- j−3-3.トリウム熔融塩炉核燃料サイクルの双方向的な徹底議論を!
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- 今こそ公開する時だ! (05.07.17)
目 次
1.山田風太郎の随筆「死の直前の3つの心配事」
2.不戦の証としてトリウム熔融塩炉を
3.原子力委員会が募集した「新計画の構成」に対する意見(05.06.30)
4.トリウム熔融塩炉について、マスコミで議論された過去の実例
5.総括
- ★1〜6 印は読者のコメント (追記05.07.24)
1.山田風太郎の随筆「死の直前の3つの心配事」
作家山田風太郎は死に直面した時、3っの心配事があると、随筆で述べている。その1番目は痛いとか苦しいとか肉体的な事、2番目は今生きていると言う「有」から一瞬に死と言う「無」に転ずる精神的な空しさ・寂しさ、3番目は「あれを、やればやれたのに、やっておけば良かった!」と言う後悔・無念だと言う。特に3番目は明日は死ぬ身だから今となつてはもうかなわぬ事だ。この後悔・無念は胸が張り裂ける程悔しく苦しいであろう、と言う趣旨の事を訴えている。
全く同感である。1、2番目の怖れは我慢すればそれで済むだろうが、3番目の後悔・無念にはその時もだえ苦しむに違いない。よく走馬燈のように頭に浮かぶと言うが、懐かしい・楽しい思い出ばかりと限らない。慚愧に耐えない事や挫折感も多々あろう。しかしやり残した後悔は死に直面しては取り返す術がない。私は既に80の年を超え、同僚も次ぎ次ぎに亡くなってゆく。山田風太郎の随筆を思い出して、改めてやり残しがまだ2、3ある事を思った。その一つがトリウム熔融塩炉に実験炉予算がつく願い事である。
2.不戦の証としてトリウム熔融塩炉を
◆NPT(核拡散防止条約):
ご承知のとおり、NPTの歯止めが利かなくなり、その建て直しのため「NPT再検討会議」が今年05年の5月始めワシントンで開催されたが、結論が出ず破綻した。大国のご都合主義に反発が強かった為だ。NPT未加入の国が平和利用を建前でウラン軽水炉を建設し、核を持つ動き、NPTを脱会して核を持つと宣言する国も出ている。これでは天下大乱だ。
彼らの言い分は
@.平和利用が何故悪い。
A.大国のみ核保有を認め、言う事を聞かぬ国を脅かす。
B.中小国は、自国を守り、大国に正当な立場を主張するには、核保有を考えざるを得ない。日本は米国の核
の傘の下だ。
C.核保有に対してイスラエルに甘い、日本はIAEA優等生として六ヶ所村の再処理工場建設を黙認されている。
米国を始め各国から、核不拡散のため、日本は六ヶ所村の再処理工場建設を止めて貰いたいと要求されている。米国、特に米国中心の核軍縮怠慢などから中止の指示を受けても、跳ね返して強行するのは、久しぶりに溜飲が下がるが、さてそれで事は収まるのか。残念ながら必ずしもその強行の見通しは透明でない。トリウム熔融塩炉核燃料サイクルに代われば核不拡散に協力できる。
◆靖国神社問題:
歴史の評価はまだ定まらないが、支離滅裂な総理の行動によって、国益を損ねつつ、世界的なトピックの一つになったのは、我々日本国民の責任ではあるが、歴史的意義がある。何処の国でもやっていると開き直るのは簡単だが、憲法9条を持つ日本としては、世界の平和を構築する哲学をここに築く必要がある。時間が掛かるが。
総理は、「心ならずも戦場の露と消えた」と言うが、私の子供の頃の記憶では、国民の3大義務として「兵役」・「納税」・「教育」が叩き込まれた覚えがある。兵役は義務であり、武運つたなく戦死するのは「心ならずも」ではない。最近戦死を少なくするために、無人飛行機等、ロボツトを使用する傾向がある。さらには「傭兵」など民間軍事会社と言う戦争請負会社もでてきている。戦争をなくする研究が先ではないか。それよりも戦争責任の解明が問題だ。しかしこれは簡単に答えが出ないだろう。
大都市空襲や廣島・長崎の原子爆弾による非戦闘員の死者はどうか。沖縄やサイパンの一般市民の死亡はどうか。外地の戦乱で亡くなった無辜の民はどうか。いわゆる「死没者」と呼ばれるひとびとはどうするのか。特に原爆は「人類に対する冒涜」として米国に訴えてはどうか。米国は絶対謝らないだろう、勿論日本自体も無関係ではない。この問題は曖昧なのだ。だから靖国もこれらの解釈がはっきりするまで曖昧にしておくしかない。
現在の靖国に祀られていると言われる人々を戦死者に限るとしても、国の為に亡くなられば、このように祀られて天皇や元首からもさらには国民全体からも追悼され、その功績が讃えられる。と言う伝統が続けば、戦争を鼓舞し戦勝を賞賛することになる。だから、A級戦犯を祀ろうが祀らなくとも、「不戦の願い」とはなりにくい。
中国。韓国は総理の靖国参拝を止めなさいと求め、更に「不戦」の証を示せと要求している。トリウム熔融塩炉核燃料サイクルの実施・普及によれば、憲法9条操守と共に、不戦の証の一つになり得る。 ★ 1.読者のコメント
◆エネルギーの急迫
05.07.07の日経に、インドネシアのエネルギーについて「一九九五年に日量百六十万バレルだった原油生産量は二〇〇四年に百八万バレルに減少。昨年は初めて原油純輸入国に転落した。」と伝えている。化石燃料の減耗は既に世界規模であらわれ始めている。上記インドネシアの実状を聞くに付け、大小を問はず、多くの途上国はご多分に漏れずエネルギーに困ってくるに違いない。
化石燃料が「高い」・「無い」となれば、一斉に原子力という選択肢が浮上するだろう。その時にU−Pu核燃料サイクルでは、世界中核拡散の危険にさらされる。元々U−Pu核燃料サイクル方式は、軍用目的を兼ねることで米国で技術が確立され、量産され、NPTを前提にして、世界中に売り込みをはかり、大儲けしているのである。
最近の報道によると、その儲け頭の一つWH社が日本の三菱重工に身売りするという。三菱重工は、これから版図を海外に狙いを定めているらしい。その狙いは正しいと思うが、U−Pu核燃料サイクルを売りまくるでは、無制限の核拡散のおそれがあり、困るのである。
私は、ひょっとすると、利の早い米国のWH社のことだから、売り払った資金でトリウム熔融塩炉核燃料サイクルの「実験炉」・「原型炉」・「実証炉」・「商業炉」の研究を行い、小型の原子力を、ウラン軽水炉にかわり、世界に普及させるのではないかと、一瞬の「白昼夢」を見た。
★ 2-読者のコメント
3.原子力委員会が募集した「新計画の構成」に対する意見(05.06.30)
原子力委員会は5年に一度新計画の意見を集めて改訂している。前回は平成12年で今回の意見募集は05年6月9日〜24日で、それをとりあえず纏 めたの が次のWEBである。
http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/tyoki/sakutei2004/sakutei29/siryo1.pdf (「新計画の構成」に対する国民意見について)
このWEBサイトに、トリウムに関して、6件の提出意見が記録されているので開いて見て下さい。
E は意見提出者のメール整理番号である。 E83(p.82), E16(p.111), E84(p.113), E138(p.115),
E85(p.123), E 78(p.137)
この国民意見集は171頁に及ぶ大部なもので、760件にもなる。上記トリウム関係意見がわずか6件で1%にも満たず、淋しい限りだ。しかし0 5年6月30日に開かれた原子力委員会新計画策定会議(第29回)では、吉岡斉氏が特にトリウムについて次のように述べいるのが重要。(抜粋)
「筆者が半日かけて目を通した時点で、計画への反映の可否について検討すべき重要な事項に当たると判断
したものについて、例示的に列挙する。(網羅的にやれば2,3日かかる)
1.トリウム溶融塩炉
これについては策定会議では、まったく議論されなかったが、国民意見には、これに言及するものが少
なからずある。しかもその大半は長文の力作である。
策定会議がこの話題についてまったく検討もせずに却下(棄却ではない)するのは、非常識である。ぜ
ひ適当な論者を招聘して、プレゼンテーション(10〜30分程度)と、質疑応答を行って頂きたい。(他の
テーマについても、可能な限り、書面での検討にとどめず、双方向的な議論の機会を設けるべきである)。
ちなみに筆者は、トリウム溶融塩炉研究開発の支持者ではないが、競争相手(プルトニウム利用)に対
する批判の姿勢は買うものであり、そこから学ぶべき点はあると考えている。」
吉岡斉氏は九大教授で原子力の技術に詳しく朝日選書1999.04.25「原子力の社会史−その日本的展開」を出版している。吉岡氏はその著書で原子力の 技術発展史として、二元体制的サブシステムガバメント・モデルと言う概念を元に分析し、電力・通産連合が商業用発電原子炉に関するする業務、科学 技術庁グループがその他総ての業務と言う形にした。科技庁が圧倒的に優位にあったが、その後電力・通産連合は核燃料業務を幅広く掌握するようにな ったとしている。これらがうまく絡み合い、補完し合って原子力が発展したとする。
この中で、吉岡氏は熔融塩とトリウムについて2ヶ所記述がある。
1.89頁に、−−−核燃料は理論的には固体でも液体でもよいが、発電炉などの動力炉に使わられる燃料としては、実際上は固体燃料のみを考えれ ば十分である。液体燃料は今まで若干の研究炉で使われたに過ぎない」と切り捨てている。
2.99頁〜101頁にトリウムの記述がある。一口に言うと、「60年ころ原研の西堀榮三郎理事の提案する半均質炉は日本発の増殖炉自主開発と して評価されたプロジェクトであったが、61年に入り、菊池正士氏の評価委員会の意見が否定的であったこと、又ストライキもあって原研の地 位が低下し、熱中性子型増殖炉の開発計画は失敗した」、と述べている。
吉岡氏は原子力の技術社会史には非常に詳しい科学者だが、トリウム熔融炉については、このように余り詳しく述べられていないので、どういう訳か と思っていたところ、上記のように、目を見張るような、本当の科学技術者らしい意見を拝見して感激している。矢張り原子力技術発展史の底流 を熟知している数少ない技術史家だった。
- ★ 3.読者のコメント
この「新計画の構成」に対する意見の新計画全体について(135頁〜171頁)を見ると、原子力反対の意見がかなり多い。核拡散のおそれ、原 子力と核兵器はコインの裏と表、40d以上も余剰プルトニウムを持つようでは靖国問題で孤立化、原子力事故の多発、再処理・高速増殖炉の技術的・ 経済的破綻、使用済み核燃料の処理場が決まらない、危険な原子力は持続可能ではない、等が理由だ。どうも一般の方々が多いようだ。
トリウム熔融塩炉については、この新計画全体のカテゴリーの意見集では上記E
78(p.137)の1件のみ。従って、トリウム熔融塩炉の計画の存在やそ の特徴が広く議論され、問題点の所在が解っておれば、一般の方々の原発反対の声はピタリと止むのではないか。20年から10年ほど前には、マスコ ミでかなりトリウムは話題になっていたと記憶しているが、近時は全くマスコミに載らない。トリウム専門家がエネルギー問題が起きる度に、投書する のだが、没になる。トリウムの「ト」の字も出ない。
最近Webサイトで「原子力のすべて」というユニークな企画がある。その中に「トリウム熔融塩炉」として解説がある。これに対して、30才の男 性が、「トリウム溶融塩炉への記述に疑念あり」として、9っの質問を提起し、又これに対して丁寧な「原子力のすべて」事務局からの回答の外に、参 考1、2として、核燃料サイクル開発機構(JNC)FBRサイクル開発推進部及び日本原子力研究所エネルギーシステム研究部からそれぞれ「トリウム溶融 塩炉の記述に関する質問への見解」が載せられております。このように質疑が公開されているのは良いことだが、内容は素人目の私から見ても、現原子 力体制側の偏った意見であり、上記吉岡斉氏のコメントにあるような「双方向的な議論」がなされていない様な気がする。門前払いなのである。是非 トリウム熔融塩炉の専門家の意見も採り入れた企画をして、公開して欲しい。
私は以前、HP(04.11.13)(A−53)で「桐生悠々がいたら「原子力委員会の六ヶ所村再処理工場再開方針の決定を嗤う」と言う記事を書くかも 知れない、と言う稍乱暴な意見を述べたことがある。原子力委員会が六ヶ所村再処理工場再開方針の決定した時の各新聞の論説の中で、「トリウム熔 融塩炉核燃料サイクル」の話は一言もなかった。上記吉岡氏が嘆くように、政府も電力会社も評論家もジャーナリストもトリウム熔融塩炉に「聞 く耳を持っていない」のである。
4.トリウム熔融塩炉について、マスコミで議論された過去の実例
政府も電力会社も評論家ももトリウム熔融塩炉に「聞く耳を持っていない」のは、例えば桐生悠々が「関東防空大演習を嗤う」と言う社説を書いて頸に なったように、何か恐ろしい罠がマスコミに仕掛けられているのではないかと、マスコミが怖れて一般商業紙には書かないのだろうか。一般商業紙に出な いから、一般市民もトリウム熔融塩炉の知識がない。そして脱原発の合唱だ。
吉岡斉氏は、自らは、トリウム溶融塩炉研究開発の支持者ではないとしながら、「競争相手(プルトニウム利用)に対する批判の姿勢は買うもので あり、そこから学ぶべき点はあると考えている」と述べ、「策定会議がこの話題についてまったく検討もせずに却下(棄却ではない)するのは、 非常識である。ぜひ適当な論者を招聘して、プレゼンテーション(10〜30分程度)と、質疑応答を行って頂きたい」と主張しているのを高く 評価したい。
昨今の新聞には全く現れないトリウム熔融塩炉の事も10年前にはかなり多くの新聞に出ているので、出来るだけ検証してみたい。以下に年代順に抜粋 を示す。学会・専門技術誌などでの技術・研究の発表はカウント出来ないほどあり、ここでは省略したい。
◆1〜10 は追記(05.07.24)
◆1.1981.07.03 英文朝日イブニンクニュース 「人工ウラン燃料」 大熊由紀子(朝日新聞科学部次長)
★5
◆2.1982.02.22 日経朝刊11面 「加速するトリウム研究」 ★5
◆3.1982.05.06 科学技術庁広報誌 「トリウム原子炉−手つかずの核エネルギー」
◆4.1988.02.07 日経 「問い直される原発研究」−巨大システム硬直化にメス
◆5.1989.04.11 日経産業 「21世紀エネルギー展望」@.需要予測・天然ガスが主力に
◆6.1989.04.12 日経産業 「21世紀エネルギー展望」A.温室効果の危機・防げるのは原子力
◆7.1989.04.13 日経産業 「21世紀エネルギー展望」B.トリウムの利用・各地採取容易・奉仕や正廃棄物対策に有効
◆8.1989.04.14 日経産業 「21世紀エネルギー展望」C.熔融塩発電路・「不二」の完成目指す
◆9.1990.02.18 日経 『放射光』 21世紀エネルギー・中期計画に精魂を−古川和男
◆10.1992.03.09 朝日 『論壇』 プルトニウムの火を消そう−古川和男(1992.02.22朝日社説「プルトニウム政策を練り直せ」に応答)
イ.1988.05.28、朝日夕刊 ソ連の原子力政策に遺言: 自殺したソ連学者がチェルシブイリ回想記
−−−指導者は戦略を決めるだけでなく、設計・計画推進等にも責任を持たなくてはならない。原子力開発において個人が責任を持つシステムがないと大事に至ることをチェルノブイリの事故が示している。私は次世代の原子炉として熔融塩炉等の必要性を主張したが、思いも掛けない反対に遭った。 ★ 4.読者のコメント
ロ.1992.02.20、読売「論点」・古川和男 今こそ有望な「トリウム」燃料
−−−今の化石燃料時代から太陽エネルギー時代への橋渡しをどうする?一部の人は核融合に期待しているらしい。しかしこれの実用化し普及するのは再来世紀の始めになろう。核利用を抜本的にもう一度見直してみる必要がある。但し、資源、安全、核拡散、核テロ、廃棄物、社会適合、経済性総ての面において、全世界で喜んで使ってもらえるものでなくてはならない。
−−−それにはウランの代わりにトリウムを利用する道がある。更に固体を止めて液体の熔融塩核燃料利用に移るのである。米国オークリッジ国立研究所の人々がこの基礎研究を初めて1958年ころから、筆者も生涯の仕事と決め30年以上努力してきたが、漸く来世紀世界に展開するにふさわしい具体構想が固まってきた。しかも前記の課題を総て解決する見込みがある。
−−−このほか、この炉は小型化出来る利点を持つ。既存の大型原発と不必要に競争せず、小型炉から次第に世界に転換して行けば良い。技術成熟に、立地に有利である。
ハ.1992.08.26、朝日 トリウム利用の核燃料サイクルを:政策転換の勇気を持て
−−−日本のような高速増殖炉路線を取れば、プルトニウムのくびきからますます離れられなくなる。各国の商業再処理施設で使用済み核燃料からプルトニウムが大量に抽出されれば、原爆製造をねらうテロリストに強奪される危険は消えない。
米国オークリッジ国立研究所が30年以上前から取り組んできたトリウムを原料とする液体の熔融塩核燃料方式はまさに最適の非ブルトニウム技術だといえる。
熔融塩は、燃料の成分を色々変えられる。現在溜まっている使用済み核燃料のプルトニウムを消滅させたいなら、液体燃料に混ぜて燃やしきってしまうことも可能だ。
熔融塩炉に使うトリウムは地球上に広く分布しており、ウランの数倍の埋蔵量がある。原子量はウランより小さいので、原発で出る長寿命の高レベル放射性廃棄物の量も、現在の1万分の1程に減らせる。
各国とも、軍事技術から発生したU−Puサイクルの開発に膨大な資金と時間を投入してきたため、身動きができなくなって いる。日本は思い切って非プルトニウムの原子力政策に転換する勇気を持って欲しい。熔融塩炉は、200億円の新たな資金と6年の時間が在れば、実験炉の開発が出来るはずだ。
容易に原爆が製造できるプルトニウムに、日本はいつまで固執しようというのか。古い思考の枠から抜け出らないなら、原子力は自壊の道を歩むだろう。
ニ.1993.12.01、朝日夕刊 原発に加速器を利用; 暴走しにくい安全タイプ ノーベル物理学賞ルビア博士が提案
−−−ウラン軽水炉では制御装置が必要だが、トリウム熔融塩炉では加速器からの陽子線が無ければ反応が続かないので暴走しにくく、又トリウムは天然に充分あり、反応の後に危険なプルトニウムも少ししか出来ない事も利益と言う。−−−★ 5.読者のコメント
ホ.1993.12.01、読売 トリウム原子炉を提案: カルロ・ルビアCERN所長「プルトニウムも微量」
−−−利点として、@放射能の強い核分裂生成物はほとんど出ないA.核兵器転用できるプルトニウムが出来る量は微量、B.加速器が加速している間しか核分裂が起きず、原子炉の暴走はあり得ない。−−−
へ.1994.02.18、朝日「論壇」・古川和男 脱プルトニウムへ本格討議を:
全米科学アカデミ−(NAS)は1月24日に、将来において世界はプルトニウムなしの核燃料サイクルに頼るべきだ、との重要な提案を発表している。しかし、日本では意欲的な議論は皆無である。実は今、日本の運命を左右する「原子力利用長期計画」が設定されつつある。原子力委員会の責任で数年ごとに改訂されるが、密室で行われているせいか、マスコミさえ殆ど関心を示さない。
−−−私たちは核エネルギーの平和利用には、プルトニウムは必須でなく、別な方法がある、として30年来別の道を追求してきた。プルトニウムを生むウランに頼らない、トリウムを利用した非軍事的体系である。
液体の熔融塩核燃料を使用すれば、過酷事故のない炉が出来る、地球マグマに似た液体で冷えればすぐガラス状に固まり、空気や水に反応しない。極めて強いガンマ線を放出するため、盗難防止や査察にも決定的に有利である。核弾頭量となれば、致死量になるため、遮蔽に20センチ以上の鉛を必要とする。軍事向きではないことから冷戦時代には問答無用と冷遇されてきたが、いよいよ出番である。
技術の基礎は出来ている。しかも、プルトニウムの消滅は最適で、現在の原子炉体系と協調させながら、徐々に円滑に新体系への移行が図れる。ナトリウム炉技術への巨大な投資結果が活用出来るので、約15年の僅かな投資で基本開発が出来よう。
ロシア・ベラルーシ・米・仏・トルコ等の支持も強まっている。−−−来るべき世界の原発問題の新しいあり方につき、国民全体で語り語り合おうではないか。そのためにも、原子力委員会、科学技術庁は、プルトニウム利用問題とトリウム技術に対する見解を早急に明らかにして欲しい。最近、IAEAも「トリウム利用はプルトニウムの汚名と無縁」と言明した(IAEA月報:1993年3月p.2)。
ト.1995.09.05、プレーボーイNo.36 中野不二男の頭脳立国:
◆肯否論ではない原発の話。トリウム熔融塩炉と言う「本当に安全」な原発を知れ!
−−−液体燃料だから、常に循環しているために、まんべんなく核分裂が進む。原子炉の運転中にも燃料を少しずつ補給出来るため、30年位は交換の必要はないと言う。−−−熔融塩炉は一時期米国で充実した研究が進められたものの、その後は政治的な背景(非軍用的)もあって軽水炉主流の波に片隅へ追いやられていた。それを今、あらためて俎上にのせたのはのせたのは古川の執念と熱である。
チ.1996.02.08、文芸春秋3月号 「もんじゅ」なんていらない:
お粗末な事故から露呈した日本のエネルギー無策(中野不二男・古川和男対談)
−−−中野:先生が提案されているトリウム熔融塩炉というのは、ムトリウム熔融塩と言う液体のなかで厄介もののプルトニウムを燃やし尽くしてしまおうと言うもので、プルトニウム処理法として誠に面白いと思います。トリウム自体は核分裂性ではないわけですね。古川:そのために原則として、最初だけ何か他の火種がいるのです。核分裂生成物ができると言う点ではU−Puサイクルと大差在りませんが、一番厄介なプルトニウムやアメリシウム、キュリウム等は出来ません。核分裂生成物はなるべく炉外に出しませんし、それらは炉を運転している内にどんどん崩れていきます。−−−
リ.1997.05.03、日経 サイエンスアイ−新しい技術に挑め:
原子力産業脱皮の好機に、広い市場開拓を目指すべき
−−−社会情勢変化の中で、行き詰まった産業を立て直すには、技術的な転換が必要である。それによってより広い市場を視野にいれることである。日本の原子力産業も新たな技術で、市場は日本の電力会社だけという状況からの脱皮を真剣に考える時だろう。−−−原子力も現在の技術体系が絶対ではない筈だ。世界を見渡してみれば、新しい概念の原子炉技術の提案は多い。日本でも小型原子炉を中心にして有益な提案が存在する。電中研の服部理事の提案する高速炉、東海大の古川和男元教授の熔融塩炉などは十分検討に値する。
−−−、原子力には核拡散など政治的な面がつきまとう。安全面でも厳しい規制も必要だろう。そういう意味で、純粋に民間だけが技術の転換に取り組めば済むと言う訳にはならない。国の力が必要である。最も大切なことは、新たな技術的挑戦の障害を取り除くことである。
ヌ.1997.05.26、朝日社説 研究の基本に立ち戻れ: 核燃料サイクルを問い直す
−−−私たちは、現行の核燃料サイクル計画から見直すことを求めたい。−−−厄介な放射性元素はプルトニウムといっしょに纏めて放り出し、核燃料として燃やし尽くして、ゴミとして残さない。そんなサイクルが出来る再処理施設や原子炉があればよい。このように視野を広げた発想が、原子力の研究に求められているのではないか。従来路線が行き詰まっているいまこそ、新たな可能性に挑む好機といえる。液体燃料を使う原子炉や、使用済み燃料を取り出さずに廃棄物の処理ができる一体型炉のアイディアもある。複線で核燃料サイクルの未来を探って貰いたい。−−−
ル.1998.03.23、共同通信配信(大分等全国各地方紙)「科学」 トリウム熔融塩炉・より安全、高効率:
高速増殖炉や軽水炉に代わる、熔融塩炉と言う原子炉を提唱している研究者がいる。東海大教授古川和男さんだ。
◆燃料は液体:トリウムはインドの海岸等に砂鉄のような形態で存在する。中性子をぶつけるとウラン233に代わり、
核分裂する。熔融塩炉の燃料は高温で液化した塩にトリウムフッ化物を溶かした物だ。発生した熱で上記タ
ービンを回す発電過程は軽水炉と同じ。特徴は燃料が固体でなく液体であることで、燃料補給は少量のトリウ
ムを足すだけで30年は持つ自給自足型だ。大がかりな保守作業が不要で、放射性廃棄物も激減する。国内で
も議員懇談会が出来るなど検討されたが、高速増殖炉推進路線が優先され、立ち消えとなった。
◆効率高く安全:古川さんは1980年燃料製造用の加速器熔融塩増殖炉も考案した。この炉と再処理工場を併
せた基地を世界の30ヶ所よぐらいに設置すれば全地球分のエネルギーをまかなえると古川さんは構想する。「燃
料容器の耐久性や経済性も実証されていない」」と言う疑問に対して、古川さんは「生成物や容器の耐久性は実証
済み。発電効率も軽水炉よりはるかに高い」などと強調する。
◆小型炉を分散:16万KWで直径5.4m、高さ4mと規模は小さい。
ヲ.1999.12.23、読売「論点」・中村誠太郎 原発燃料トリウムも選択肢:
−−−原発事故多発を受けて−−−
−−−現行のU−Puサイクルの抱えている困難を考える必要がある。プルトニウムは原爆に流用出来るから厳重な管理 の元に扱わなければならず、プルサーマルも経済性から考え最善の道とは言えない。ウランより危険性の少ない原発燃料としては、トリウムが考えられる。原発用燃料としてのトリウムの開発はウランより、はるかに遅れている。遅れているからと言っても利点が無い訳ではない。−−−ウランの場合、天然ウランの中にわずか0.7%しか含まれていないウランを濃縮すると言う手間がかかるのに対し、トリウムの場合は、ガンマ線が出ると言う問題が在るにしても、遙かに手間が掛からない。
確かに現行の原子力体系を急激に変えるのは無理だと思う。しかし、トリウムは比較的安全、単純、経済的であると言う意見もあり、選択肢の一つとして基礎的な研究を続けることも必要と考えて良いのではないか。
ワ.2001.11.30、朝日夕刊 「夢中人」・古川和男 核燃料再処理停止、だれかが提案を: トリウムのサイクルを提案する。ウランに次ぐ重い天然 の元素、トリウムを液体に混ぜて燃料とする「トリウム熔融塩炉」を研究。 最近、設計した原発が国際原子力機関で将来有望な原発の一つに揚げられた。
「トリウムサイクルはプルトニウムを生み出さない。余ったプルトニウムを燃やす事もできる」と利点を強調する。 米国では60年代に実験が始まったが、 軍事転用に不向き故に研究は縮小された。研究者の少ない分野だけに技術の継承が目下の課題だ。
カ.2001.10.21、産経 「原発革命」書評 次世代エネルギー源、説き起こす:
−−−現在のエネルギー源について、それが有限であるらしいと言う事は感じていても、その将来についての多くの深刻な課題まで深く考えている人は、よほどの専門家でない限りないだろう。−−−そこで登場するのが原子力エネルギーだ。核融合はまだ問題が多すぎる。そこに本書の主題であるトリウム熔融塩炉が登場する。−−−国の方針として、次世代の炉は核融合と言うことになっていたので、少数の研究者だけが取り組んでいた。しかし、安全性、コストなどのせたのばを考えると次世代の炉としてどうしても推薦すべきだと著者は主張する。
ヨ.2001.09.26、電気新聞 新刊紹介 「原発革命」書評
−−−長年にわたって原子力エネルギー技術の開発に携わってきた著者は、胸突き八丁にある現状のエネルギー政策を憂い、解決策をズバリ提言する。先ず原子力大改造構想である。現在使用している原子燃料を固形燃料から液体燃料に切り替えること。ウラン燃料からトリウム燃料に移行転換する事で、プルトニウムを排除する、と訴える。更に小型熔融塩発電炉の早期実現を提言する。こうした原子力を根本的に変えることで安全な原子力が作れると力説する。
条件は更に続く。著者は「プルトニウムの利用も停止し、消滅させる」と大胆提言し、真摯なエネルギー論を提言する。一朝一夕にはという思いはよぎるのだが。
タ.2001.10. エネルギーフォ−ラム 「原発革命」書評 鈴木達次郎
−−−既存の原子力システムの持つ限界について、冷徹かつ説得力のある分析が続く★(専門家達は皆、此れは十三年(1980−81)前の古川提案の亜流だ、と言ったものです。)
?[此れを書くのであれば、(イ)の前に AMSB の話を入れて頂けませんか? 旧 和合本のP.232.233 辺りの新聞copy が有ります。]
この具体的提唱までの合 理性と革新性が本書の本質的な価値である。−−−
- こういった革新技術の選択肢をなくしてしまう事は社会にとって大きな損失だ。幸い、最近第4世代炉開発などの国際協力機構が盛り上がっている。 この提案も是非その得失、実用化可能性について徹底的な議論すべきだ。
レ.2001/09/23 朝日新聞 「原発革命」書評 抜粋
−−−原子力に疑念を持つ人は多い。ウランやプルトニウムを燃料とする現在の原発には、廃棄物処理や使用済み燃料の核兵器への転用と言った不安がある 。長年原子力開発に携わってきた著者は、こうした事が少ない「安全な原発」を提案する。
−−−著者の言う安全な原発を要約すると次のようになる。即ち
@.燃料が現在のような個体でなく液体(溶融塩)である
A.燃料にトリウムを使う
B.緒方の炉でなく小型の炉を指向する−−−−と言うことである。
トリウムは現在のウランに代わる原発燃料であり、地域的な偏在が少なく、埋蔵利用も豊富であるという。そして、トリウム燃料は使った小型溶融塩発電炉 「FUJI(不二)」をモデルとして提案している。−−−−
ツ.2001/09/23 日本経済新聞朝刊 「原発革命」書評
−−−ウランやプルトニウムを燃料とする現在の原発には、廃棄物問題や使用済み燃料の核兵器への転用といった不安がある。長年原子力開発に携わってき た著者は、こうしたことが少ない「安全な原発」を提案する。表題になっている「革命」を起こすものかどうかは別にして、確かにこれまでのものとは一線を 画す原子炉である。
−−−トリウムは現在のウランに代わる原発燃料であり、地域的な偏在は少なく、埋蔵量も豊富であるという。そして、トリウム燃料を使った小型溶融塩発 電炉「FUJI(不二)」をモデルとして提案している。
著者は、一貫して原子力技術の重要性を訴えている。トリウム炉のアイデア自体はそれほど新しいことではないが、エネル ギー問題が深刻化している今、改 めて掘り起こすのもよい。それは「原発のどこが問題か」(第三章)を考えるきっかけになるとともに、「核兵器完全廃絶への道」(第十章)につながる。
5.総括
イ.不退転の決意
私は、以前このHPで、桐生悠々が生きていたら「原子力委員会の六ヶ所村再処理工場再開方針の決定を嗤う」と言う記事を書くだろうと乱暴な意見を書いた。桐生悠々は「関東防空大演習を嗤う」と言う記事を昭和8年1月、信濃毎日の社説に書いて軍部ににらまれ首になったのだが、彼の趣旨は、日本の都市は木と紙で出来ているから、敵機が一機でも潜り込めば壊滅してしまう。制空権が無くなれば、防空演習など意味がない、敵機の基地を叩きつぶすか、それが出来なければ、戦争は速く止めろと言うことだ。
果たして日本は、サイパン、硫黄島等を敵の空軍基地に占領され、制空権を奪われ、東京始め国内の大都市は次々大空襲を受け、おまけに原子爆弾2発食らって焦土と化し、多大の家財と人命を失って、屈辱の敗北を喫した。太平洋戦争も「不退転の決意」で進めた筈だった。そもそも不退転の決意とは、相手の実力がわからないときに使うものだ。
たしか、各国が次々にFBR(高速増殖炉−もんじゅ型)を撤退する中で、日本でも現行原子力路線は立ち止まって考えろと言う意見が高まっていたが、六ヶ所村再処理工場再開決議を決めた原子力委員長も「不退転の決意で遂行する」と述べていたことを覚えている。しかし残念ながら、決議決定の経緯は、再開続行する場合と止めた場合の経済性が主で、それも政策変更コスト等という変数を入れてカウントされたように思う。経済性も技術上も確証もなく、吉岡斉教授が言うように、別のあらゆる選択肢を考慮せずに、検討もせずに却下(棄却ではない)して、既定路線を強行した。
ロ.一般市民のいまだに多い脱原発の意見
05.06.30に集められた原子力委員会が募集した「新計画の構成」に対する意見集を見ると、専門的な意見は勿論あるが、今時一般市民でかなりの人々が脱原発を訴えているのに驚いた。核拡散、原発事故、六ヶ所村再処理工場及び高速増殖炉もんじゅの技術的・経済的破綻、廃棄物処理場などが理由だが、トリウム熔融塩核燃料サイクルのことなど話題にもならず、何も知らされていない。知っておれば脱原発の声はピタリと止むのではないかと思った。
何故知らないのか。10年ほど前にはかなり一般商業誌にトリウム熔融塩炉の話が出ているのに、最近は皆無である。驚く程全くないばかりでなく、原子力委員会の新長期計画策定とか、NPTの再検討会議等のイベントの前後には必ず、トリウム研究者が新聞投稿しているのだが、全部「没」なのだ。これはマスコミが何かに脅えているのか、或いは圧力が掛かっているのかと疑わざるを得ない。マスコミに書かれ無ければ一般市民が知る訳がない。
そう思ったので、調べてみると、1988〜1999年で12件あるが、2001年には古川和男著「原発革命」の一般商業誌の書評は5件あり特記した。これによると、主なものは(何れも抜粋)
◆「ハ.1992.08.26、朝日 トリウム利用の核燃料サイクルを:政策転換の勇気を持て」の中で
容易に原爆が製造できるプルトニウムに、日本はいつまで固執しようというのか。古い思考
の枠から抜け出らないなら、原子力は自壊の道を歩むだろう。
◆「ヌ.1997.05.03、日経 サイエンスアイ−新しい技術に挑め: 原子力産業脱皮の好機に、広い市場開拓を
目指すべき」の中で
原子力も現在の技術体系が絶対ではない筈だ。世界を見渡してみれば、新しい概念の原子炉技
術の提案は多い。日本でも小型原子炉を中心にして有益な提案が存在する。電中研の服部理事の提
案する高速炉、東海大の古川和男元教授の熔融塩炉などは十分検討に値する。
原子力には核拡散など政治的な面がつきまとう。安全面でも厳しい規制も必要だろう。そういう意味で、
純粋に民間だけが技術の転換に取り組めば済むと言う訳にはならない。国の力が必要である。最も大
切なことは、新たな技術的挑戦の障害を取り除くことである。
◆「ル.1997.05.26、朝日社説 研究の基本に立ち戻れ: 核燃料サイクルを問い直す」の中で
現行の核燃料サイクル計画から見直すことを求めたい。−−−従来路線が行き詰まっているいま
こそ、新たな可能性に挑む好機といえる。液体燃料を使う原子炉や、使用済み燃料を取り出さず
に廃棄物の処理ができる一体型炉のアイディアもある。複線で核燃料サイクルの未来を探っ
て貰いたい。
原発革命(初版01.08.20)の書評の関係で
◆「タ.2001.09.26、電気新聞 新刊紹介 「原発革命」書評」は要領よく簡潔に正確に紹介しているが、最後
に一言、「一朝一夕にはという思いはよぎるのだが」と言うのがあるが頂けない。電気新聞は電力
会社の御用機関だから、これが本音でしょう。心の深奥を見る思いだ。トリウム熔融塩炉をウン臭く見てい
るのは間違いない。
◆「ソ.2001.10. エネルギーフォ−ラム 「原発革命」書評 鈴木達次郎」の中に
−−−こういった革新技術の選択肢をなくしてしまう事は社会にとって大きな損失だ。幸い、
最近第4世代炉開発などの国際協力機構がもりあがつている。この提案も是非その得失、
実用化可能性について徹底的な議論すべきだ。−−−
以上、マスコミの記事を一部再掲したが、92年〜97年にこれだけ、具体的に、核燃料サイクルの見直しを訴えていたのに、むしろ姑息に後退している現状を見て、当該マスコミはどう考えているのだろうか。少なくともこの2,3年に数編のトリウム研究者の投稿を握り潰している。握りつぶすのは会社の編集部の責任だから、とやかく言わないが、少なくとも10年前に当該会社としての主義・主張である「社説」で主張されていた内容に重なる投稿なのだから、社会部から科学部へ担当を移して、双方向的な議論の機会を設ける様な心意気があってもよさそうではないか。そして出来れば、平成の桐生悠々の再現を期待するものである。
ハ.聞く耳を持たない
政府や電力会社は「聞く耳を持たない」と言う声を聞く。又原子力委員会の責任者は「皆さんが話題にするようになったら、考えます」とも言っているという。それなら委員会は不要である。これは私どもの力の及ばない所と言うか、別な世界の事かなと思うが、一つ言えることは、既定路線に投資した資産があまりにも大きいことだ。会計学、経営学にサンクコストというのがある。埋没費用とも言う。
新事業を起し、社長として成功するには、サンクコストを充分理解しているか否かによるという。私は、長く原価主義の電気料金の仕組みを教え込まれているので、このサンクコストのことには、今ひとつ解らない所があり、これでは社長になれないと自認している。勉強中である。04.12.10朝日の「窓」に次ぎのような記事かある。
しまった、間違えた!と、思っても、後戻りできないことが社会には多々ある。 それまでに使った時間や費用が大きいほど「せっかくここまでやったのだから」と方向転換をためらう。それも人情なのかもしれない。続けるべきか、やめるべきかと迷った時の判断に役立つのがサンクコスト、つまり埋没費用という概念だ。過去に投下され、もう回収出来なくなった費用(時間や設備)のことをさす。
この概念をどう使うか。「これから先どのように行動をしても、いったん投下したサンクコストは減りもしなければ増えもしない」という事実を受け止めるのである。それができずに「頑張ればサンクコストも回収できる」と、謝って信じ込んでしまうと、見込みのない事業が続けられることになる。
国家の政策でもそうしたことが起きる。立ち止まらないと巨大な「負の遺産」、が将来の国民に残る恐れがある。たとえば。時代にあわなくなった道路整備や年金制度だ。核燃料サイクルもそうかもしれない。現時点でやめれば再処理施設の建設費約2兆円がサンクコストとなるが、核燃料サイクルをいったん始めると、今後80年間で約19兆円という巨額の国民負担が発生することが明らかになっている。
★ 6、読者のコメント
過去の努力を無駄に出来ないからといって、将来負担の増加に目をつぶることは許されない。サンクコストは取り戻せないこ とを勇気を持って認識し、未来への判断を下すべきだろう。
難しいですね。しかし、国の政策決定者が「皆さんが話題にするようになったら、考えます」とか「聞く耳を持たない」という事では許せないのでは ないか。以前このHPのどこかで書いたが、日本学術会議講堂のエネルギー・シンポジウムで、京大の助教授が、日本の地下探査技術は世界トツプレベルだ が、海洋地下資源の探査に利用する調査船がない。予算を要求しても、隣国とのトラブル(東シナ海ガス油田?)を避けたい等と言を左右にして首を縦に振 らない。技術を知らない政治家、高級官僚、評論家、マスコミをこのままにして置くわけに行かない。どしどし公開質問状を提出するつもりだと、怒りを殺 して絶叫していたのを思い出す。しかしこれは、今年、通産省が予算獲得に成功している。
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