途上国である。加えて、世界の人口は
爆発的に増加している。今後、人類が必要とするであろうエネルギー量は、現在の比ではないと
予想される。しかし、先進国はともかく、他のほとんどの国では、大型の原発は割高で、多数の
小型炉を必要としている。その需要に、小型のトリウム熔融塩炉は応えうるのである。


ただし、前提がある。そうしたトリウム熔融塩炉の世界展開には、現状では決定的に不足してい
るものがある。燃料の「火種」を作る中性子が足らないのだ。われわれはこの中性子不足を解決
すべく、核燃料の「増殖」を計画している。「はじめに」にしては、ちょっと小難しい話に入り
過ぎたかもしれない。このあたりの話は本文でじっくり語ることにしよう。

このトリウム熔融塩炉構想は、なにも全て私の独創ではない。一九六〇、七〇年代におけるアメ
リカ・オーり、それをさらに単純・理想化したのであるクリッジ研究所での実証的研究を初め、
先人たちの膨大な研究の積み重ねがあって生まれたものであり、それをさらに単純・理想化した
のであり、それをさらに単純・理想化したのである(この経緯の詳細は第一〇章で触れる)。し
かし、残念なことに、東西核冷戦下、不当にも無視され、忘れ去られ、今に至っている。

これだけ利点の多い構想が忘れ去られたという事実に、構想自体になんらか大きな欠点・不備が
あるのでは、と不審を抱かれる読者も多いことだろう。そうした不審を解くために、「受け入れ
られずに来た理由」を第一〇章で解説した。くわしくはそこを読んでいただきたいが、ここでは、
原理的に正しい技術も、人間社会のさまざまな動きの中で、ときに不当な扱いをうけることがあ
る、という事実のみを記しておきたい。

トリウム熔融塩炉は、実はすでに二十年来、世界各国から、一緒に実験炉を造ろう、といった呼
びかけを初め、さまざまな協力要請が届いている。原子力の平和利用に、どの国も行きづまって
いる。今からでも遅くない。今こそ発想を転換し、新しい原発を造るときだ。二十一世紀の人類
のために――。



文春新書 
古川 和男・著

今の原発は根源的に変革できる。プルトニウムを消滅させる超安全・超優良な炉はできる。これは地球環境を守る革命的エネルギー論だ

内容紹介  2011 2/22

 地球の温暖化を考えれば化石燃料はこれ以上使えない、かといって、風力や太陽光などの自然エネルギー技術はあまりに未熟、残る原発は安全性に疑問、とエネルギー問題にはまるで出口がないかのようです。  そんな中、長く原子力開発に携わってきた著者は、事実上頼れるのは原発のみなのだから、今の原発を根本から変えよう、安全な原発は造りうる、危険なプルトニウムは消滅させうる、と訴えています。具体的変革プランには説得力があり、一考に値する現実的で真摯なエネルギー論です。(SH)

原発」革命古川和男 / 文藝春秋 / 2001/08/20

 著者は熔融塩を専門とする学者。本書は、トリウム熔融塩を利用することで、現在のもの
よりもはるかに安全な原子力発電所が作れると主張する本。発電所にとどまらないトータルな
ソリューションを提案している。

 現在の原子力発電の問題点を1つ1つ指摘し、トリウム熔融塩を使えばそれが解決できると
するその議論の運びは非常に明解で説得力がある。炉の中でプルトニウムを消滅させることが
できる、小型化できる、などのいいことばかりが書いてある。当然ながら、生じてくる疑問は、
そんなに良いものなのならばなぜ現在使われていないのかということで、著者はいちおうその
歴史的な事情を解説している(203ページ)。簡単にまとめるならば、(1) トリウムには核分裂性
がなく、ウランの方が手軽だった、(2) 熔融塩炉以外の液体核燃料炉がすべて失敗した、
(3) トリウムは非軍事的な技術であるため、金が回らなかった、(4) 米国でもこの技術は
オークリッジ国立研究所からあまり外に出ていない、(5) 熔融塩炉は製造業者にとって魅力が
なかった、ということである。

 私は、このようなトータルなソリューションを提案できるような研究が進んでいるということを
まったく知らなかった。したがって、とうぜんのことながら、このアイデアにどのような批判が
寄せられているのかということも知らない。ただ、そのような事情を前提にしても、本書を読んだ
限りの印象では、少なくとも実験炉には国家予算を注ぎ込んでもよいんじゃないかと思った。
つまり著者はエヴァンジェリストとして有能なのである。本書に書かれている事柄が本当に実現
できるのならば、素晴らしいことなので、頑張っていただきたい。もちろん、このトピックに
ついて中立的な立場から書かれた本も読んでみたいと思った。

  核融合炉の実現も太陽エネルギーだけで済むようになるのもまだまだ先、原子力発電の重要性
  は当分高まっていく一方だろう、頑張って欲しい。

参考リンク

     « 原発に頼るな! | メイン | マニフェスト型公開討論会 »

 原子炉にかけては最先進国であるフランスでさえ、高速増殖炉スーパーフェニックス
 投げてしまった。日本だけが熱心だが、世論の風はカトリーナ並 みの逆風だ。しかし、
 古くて新しいトリウム溶融塩炉というのがある。これを見直せないか。本書の主人公、
 トリウム溶融塩炉は、数々の優れた特徴を 持っている。
 ウラン/プルトニウムからトリウムへ
核兵器とどうしても切り離せないウラン/プルトニウムと異なり、トリウムは核兵器へ
の転用が根源的に不可能。しかも資源も豊富でウランほど偏在しない。
 固体燃料から液体燃料へ
現在商業運転中の原子炉のほぼ全てが固体燃料であるが、トリウム溶融塩炉ではトリウム  
を溶融塩に溶かし込んだ燃料を使う。そのおかげで高圧部分がほとんどなく、炉の設計は
  ずっと安全かつシンプルになる。制御棒すらほとんどいらない。
 
 大型炉から小型炉へ
現在の原子炉は、ほとんどが100万kW超の大型施設ばかりだが、運転調整が簡単で工学的安全性が高いなトリウム溶融塩炉なら大きく作る必要がない。
しかも驚くべき事に、基礎研究はすでに1960年代には完了している(私が生まれる前だ)。「これから開発しなければならないブレークスルー技術」というのがほとんどないのだ。エンジニア用語でいえば、取り生む溶融塩炉は「枯れた技術」なのだ。強いて言えば、トリウムをウラン233に転換するための核スポレーション炉ぐらいであるが、これも枯れた技術の集大成で難なくできそうである。

  それでは、こんないいものがなんで捨て置かれていたのか?どうも一番のネックは、「原爆を作るのにはまるで役にたたない」という最大の利点にあ  ったようなのだ。そして「事故が起りにくい」故ニュースにもならず、認知も遅れたというわけだ。

 トリウム熔融塩炉が何故取り残されているのか
なぜこれが世に出なかったか?一つは核冷戦であるが、また基本技術が余りに優れ余りに僅かな人員資金で、当時は最僻地のオークリッジ研究所のみで進められ、事故がないので世に知られなかった。彼らの初期の「熔融塩増殖炉」構想の困難を打開した新構想を1980年に提案したが、自民党が早速超派閥百名の議員懇話会を発足させた位である。その後技術内容も拡充され、1983、90年にソ連、1987年に仏電力庁が共同研究を提案してきた。2002年にはOECD・IAEAが共同推薦した。米露政府も認知している。

  しかし原爆を作る予定もない日本でなぜプルトニウム一点張りなのか、この点は本当に理解に苦しむ。

  本書はトリウム溶融塩炉の優位性を説きながらも、決して押し付けがましいところはない。欠点、例えば高エネルギーガンマ線の問題(しかしこれも  核テロを防ぐには非常に有効)もきちんと指摘しているし、結論を出す前に「まず実証炉を作って確かめよう」と提案している。非常に好感が持てる  姿勢なのだが、裏をかえすと押しが弱いと言えるかも知れない。

  その意味で、本書に最も足りなかったのは、実証炉を作るための予算額だったかも知れない。ざっと見で、ちゃんと商業運転ができるFUJI-2でもせい  ぜい数百億円オーダーのように思えた。高速増殖炉関係にすでに2兆円以上つっこんでいることを考えればずいぶんと安い。このオーダーであれば、  政府関与なしで出来そうである。軍事転用が難しいことを考えても、はじめから民間ベースでやるというのはどうなのだろうか?

  Dan the Reacting Man     Posted by dankogai at 13:55│Comments(7)TrackBack(3)

2007.05.20「原発」革命?


大磯町在住の理学博士・古川和男さんが高知に来てました。呼んだのは民主党・・・。
会場は閑散・・・、ほとんどが民主党関係者・・・。事前にネットで、この原発の事や
古川氏の事を調べますと、何か宗教じみた信奉者が多い事が気になった・・・?開場前の
ロビーでも、「著書を読みました・・素晴らしい・・・」なんて声が聞こえてくる。
それほど素晴らしい物が何故数十年も封印されたのか・・・?

「原発」革命書 書評

 まず最初に読んでからの率直な感想を言うと,読んでてたいへん楽しい本ではありました。
そう,たとえて言うなら科学技術とか未来の技術の進歩とかということが素直に信じられた時
代,ちょうど1950年代から60年代の時代の息吹,みたいなものを感じさせてくれた本で
した。  著者の古川氏は京大理学部卒,日本原子力研究所主任研究員というまあ原発に関し
ては推進をする立場にある方であることはいうまでもありません。  しかしこの本が面白い
のは,著者が現在の原発政策を批判し,そして新しい提言を行っていることです。

 現在,世界中で主流になっている原子力発電所は軽水炉と呼ばれるものです。そしてその軽
水炉を元にし,そこで発生するプルトニウムと,高速増殖炉を使用した核燃料サイクルが現在
の日本の原子力エネルギー政策の根幹を成しています。しかし軽水炉には様々な欠点がありま
す。そしてプルトニウムは言うまでもなく核兵器の原材料であり,さらには日本を除く世界中
で高速増殖炉の開発が中止され,核燃料サイクルそのものの実現が危ぶまれています。  著
者はそれらの欠点を指摘し,そしてその欠点を解決する新たな原発を提言しています。その原
発とは,トリウムを使用した溶融塩炉です。

 核燃料サイクルには,大きく二つの方法があると言うことは以前から知られていました。

 ひとつはウラン238からプルトニウム239を作る方法です。これが現在の核燃料サイクルです。
しかしこれは核兵器の原料であるプルトニウムを発生させることが大きな欠点といえます。
 そしてもう一つは,トリウム232からウラン233を作る方法です。こちらはプルトニウムを発
生させないので,安全な核燃料サイクルであると言われてきました。著者が提唱する炉はこの
核燃料サイクルを実現させるものです。

 そしてこの本では,このトリウム核燃料サイクルの優位性や,著者の提唱する溶融塩炉の安
全性について詳しく触れています。この炉の最大の特徴は,核燃料が固体でなく液体であると
いうところでしょう。また炉自身は黒鉛で作られます。そのため,従来の軽水炉の最大の欠点
である放射能に対する防御や放射能による汚染をかなり減らすことができる,というのが著者
の主張です。

 とまあ,こんな具合でこの溶融塩炉とそれが実現するトリウム核燃料サイクルについて語ら
れてゆくわけです。さらに著者は,もう既にFUJIというこの炉の模型まで作成しているのです
からじつにお見事という他はありません。専門的な話も分かりやすく書かれていてすんなり納
得できます。

 この本を読んでいると,なるほど,昔,原子力開発に携わっていた人々は,こんなふうに未
来を思い描いていたのかもしれないな,と思わせます。そのような息吹を著者はまだ持ち続け
ているようです。それはたいへん素晴らしいことです。

 でも,とここで私は思うのです。

 今はここで批判されている軽水炉も,その当時は夢の技術でした。原子力発電所は安全であ
り,そして核燃料サイクルが実現すれば人類のエネルギー問題を全て解決してくれる。そんな
ふうに思われていたわけです。  しかし,それは間違いでした。原子力発電所は安全ではな
く,核燃料サイクルの実現はほぼ不可能ということが分かってきました。  ではどこが間違
いだったのでしょうか。

 少なくとも,今後原子力に携わろうとする人々は,その間違いを踏まえなければなりません。
いったいなにが間違いだったのか。そしてその間違いが起きたのはどうしてなのか。  そし
て,同じことがこの著者の提唱する溶融塩炉に関しても言えるはずです。

 この本の中では,この溶融塩炉は,欠点のない素晴らしい技術のように思えます。おそらく
現時点ではその通りなのかもしれません。

 しかし,それでは本当に欠点はないのか。誰もが思いもつかなかったようなことが発生する
ことはないのか。かつての軽水炉もプルトニウム核燃料サイクルもそうやって世界中が撤退し
ていったのではなかったのでしょうか。ふと,私はそんなことを考えてしまったのではありま
すが。  例えば,著者はこの炉の利点として経済性を挙げています。しかしその根拠は,構
造が簡単なため基本的に部品点数が少なく済む,というものです。確かにそれは一つの根拠と
なり得るものですが,しかし経済性というのはそのようなことだけで決まるのではありません。
部品点数が多かったり構造が複雑だったりしても経済性が高いということはあり得ます。そう
いう経済という面での考察は足りないように思えました。  そのような見落としは,たぶん
他にもあるのではないでしょうか。

 しかしそれにしても。原発には賛成しない立場から見てみると,著者の歯切れの良い現在の
原子力政策への批判は,非常に痛快なものではありました(^_^;)。  例えば,現在の原子力
政策にはこんな具合です。

 「この程度の認識ないし意欲しかないのなら,いっそ廃止政策を鮮明にしたほうがよほど世
のためである」

 また,高速増殖炉にたいしてはこんな意見を。
 「いまだにこれを「夢の発電炉」のように言う人がいるが」「それはほとんど幻想である」

 石油資源に対しても,石油がなくなるから原発という議論は「虚構」と切って捨てるなど,
正しい認識をしている様子がうかがえます。著者はわりと分かっている人のようです。石油は
なくならないが,だからといって浪費すべきではないというのは全くその通りです。  そし
て著者は,核兵器の廃絶も視野に入れ,最後にこのような提言を行っています。
 「プルトニウム・天然ウランの全面使用禁止を目指そう!」

 いや,素晴らしいの一言ですが(^_^;)。
 しかし,一昨年のカリフォルニアの電力危機の原因を,環境保護派の影響で事業者が発電所
を作らなかったせい,などとおっしゃってるところはまあ限界なのでしょうか。この問題は
msnジャーナルで田中宇氏が興味深い記事を書いていますのでとりあえずはそれを読んでいた
だかないと(^_^;)。

 エンロンが仕掛けた「自由化」という名の金権政治 田中 宇
 まあそんなわけで,わりと読後感の良い本ではありました。でも著者には,いくつかのアバ
ウトさと,そしてちょっとした「山っ気」を感じてし まったのはなぜなんでしょうか(^_^;)。
一歩間違うとトンデモさんというか,あー。

古川和男・博士が「フランス・パリのGIFフォーラム」で行った講演

原発革命』の著者、古川和男・博士が「フランス・パリのGIFフォーラム」で行った講演の要旨Add Star

(注)GIF=Generation IV Technology Roadmap(Nuclear Energy Systems for the Future/
第四世代原子力システム国際フォーラム)http://gif.inel.gov/
(関連記事) → 2006-07-15 [民主主義の危機]安倍式のセレブな「先制攻撃核武装」論で霞む日本の二つの真相
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060715
●「トリウム熔融塩核エネルギー協働システム」の話題が日本国内で広がり始めるとともに、日本原子力
委員会等と古川和男・博士の間で一寸した議論が交わされているようです(参照。下記の各URLの記事
/toxandoriaは、その内容があまりにも専門的なので正確に理解できませんが・・・)。
http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/tyoki/sakutei_youbou/iken-i77.htm
http://cstp.jst.go.jp/jicst/NC/tyoki/sakutei2004/sakutei29/siryo1.pdf
http://www.engy-sqr.com/kaisetu/current%20topics/torium_reactor.htm
http://www.genshiryoku-subete.jp/faq/19.html
●一方、今年5月にパリで行われた「第四世代原子力システム国際フォーラム」での古川和男博士
の講演の波紋が徐々に世界へ広がりつつあるようです。やはり、フランス(原発大国/電力の8割
近くも原子力に依存する、https://www.janjan.jp/living/0510/0510254289/1.php)あたりが
日本より早く検討開始へ動き始めるかも知れません。
・・・以下は★(下記URL)からの転載です・・・

★「核テロとの戦いに、今こそ新しい核平和利用技術を!」2006.5.17
http://10767277.at.webry.info/200605/article_10.html

■トリウム熔融塩国際フォーラム 古川 和男(元東海大学教授
人類は、核問題で致命的な迷路に迷い込んだようである。
連日マスコミを賑わすイラン北朝鮮問題がそれであり、関連して
石油
価格は暴騰したままで世界の経済を直撃し、有効な核テロ防止策は
存在しないのみかイラン攻撃で「核兵器使用実績を得ようとしている」との報道もある。
この極度の危険事態に対し全ての対応策は不毛にみえる。
国際政治努力は必要である。各国は政治対話を止めてはならない。
冷静な対話持続で狂気の核暴発を抑えるべく「祈り」続けるべきである。
しかし今こそ同時に、主題の「核エネルギー平和利用技術」そのものを抜本的に
見直すべき時である。それは人類の平和発展に必須である。
具体的には「ウランプルトニウム利用」でなく「トリウム利用」によって
人類社会の福祉・生活水準の向上に寄与する道をひらく事である。
トリウムを利用する原発は、原子力発電に液体核燃料を使うことにより過酷事故
原理的にありえない安全単純な原発が出来、最も厄介なプルトニウムと縁が切れる。
ウラン濃縮は必要ない。固体燃料体がないから現状の軽水炉よりはるかに単純な構想
となり安く発電可能となる。
トリウムはウランの数倍存在し独占不能で安価である。単純な化学処理で燃料増殖
リサイクルが可能になり、プルトニウムを含む超ウラン元素類が生産されないから、
廃棄物は大きく減らせる。
さらに、プルトニウムを含む核廃棄物の消滅処理に最適な炉型方式である。
そもそも「トリウム利用」は強い放射能を伴い核兵器向きで無いので、却って
今まで世から消され、忘れ去られていたのである、30年来専門の核エネルギー
教科書から抹殺されて。従って現役の核専門家達はその原理を知らず、本能的
拒否反応を示すのみである。
だが例えば少し詳しい技術内容・開発構想を“「原発」革命“(文春新書、2001)で
行った後には、国内でも知識人達への反響が拡がってきた。世界的には、1983と
90年にソ連クルチャトフ研、1987年に仏電力庁、1995年露核弾頭開発
(技術物理)研から共同開発の提案があり、今も有効である。
1992と97年には米大統領科学技術補佐官が日米露共同開発に理解を示してくれた。
かねがねインドでは故バーバ博士が支持しており、米の核最高指導者故テラー博士も
最後の論説(Nucl.Tech.2005.9)で推奨してくれた。
不毛かつ危険極まりない現在の難局を打開するためには、核のみでなくエネルギー環境
全般そして貧困問題をも大きく改善できるものとして、好き嫌いではなしに立場の相違
を越えてこの“トリウム構想”の検討に着手することである。

具体的には例えば、
 (1)上記拙著に示したように、日米露が共同で基礎開発に取り組めば、
   基盤技術は整っているので実に僅かの資金と期間で実用化が開始できる。20年もすれば
   本格利用に入れるが、着実円滑な移行策が整っており官民力を合わせ真の「社会産業」
   を構築する。
(2)現在の核エネルギー技術は今世紀前半に終息させ、プルトニウムのない世界を完成させる。
(3)それを基盤に、核兵器の完全廃絶が実現できる。
(4)非核武装国の唱えている理念は自然に世界の現実政策となり、不備・不公平のない
   国際法
が支配し核テロなどに乱されぬ平和世界構築に大きく前進できるであろう。
   最近の世界論調はあまりに硬直している。もっと柔軟意欲的に人類の叡智を探るべきで、
   その中で日本人の「品格」を大いに発揮し、日本先導の努力によってこの世界難局を救う
  良い機会としようではないか。