なぜ憲法改正が必要か?

結論:日本国憲法には、基本的人権の守護である、生存権、自衛権、正当防衛権の行使を
    可能にする「安全保障条項」が不在の欠陥憲法である。日本国憲法の代表的な欠陥は、
    この一点にあります。


「温故知新」は常識であり、米国憲法修正は1788年(200年間)→1992年修正27条:アメリカ
合衆国国会議員の報酬変更あり、ドイツ共和国憲法:ドイツ共和国基本法は:1949年制定→
1990年:58回改正されている。日本国憲法96条には、憲法改正条項が存在しているが制定
以来一度も改正されていない。


憲法改正の核心問題点

日本国憲法第9条「戦争の放棄」条項である。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武 力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

A前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

長嶋朋爾 憲法問題研究家・世界戦略研究所上級研究員


憲法第9条:解釈改憲の歩み

@吉田総理の90回制憲議会での答弁:「自衛の為の戦争も否定」されている。

A1948年(昭和23年・2月)文部省指導書『新しい憲法の話』には:「今度の憲法では、
 日本の国が、決して二度と戦争をしないように、二つの事を決めました。その一つは、兵隊
 も軍艦も飛行機も、およそ戦争をする為のものは、いっさい持たないという事です。これか
 ら先の日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄と言います。『放棄』
 とは捨ててしまう事です。
 もう一つは、よその国と争いごとが起こったとき、決して戦争によって、相手を負かして自
 分の言い分をとおそうとはしない事を決めたのです。・・また戦争まで行かずとも国の力で、
 相手を脅すような事はいっさいしないことに決めたのです。これが戦争放棄の意味なのであ
 ります。・・世界中の国が良い友達になってくれるようにすれば日本の国はさかえるのです」
 と解説されています。

B1950年(昭和25年)6月25日:「朝鮮動乱勃発」:7月8日マッカーサーは、吉田首
 相に指令を下し、7万5000人の警察予備隊創設と海上保安庁の8000人増員を命じた。
 合わせて1951年(昭和26年)1月1日、マッカーサーは「年頭のメッセージ」で「日本
 の憲法は国政の手段としての戦争を放棄している。この概念は、世界が知るに至った最高の
 理想では無いにしても、最高の理想の一つを代表している。しかしながら仮に国際社会の無
 法状態が、平和を脅かし人々の生命に支配を及ぼそうとし続けるならば、この理想があまり
 にも当然な「自己保存の法則に道を譲らなければならぬ事」は言うまでもない。そして、国
 際連合の原則の枠内で他の自由愛好諸国と協力しつつ、「力を撃退する為に力を結集するこ
 と」が諸君の責務となるのである。


憲法第9条「戦争放棄・戦力の放棄・交戦権の放棄条項の否定」である。解釈改憲?

C1953年(昭和28年12月)ニクソン副大統領は日米協会での演説で「もし1946年
 に於いて非武装化が正しかったとすれば、何故にそれが1953年の現在誤りであるのか。
 ・・何故に合衆国はイサギ良くその誤りを認めないのでしょうか?・・私は合衆国が194
 6年に誤りを犯した事を認めます」と公的な場で述べたのである。

D最高裁判決・統治行為論批判
 砂川基地裁判、百里基地裁判、長沼基地裁判判決
 日米安保条約違憲裁判、自衛隊違憲裁判→最高裁判決:統治行為論「明確に違憲とはいえない。
 高度の統治行為なので、主権者である国民の代表である国会で決めること。統治行為は裁判に
 はなじまない。違憲審査権の適用の範囲を超えている」。

注)最高裁は:「生存権、自衛権、正当防衛権」行使に反した「憲法第9条:戦争の放棄条項」
 そのものが、基本的人権擁護の意志を欠いた、憲法の原理違反である疑いが強く、違憲なのは
 自衛隊でなく「憲法第9条:戦争の放棄条項」自体であるとの判決を下すべきであったのであ
 る。少なくともマッカーサーメモ・草案により「自国をも守る戦争の放棄」の文言を、草案作
 成の責任者であったケーデスは憲法の原理違反を恐れて消去したのである。憲法第9条第一項
 が、憲法の原理違反に成る事を恐れたのである。ケーデスの消去にもかかわらず、憲法9条全
 体の意図するところは変わっていない。最高裁は、「生存権、自衛権、正当防衛権行使におけ
 る国家の責任放棄の憲法第9条が基本的人権擁護の民主主義憲法の原理違反の疑いがあり、自
 衛隊、安保条約が違憲である前に、憲法第9条の条項自体が憲法の原理違反の可能性が強い」
 との判決を下すべきであったのである。誤った不正確なその場しのぎの最高裁判決が問題であ
 り間違いであったのである。

憲法第9条の謎を解く

1)、「1946年憲法」江藤淳著 1980年、『諸君』1980年8月号
 GHQ憲法原案:マッカーサーメモ:「国家主権の発動として戦争は、廃止される。日本は、
 国際紛争解決の手段としてのみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄す
 る。日本はその防衛と保全とを、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸
 海空軍を維持する権能は、将来共に許可されることが無く、日本軍に交戦権が与えられるこ
 ともない」
■憲法第9条第一項:国権の発動としての戦争放棄;「自国の安全を維持する為の戦争をも放
 棄」となっていたのである。
■憲法第9条第一項:ポツダム宣言13項「日本軍の無条件降伏」に起因している。

2)ケーデスインタビュー:1981年4月:古森義久『占領史録・下』講談社学術文庫

3)ケーデスインタビュー:1984年11月:西 修・教授『文春新書』文芸春秋社


法第9条改憲試案問題点

憲法第9条第一項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発
  動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久
  にこれを放棄する。


★長島改憲試案 ★自民党改憲試案 ★読売改憲試案 ★中曽根改憲試案の比較。

この項目は、元々ポツダム宣言13条:「日本軍の無条件降伏に由来している。「自衛の為に
も戦争を放棄する」の項目を含んだものであった。9条はこの文言が存在したので、あいまい
さが無く完全なあらゆる戦争の放棄であった。憲法第9条第一項も破棄するのが正しいと考え
るべきであります。第二項は全ての改憲草案に破棄されていて、話にならない文言である。戦
力の放棄、交戦権の放棄であり異常な条文である。故に「憲法第9条の白紙撤回」と「安全保
障条項銘記」が正しいのである。

日本国憲法の最大の問題点は、憲法第9条で有るが、それ以上の大問題は、国家の基本法たる
憲法に「安全保障条項が不在である」事であります。憲法第9条を白紙撤回し、安全保障条項
を銘記すべし。戦争放棄、戦力の放棄、交戦権の放棄の憲法第9条は反・非・安全保障条項で
あり、生存権、自衛権、正当防衛権行使条項などの基本的人権を守護する条項不在の、基本的
人権軽視の憲法であり、反民主憲法である。

■中曽根試案、自民党試案、読売試案、みんなダメです。今のところ「憲法第9条の白紙撤回
 と安全保障条項銘記」の長島試案のみが正しいと宣言するものである。


集団的自衛権行使の問題:

集団的自衛権行使不可能:国連憲章違反、日米安保違反である。憲法98条は条約の遵守を銘
記、憲法は最高法規であるとの間に矛盾問題がある。              国家軽視、
愛国心軽視の亡国憲法国家の防衛視点を欠いている憲法第9条は亡国憲法である。愛すること
は守護することである。「日本国家を愛する」「家族を愛する」事の重要性なき憲法であり、
文化、伝統軽視とその末梢はGHQの根本政策であった。国防の基本精神と愛するものを守る
事は一体である。愛国心が国家の運命を決めてゆく。個人主義・エゴイズム、の蔓延とで礼節
と品格と国家への誇りを失う要因は憲法第9条に内在している。GHQの基本政策でもあった。


国会議員は改憲の先頭に起つべきである

1)憲法の欠陥を常時国会で取り上げて質問を行うこと
2)安全保障の責任を持っている自衛隊は、許される範囲で改憲の先頭に起つべきである。退
  役自衛隊員は改憲の先頭に起つべきである
3)保守政党は、自衛隊OBを選挙で公認候補にして国会議員に送り込むこと。
4)選挙に保守改憲政党は公認する場合、立候補者は憲法改正の誓いにサインする。
5)ナデシコブームにあやかり「改憲女性議員同盟」「改憲女性100人委員会」等を立ち上
  げる

6)学生運動を支援して、憲法改正学生同盟を全国に展開し、かつての安保破棄の学生運動以
  上の全国ネットワークを構築すること

7)谷垣でなく、改憲を使命と心得る大物議員を先頭にすべし!
8)改憲保守新党「日本共和党」の創設・石原新党党首、中曽根康弘名誉総裁
9)読売、産経、日経新聞は改憲の戦略を固めること及び『改憲誌』強化
10) その他



現行憲法9条改正草案(長島試案)

■ 現行9条を「戦争放棄条項」から「安全保障条項」に変える。

■憲法第9条白紙撤回と「安全保障条項銘記」

第三章 安全保障 (生存権、自衛権、正当防衛権の行使)
        
 日本国国家と国民は、領土と領海、主権と独立、文化と伝統の守護及び、国民の生命、財産、
 自由及び幸福追求の権利などの基本的人権を守護する権利があり義務がある。国防の責任、
 自衛権の確立及び安全保障体制の確立は、最も重要な国家と国民の権利であり義務である。

(1)前項の目的達成の為、
1)必要最小限度以上の陸海空軍及びその他の戦力の保持と安全保障体制の確立に努めなけれ
 ばなければならない。 ★安全保障、軍事に関しての諸事項は別途法律で定める。

2)価値観を共有する諸国との同盟関係を確立し、一層強固な安全保障体制を築くことができ
 る。固有の権利である個別的自衛権及び集団的自衛権を行使することができる。

(2)国際的な安全保障への責務
 日本国は国際連合加盟国及び国際社会の一員として、世界の平和と繁栄の為に必要と思われ
 る応分の軍事的又はその他の方策による、国際的な責任を果たさなければならない。

(3)侵略戦争の禁止
 国際紛争を解決する手段としての侵略的な武力の行使は禁止されている。この件に関する交
 戦権は存在しない。

注)第何章、第何項などの記載は憲法全体の構成に基づくものとする。


自由民主党・憲法第9条改憲・試案

安全保障
第9条(平和主義)
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武
 力による威嚇又は、武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄す
 る。

第9条の2(自衛軍)
@我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官と
 する自衛軍を保持する。

A自衛軍は、前項の規定による任務を遂行する為に、法律の定めるところにより、国会の承認
 その他の統制に服する。
B自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行する為の活動のほか、法律の定めるところにより、
 国際社会の平和と安全を確保する為に国際的に協調して行なわれる活動および、緊急事態に
 おける公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守る為の活動を行う事が出来る。

C前2項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。


読売・憲法改正2004年試案

第三章 安全保障
第11条(戦争の否認、大量破壊兵器の禁止)

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、

武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを認めない。

(2)日本国民は、非人道的な無差別大量破壊兵器が世界から廃絶されることを希求し、自ら
はこのような兵器を製造及び保有せず、また、使用しない。

第12条(自衛のための軍隊、文民統制、参加強制の否定)
〈1日本国は、自らの平和と独立を守り、その安全を保つため、自衛のための軍隊を持つ  
  ことができる。

〈2〉前項の軍隊の最高の指揮監督権は、内閣総理大臣に属する。
〈3〉国民は、第一項の軍隊に、参加を強制されない。

第四章 国際協力
第13条(理念)日本国は、地球上から、軍事的紛争、国際テロリズム、自然災害、環境破壊、
    特定地域での経済的欠乏及び地域的な無秩序によって生じる人類の災禍が除去される
    ことを希求する。

第14条(国際活動への参加)前条の理念に基づき、日本国は、確立された国際的機構の活動、
   その他の国際の平和と安全の維持及び回復並びに人道的支援のための国際的な共同活動
   に、積極的に協力する。必要な場合には、公務員を派遣し、軍隊の一部を国会の承認を
   得て協力させることができる。
第15条(国際法規の遵守)日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に
   遵守する。

問題点の核心
憲法第9条第一項の原文「国際紛争を解決する為、及び自国を守る戦争をも放棄」をうたって
いる。自衛権の行使までをも禁じた憲法9条第一項であった。

自民党草案、読売改憲草案、中曽根改憲草案などみな9条第一項を残している。

憲法第9条第一項は、あらゆる戦争放棄を宣言した項目であった。ポツダム宣言13項:「日
本軍の無条件降伏」の系列にあるものである。ケーデスが削除した「自国をも守る戦争の放棄」
はただ消されたが、他の文言はマッカーサー指令・草案メモに同じである。私には第一項を残
すことに意義をみいだされない。

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2、憲法の平和主義について 2011.5.3
3、憲法96条の条項改正を 2011.4.28
4、憲法9条の改革を! 2011.4.8
5、憲法9条と政党政治 2011.1.28
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9、定員400の一院制議会を! 2011.1.14
10、非核3原則と核抑止力 2011.2.6



    護憲・改憲のイメージを捨てよう
 
 ―結論を出していない人のための憲法入門―

 世に憲法論は多いが、どれも予め結論があって、白紙から憲法を考えようとする人には拒否反応が出やすい。ここではそうならないよう、論点を整理し、後は皆様に考えてもらうことと致します。学者の一部には、素人が何を言うかというような、尊大な姿勢も見られますが、最後は国民投票で憲法改正の是非を決めるのですから、論議は開かれていなければならないはずです。

護憲派」「改憲派」も時期によって変化
丸ごとの「護憲」?全否定の「改憲」?
「不都合の手直し」もダメか
放棄した「戦争」は何か
九条論の前提条件は何か
国連との関係はどうか
国連による制裁のメカニズム
緊急の問題は集団的自衛権
東洋大学法学部教授 加藤秀治郎


「護憲派」「改憲派」も時期によって変化

 まずは「護憲派」「改憲派」の固定イメージを捨ててもらいたいと思います。世間では「護
憲派」「改憲派」の対立があり、明確に二分されると思われているようです。全国紙では、
『朝日』が護憲で、『読売』『産経』が改憲といった具合です。しかし詳しく見ると単純では
ありません。

 1)政党では、自民党は改憲で、共産党と社民党は護憲とされています。しかし護憲の代表
格の共産党も、1946年に憲法を決める際には反対していました。9条の「戦争放棄条項」
に重大な疑問を提起し、防衛戦争は必要があればどの国もやるのだから、「侵略戦争禁止」と
いう事だけはっきり書けばよいと主張していました。何時からか共産党は「9条改悪反対」と
成りましたが、理由は明確にされていません。社民党の前身の社会党も、当時、同じように9
条に疑問を投げかけていました。
逆に自民党の前身の保守系政党は「新憲法」に賛成していま
した。事情が変われば護憲、改憲が入れ替わるという事です。各党が過去の事をもフランクに
話してくれると良いのですがね。


丸ごとの「護憲」?全否定の「改憲」?

 2)また次の点も柔軟に考えて頂きたいものです。「護憲」が丸ごと憲法の肯定で、改憲が
憲法の全否定かという点です。共産党は、国会の開会式に天皇が出席されるのに反対し、共産
党議員団が長らく欠席していたように、象徴天皇制にも微妙な立場です。〈天皇制の存続は民
主化を不徹底に終わらせる〉という事で、廃止を唱えていた時期もあります。作家の大江健三
郎さんなどは、天皇制に反対で、護りたいのは9条という事でしょう。
「護憲」といっても現
憲法を丸ごと認めている訳ではない人も混じっているのです。こういう状態で「護憲」「改憲」
と語っても、話は空回りしかねません。「改憲」側も、原則肯定、数個条の改正という人から、
全面否定まで幅があります。


 「不都合の手直し」もダメか

 3)結局、中心は9条をめぐる対立なのが解かりますが、ここから別の問題が出て来ます。
他は本当に大丈夫かという問題です。国会は2007年の参議院選で「衆参のねじれ」が生じ
て以来、混乱を極めていますが、これも憲法が関連しています。

国民世論は敏感に反応しているようで、衆参の権限関係を改めよという声が高まっています。
政党は現実の政局を優先させ、ハッキリした事は言いたがりませんが、問題の所在を良く認識
しています。衆議院で三分の二が無ければ、自公連立与党は、立ち往生していたはずです。逆
に民主党が政権を握った場合、自公に参議院で抵抗されることが予想されますから、本当は話
し合い、打開策を決めておくのが筋なのです。

 4)だとしたら、憲法を手直しして、現実的にやって行けるようにするのが、本当に憲法を
尊重する姿勢だと思うのですが、日本では憲法となると、どうもフランクな話が出来ません。
護憲勢力も本気で政権を獲得する気があるのなら、放置しない方がいいのは解かっている
はずです。しかし衆参の権限関係(59条)を変えると9条改正につながるという事で、回避し
続けているのです。
 憲法に含まれる不都合に気づきながら手をつけないという事は、どうなのでしょうか。
政権交代を心から望む私は、9条を切り話してでも、ここは改正論議をすべきでだと思って
います。憲法に向かう姿勢として確認しておかなければならない点です。

 5)少し難しくなりますが、ドイツ人の憲法学者ヘッセが上手に説いています。実際に使え
る憲法にしておかないと、何かの拍子に「憲法を無視する挙に出るしかすべがなくなりかねな
い」立憲政治、「法の支配」にとっては、そういう姿勢が最悪だというのです。


放棄した「戦争」は何か

 さていよいよ9条です。皆さんは、9条だけなら護憲・改憲の意味は単純だと思われるかも
知れませんが、そうではありません。護憲派にも「自衛隊も日米安保条約も憲法違反だからや
めろ」という人から、現状の自衛隊や、今の安保ならOKという人までいます。話を進めるた
め、この問題には立ち入りませんが、「護憲」も色々だという事を頭に入れて於いてください。
「9条改憲」の方も色々なのは同じです。

 6)9条は「戦争の放棄」条項ですが、「戦争」の意味をめぐって、対立があります。侵略
戦争の放棄だけでなく、防衛戦争も含めて、戦争はしないという事だという立場と、防衛戦争
は認められるという立場の対立です。
ここが第9条の一項と二項に関連してくる点ですが、こ
こでは条文に立ちいらず、中身だけで論じていきます。まずは、防衛も放棄したという立場で
す。二項で戦力は保持しない、交戦権は否認するとあって、全部の戦争を放棄しているのは明
白だという立場です。


九条論の前提条件は何か


 この立場を突き詰めると、自衛隊も憲法違反になります。そこでは、

 7)「北朝鮮が攻めてきたらどうするのか?防衛もしないのか?」と問われます。たいてい
の反論は「そういう事態とならぬよう、外交努力をする」というものです。
これは重要な論点です。先のヘッセ教授の言葉にあるように、憲法は万一の場合にも守られな
ければならないもの、と考えるか、憲法で理想を掲げよう、という考えに立つかで、大きくわ
かれます。
論理をギリギリ詰めますと、ある程度の合意が出来そうですが、現実には、この辺
をあいまいにして話すので、早くから「見解の相違」になってしまいます。侵略をされないよ
う、外交努力をされるのは当然だが、万一の場合に備へ、防衛をするのだというのがヘッセの
ような、欧米での結論です。もう一つの反論は、自衛の体制を整えたりすると、戦争を誘発す
るというようなことです。そこに「唯一の被爆国」や、「侵略戦争で近隣諸国に迷惑をかけた
反省」などの言葉が出て来ます。法律論としては、戦後日本に特殊な議論という面は否定でき
ません。

 8)憲法をどんなものと考えるか、あいまいにせずに考えないといけないでしょう。理想を
貫くという主張も出て来ますが、その場合、それを唱えている人が、理想に殉じるのは個人の
自由としても、他の人にも理想に殉じるように強制できるか、という疑問が残ります。

国連との関係はどうか
 9)私の大学のゼミでも、学生さんの立場は解かれています。「護憲」派の学生は、国連が
あるのだから、日本は防衛を考えなくともよい、という主張が出て来ます。戦後日本を占領し
たGHQ(連合国総司令部)のマッカーサーが、はじめに明文で、はっきり「防衛戦争も不可」
と書こうとしたのは、そういう考えがあっての事でしょう。実際には、彼の部下が、「それは
非現実だ」、として、GHQ草案で単に「戦争の放棄」とし、それが9条に残りました。その
経緯を追っている時間はありませんので、先を急ぎます。

 10)国連の安全保障は、簡単に言いますと、加盟国に侵略させない約束をさせ、違反した
国には武力制裁をしてやめさせる、という考えです。侵略すると世界中を敵に回すことになる
から、もう誰もヒトラーのような事はしなくなる、というのです(集団安全保障)。

 11)この仕組みは実際には冷戦の間、まったく働きませんでした。当時のマッカーサーの
判断は間違っており、後に米国は公式に謝罪しています。1953年にニクソン副大統領が、
米国は日本国憲法制定の時に「過ちを犯した事を認めます」と詫びています。

 12)米ソ冷戦は終結致しましたが、体制を異にする国が並存しているアジアで、国連の安
全保障が上手く機能するかどうかは、よく検討しなければなりません。国連を頼れるかどうか
です。これも詰めて議論すれば、「見解の相違」を言う前に、かなりの共通認識が得られると
思います。


国連による制裁のメカニズム

9条との関係で、ここで考えなければならない問題がもう一つあります。日本は国連の武力制
裁に協力すべきか、否か、またすべきだとしたら、9条の下で出来るか否かです。

 13)国連は武力制裁の姿勢をもつことで、侵略を抑えようという仕組みです。その武力制
裁は、実際には加盟国が兵力を出して行うという事になっています。仮に日本は9条があって
出来ないという場合ですが、他の国も皆それを言い出したらどうなるでしょうか?国連の武力
制裁は成り立ちません。それに関連したエピソードを紹介致しますので、考える材料にしてく
ださい。それは

 14)永世中立国のスイスが国連に加盟した時の姿勢です。2002年のことです。スイス
はそれまれで、加盟すると武力制裁に加わるように求められかねず、それは永世中立に反する
ので、あえて加盟しないという方針でした。欧州では冷戦が終結するとスイスは、武力制裁に
加わらないが、それで良ければ国連に加盟したいと申請し、この条件が認められたので国連に
加盟しました。

 15)日本の国連加盟はどうだったのでしょうか。1952年のことですが、特に軍事力を
保留するなどの条件を明示していません。「我が国の有するあらゆる手段を持って」協力する、
と言うにとどめました。外務省のお役人は、個の玉虫色の表現で、(憲法上、出来ないことも
ある)との趣旨を伝えた気になっているというのです。この言葉を聞いた外国には解かったで
しょうか?解かったのならともかく、そうでないなら、いざと言う時になって、日本の詭弁が
明らかになり、不信を買うだけであります。9条をめぐる問題には、この類のことが多く、よ
くよく考え直してみたいものです。


緊急の問題は集団的自衛権

最後の論点に進みます。9条がなぜ、この20年ほど問題にされて来たか、理由は二つあると
思います。一つはすぐ前にお話した、国際協力の問題です。もう一つは、より差し迫っている
集団的自衛権の問題、日米同盟に日本がどう向かうかの問題です。

 16)国連への協力は、先のような仕組みであれば、世界は平和になるだろうから、した方
が良い、と言う観点から議論されています。また、クエ―トのように実際に侵略された国が出
た場合、国連の平和維持システムを機能させるため、日本もイラク制裁に加わった方がよい、
と論じられています。

ここにも、協力しておくことが、回りまわって日本の安全の為にもなる、と言う考えがありま
すが、「回り回って」と言うくらいですから、本来、その考慮は直接的ではありません。しか
し、日本で国連を信頼する人には、「回り回って」と言うところがなく、必ず助けに来てくれ
る、と思われているようですが、どうでしょうか。

17)さて国連協力とは違い、集団的自衛権の問題はより直接的に、日本の安全につながると
語られています。集団的自衛権とは、簡単に言って、自国を単独で守るのが難しい場合、仲間
の国と一緒に防衛を計るものです。冷戦時代に対立の厳しかった欧州では、米国・西欧連合の
NATO(北大西洋条約機構)に対して、ソ連・東欧連合のワルシャワ条約機構が対峙してい
ました。


日本も、単独で防衛を計ることが出来ないと考え、日米安保条約という同盟体制を選びました。

 18)1952年の独立回復時には、日本には軍備がありませんでしたから、米国に基地を
提供する代わりに、日本を防衛してもらうという条約です。しかしその後、日本も大きく変わ
り、米国からの要望も変わってきました。

「日本の周辺だけでもいいから、もっと防衛協力を緊密にしたい」ということで、「相互に助
け合う側面を強めてくれないか」という要望が米国から出ています。

 19)現状では、日本側が集団的自衛権を行使できないとしており、日米で同じような、
(対称的な)防衛協力は出来ません。その結果、日本の周辺の公海で、米軍と海上自衛隊の各
艦船が並んで航行している時に、自衛隊の艦船が攻撃されれば、米軍も戦うが、逆に米軍の艦
船が攻撃された場合、理論上自衛隊は何もできません。

 20)国際問題は相手があることですから、相手の立場に立って考えてみる必要があります
が、これでは米国の国民の間から、日本への不信が生じかねません。まだ米国民の大半は、こ
の条約の実体を知らないので、普段は特に問題化していませんが、先のようなケースが、実際
に生じれば、日米関係は深刻な事態となるでしょう。

北朝鮮の核兵器から日本を堂防衛するかという、緊急問題を抱えている日本としては、この問
題に決着をつけなくてはいけません。頼らないのなら、その事を明確にして他の防衛手段を講
じなければならないでしょう。何時までも先送りには出来ないのです。皆様の組織も、憲法問
題を先送りにはせず、きっちり結論を出して頂きたいと思います。

        ご清聴ありがとうございました。

 
加藤 秀治郎(かとう しゅうじろう、1949年 - )日本の政治学者。東洋大学法学部教授。

岩手県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科修了。京都産業大学教授を経て、現職。


主な著書
『戦後ドイツの政党制――東西ドイツ政党の政治社会学的分析』(学陽書房, 1985年)
『政治学入門』(芦書房, 1987年)
『「茶の間で聞く」政治の話のウソ。』(学陽書房, 1990年)
『政治のしくみ――図説日本はこうなっている』(PHP研究所, 1993年)
『ドイツの政治・日本の政治』(人間の科学社, 1996年/増補改訂, 1997年)
『政治学の基礎』(一藝社, 2001年)
『「憲法改革」の政治学』(一藝社, 2002年/増補改訂版, 2005年)
『日本の選挙――何を変えれば政治が変わるのか』(中央公論新社[中公新書], 2003年)
『憲法改革の構想』(一藝社, 2003年)
『政治学』(芦書房, 2005年)
『日本政治の座標軸――小選挙区導入以後の政治課題』(一藝社, 2005年)

共著 [編集]
(中村昭雄)『スタンダード政治学』(芦書房, 1991年/新版, 1999年)
(楠精一郎)『ドイツと日本の連合政治』(芦書房, 1992年)

編著 [編集]
『リーディングス選挙制度と政治思想』(芦書房, 1993年)
『日本の安全保障と憲法』(南窓社, 1998年)
『選挙制度の思想と理論――Readings』(芦書房, 1998年)

共編著 [編集]
(渡邊啓貴)『国際政治の基礎知識』(芦書房, 1997年/増補版, 2002年)
(岩渕美克)『政治社会学』(一藝社, 2004年)

訳書 [編集]
ラルフ・ダーレンドルフ『ザ・ニューリバティ―ポスト「成長」の論理』(創世記, 1978年)
ラルフ・ダーレンドルフ『現代文明にとって「自由」とは何か』(TBSブリタニカ, 1988年)
R・ドーソン, K・プルウイット, K・ドーソン『政治的社会化―市民形成と政治教育』(芦書房, 1989年)
ラルフ・ダーレンドルフ『激動するヨーロッパと世界新秩序』(TBSブリタニカ, 1992年)
ラルフ・ダーレンドルフ『政治・社会論集―重要論文選』(晃洋書房, 1998年)
ウォルター・ラカー『ヨーロッパ現代史―西欧・東欧・ロシア(1-3)』(芦書房, 1998年-2000年)
ラルフ・ダーレンドルフ『現代の社会紛争』(世界思想社, 2001年)
G・レームブルッフ『西欧比較政治――ータ/キーワード/リーディングス』(一藝社, 2002年)
ドナルド・R・キンダー『世論の政治心理学―政治領域における意見と行動』(世界思想社, 2004年)